スイスに緊張が走る?1940年6月の話

こんばんは、レナートです。 


武装中立を掲げるスイスは、第一次 / 第二次の両大戦で実戦参加していないことはご存じの通りです。
しかし、そんなスイスがピリつく出来事が1940年6月に起こっていました。 
>>老兵が構えているIG89歩兵銃はこちら


お話はドイツ軍の電撃戦により、フランス軍は敗退を重ねていた頃。
(クリストファー・ノーラン監督の映画「ダンケルク」ではフランス兵がイギリスへ向かう船の乗船を拒否される場面がありましたが、実際は8万人ほどのフランス将兵がダンケルクから英国へ逃れたとか)。 


(フランス - スイス国境で武装解除を受けるフランス兵)
そして、一部のフランス軍将兵はスイスへ逃れています。 (陸続きだもんねぇ...)。 


その模様は当時のスイス陸軍映画局が作成した、「フランス軍とポーランド軍の越境」という記録フィルムに残っています。
現在でもスイス連邦公文書館がYouTubeに公開しています。 (動画は>>こちらからどうぞ。) 


スイス - フランス国境の検問所ですが、いきなりすごい数の小銃が積まれていますね...1940年6月末に合計4万名のフランス兵、およびフランスで戦っていた亡命ポーランド兵がスイスに逃れたそうです。 
自国に (たとえ亡命目的だとしても) 武装した隣国兵士が大挙して押しかけてきたことになるので、スイス人もさぞ驚いたでしょうね...。 


ホッチキス重機関銃もいっぱい積み上げられています...。 


この記録フィルムではレベルやベルチェーが多く、MAS36は無さそうでした。 ベルチェーも弾倉が3発仕様の旧型が写ってます。 
>>MAS Mle 1936はこちら


ホチキスの保弾板やショーシャの弾倉も写ってました (↑アモ・パウチ内の弾薬を取り出す作業中のスイス兵)。 これだけ数があると武装解除も一筋縄では行かないですね...。 
>>九二式重機関銃の保弾板はこちら


地上転用されたと思われる、MAC1934 航空機関銃の弾倉も大量にあります。 どの陣営でも負けが込むと航空機銃は地上転用される例が散見されるのは世の常ですね。 


小火器だけでなく、ルノーUE 装甲車もスイス側へやってきました。 


と思ったらオチキス H35 軽戦車も結構な数やってきました...。 まぁドイツ軍にみすみす渡すぐらいなら、中立国に接収されたほうが良い気もしますよね。 映像ではたびたびスイス兵とフランス兵の敬礼/返礼が行われていたり、逃げ延びたフランス兵もほっと一息ついているようで、沈痛な感じはしないのがGoodでした。 このあたりで件の記録映像は終了します。 


スイスで抑留されたフランス/ポーランド兵たちのその後ですが、フランス兵についてはヴィシー・フランスとの交渉によりフランスへ送還された人、スイスに残った人が分かれます。 ポーランド兵については残念ながら既に帰るべき祖国が無いので、スイスに残ったフランス人と共に山間部の道路建設・修繕に携わったようです。 
中立ながら戦時体制にあったスイスでは山間部に遊休リゾート施設が点在しており、抑留労働者はそういった施設で生活していたそうですよ。 


ということで、スイス・フランス国境がピりついたかもしれない? 1940年6月のお話でした (中立国には中立国なりの戦争があるんだな~と感じました)。
>>シュミット・ルビン シリーズはこちら



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