- 商品番号:ARC0093
国名:中華民国 / 台湾
時代:第二次大戦
種類:ボルト・アクション
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【漢陽 八八式歩槍 について】
モデル概要
漢陽 八八式歩槍は、大清帝国時代の1895年に漢陽兵工廠において生産が開始されたボルト・アクション式小銃です。 ドイツ帝国のGew.88 歩兵銃をベースとして国産化されたモデルであり、製造した工廠の名から「漢陽造」や「漢式」といった愛称でも広く呼ばれました。
原型「Gew.88 小銃」の開発と清朝への導入経緯
本銃の原型となったドイツのGew.88 歩兵銃は、フランスが1886年に世界で初めて無煙火薬を採用したレベル M1886 小銃を開発したことに対抗するため、急遽ドイツ軍火器委員会 (G.P.K.) によって設計されました。 委員会はフランスの8mm×50弾に倣って無煙火薬を用いた7,92mm×57弾を新たに開発し、これを使用する小銃として本銃を完成させています。 しばしば「モーゼル Gew.88」と呼ばれる事がありますが、モーゼル社は設計に直接関与しておらず、「委員会小銃 (Commission Rifle)」と呼称されるのが正確です。 19世紀末の中国において、軍備近代化を推進していた洋務派の政治家である張之洞 (ちょう しどう) の主導により、このGew.88の製造機械と図面がドイツから導入され、漢陽兵工廠において漢陽 八八式歩槍として製造が開始されました。
マンリッカー式給弾機構と初期型のバレル・ジャケット構造
漢陽 八八式歩槍は、オリジナルのGew.88 歩兵銃と同様に、マンリッカー方式のエンブロック・クリップを使用して装填する給弾機構を備えています。 また、生産当初のモデルは、Gew.88 歩兵銃と同じく、木製のアッパー・ハンドガードを持たず、銃身を覆う薄い鋼板製のバレル・ジャケットが装備されていました。 このバレル・ジャケットは、銃身が直接木部に接触するのを防いで命中精度を高める事を意図した構造でしたが、実戦においては銃身との隙間に水が溜まりやすく、深刻な錆を発生させる原因となっていました。
清朝崩壊から日中戦争にかけての長期運用と生産継続
漢陽 八八式歩槍は清朝末期の軍隊に配備された後、1912年の大清帝国崩壊以降も国民党勢力によって継続して生産および運用されました。 日中戦争期においても国民革命軍の主力小銃として大規模に実戦投入されています。 当時、後継機種として設計された中正式小銃 (国産化したモーゼル スタンダードやKar.98k) の生産が遅延していた事もあり、本銃は江南製造局や金陵兵工廠といった他の工廠でも製造が続けられ、1944年頃まで第一線に向けた量産が維持されました。
バレル・ジャケットの廃止と実戦経験に基づく段階的な改良
長きにわたる生産期間を通じて、本銃には実戦経験に基づく段階的な改良が施されました。 1904年以降の生産品からは、錆の問題を引き起こしていたバレル・ジャケットが省略されました。 この仕様変更により、バレル・ジャケットを備えた初期生産型は「老套筒 (覆い付きの古い銃身)」や「雙筒歩槍 (銃身が二重の小銃)」という通称で呼ばれ、後期型と区別されるようになります。 さらに1910年には、木製のアッパー・ハンドガードの追加や、リア・サイトの100mから2,000m表記のタンジェント・サイトへの変更が行われました。 同時にフロント・バンドの形状も日本軍の小銃を参考にした形状へと改良され、オリジナルのGew.88 歩兵銃では右側にあった着剣ラグが銃身下側へと移設されたほか、ストック前方下部に板バネ式のさく杖止めが追加されるなど、より実用的な軍用小銃へと進化を遂げました。
半世紀にわたる運用実績
漢陽 八八式歩槍は、清朝から中華民国へと至る激動の時代において、半世紀近くにわたり中国の主力小火器としての役割を担い続け、日中戦争や国共内戦を戦い抜きました。 その後も国民党軍から接収された個体が朝鮮戦争において使用されたほか、地方の民兵部隊では1980年代に至るまで運用が続けられました。
※本ページ掲載品は弊社販売実績参考品 (非売品) です。
※本ページ掲載品は日本国内の基準に準じた加工が施された無可動実銃です。
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