戦後ガーランドの話

こんばんは、レナートです。 


前回は戦後のガーランド クリップを紹介しましたので、ついでに戦後欧州各国のガーランドのお話です。 


(ガーランドが10挺入る防錆保管コンテナ。 米国で1950年代初頭に従来のコスモリンを使用しない揮発性防錆剤の技術が確立され、このコンテナに保管しておけば50年は錆びないとか)。
いつの時代もそうですが、戦争が終わっても武器は残ります。 大戦中に約540万挺生産されたガーランドですが、続く朝鮮戦争でも使用されていますし、大戦後に保管されていた相当数も共産主義の脅威を鑑みた米国によりヨーロッパ各国に供与されました。 


(デンマーク郷土防衛隊:1989年の写真だそうです)。 
デンマークはアメリカから約7万挺、ベレッタから約2万挺のガーランドを導入しています。 Gew.3採用後も郷土防衛隊など後方では使用が続き、なんと1990年頃まで現役だったとか。 


オランダには約5万5千挺のガーランドが供与され、その後はFN FALが使用されていますが...


1961年には後継としてアーマライト AR-10のマガジンを使用するガーランドが試作されています。 イタリアのBM59に影響を受けたこのプロジェクトにあたって、オランダ側の技術者がベレッタに赴くなど先達のノウハウを聞きに行ったようです。 ただしFALの採用が決定したため、このオランダ版BM59は実現しませんでした。 
>> アーマライトがオランダにあった頃のAR-10 はこちら


米国からガーランドを供与された国の中で挺数が多いのがトルコ (約31万挺)、ギリシャ (約20万挺) があります。 どちらもNATO加盟国としては政情が不安定なので力が入っている...? 何の因果かキプロス危機(1974年)ではトルコ、ギリシャに支援された武装勢力同士がガーランドで撃ち合ったそうです。 


(左:朝鮮戦争時の仏軍狙撃手とされる写真 / 右:アルジェリアに上陸したフランス兵。)
フランスも約23万5千挺と多数の供与を受けていますが、ガーランドを使用している写真が全然残っていません。 写真としてはWW2の方が多い気が...(本記事のサムネイル「アドリアン・ヘルメットを被ってガーランドを撃つ仏兵」も1943年の自由フランス軍兵士の訓練シーンのものだったりします)。 
フランスは貰ったガーランドをどうしたのか、時系列にまとめてみました。 


まずアメリカ視点で見ると、欧州各国にガーランドを供与した時期はタイミング的に朝鮮戦争を受けたものと推測されます。 そして次の戦場はヨーロッパになり、フランス軍との共闘も当然考慮していたものと思われます。 しかしフランス軍の小火器は7,5mm×54や、英軍から供与された銃 (7,7mm×58R) であり、弾薬の互換性や補給に問題があります。
ここにガーランドを23万挺ほど供与すれば、(1945~50年半ばの仏陸軍の総兵力は約80万強といったところなので、到底全軍を米軍と同じ.30-06弾に揃えることは出来ませんが)、少なくとも20数個師団は米軍式装備に出来ますね。 
ところが、フランス軍では政治的に独自路線を取ってMAS Mle49/56に装備更新されたこと、その数年後に米陸/海兵隊で7,62mm NATO弾を使用するM14に概ね装備更新されたこともあり、フランスがガーランドを使うべき必要もさらに薄くなったことでしょう。
最終的にフランスはガーランドをインターアームズやセンチュリーアームズといった銃器代理店に売却し、結果として多くのガーランドが米国に里帰りした...と言う経緯があるそうです。 
戦後フランスにガーランドのイメージが無いのは、やはり第一線で大規模に使っていないからという当然の帰結だった...ということで、戦後ヨーロッパのガーランドについてでした。 

>> M1ガーランド はこちら
>> ガーランドのクリップ はこちら
>> MAS Mle1949/56 はこちら



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