- 商品番号:ARC0085
国名:オーストラリア / ニュージーランド
時代:第二次大戦
種類:短機関銃
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【オーウェン Mk I 短機関銃 について】
モデル概要
オーウェン Mk I 短機関銃は、第二次世界大戦中の1939年にオーストラリアのエヴリン・オーウェン (Evelyn Owen) によって基本設計が行われ、1942年から製造された、オーストラリア初の純国産短機関銃です。 製造はオーストラリアのライサート (Lysaght) 社のポート・ケンブラ (Port Kembla) およびニューカッスル (Newcastle) 工場で行われました。
開発の背景と制式採用までの経緯
本銃が開発に至った背景には、第二次世界大戦勃発に伴うオーストラリア軍の兵器不足がありました。 1939年、当時24歳だったオーウェンは独自に.22口径の試作短機関銃を開発して軍に持ち込みましたが、当初軍上層部は短機関銃の有用性を理解しておらず採用を却下しました。 しかし、ライサート社のマネージャーであったヴィンセント・ワーデル (Vincent Wardell) がこの試作銃に偶然目を留め、そのポテンシャルを見出して軍へ強く働きかけました。 その後、イギリスからの兵器供給が途絶する危機感が高まった事もあり、軍は方針を転換しました。 オーウェン短機関銃は、ステン短機関銃やトンプソン短機関銃との過酷な泥濘地での比較トライアルにおいて、泥や砂にまみれても本銃だけが唯一作動し続けるという圧倒的な性能を見せつけ、制式採用される事となりました。
給弾方式と機関部の構造
本銃の最大の特徴は、レシーバーの上方に垂直に配置された33連発のマガジンと、それに伴い左側にオフセットされたフロント・サイトおよびリア・サイトです。 上方からの給弾方式は重力を利用して弾薬を薬室へ確実に送り込むため、スプリングの力のみに頼る下方からの給弾に比べて給弾不良が劇的に減少しました。 加えて、レシーバー内部が隔壁によって前後のコンパートメントに完全に隔離された構造となっており、ボルト本体が収まる前方のスペースから切り離される形で、コッキング・ハンドルはレシーバー後方の独立したスペースに配置されています。 この構造により、コッキング・ハンドルの作動溝から泥や砂が侵入しても機関部への到達を物理的に防ぐ事ができ、真下を向いた排莢口と相まって作動不良の原因を排除しており、本銃の信頼性を高める事に貢献しています。
実戦投入と評価
実際の運用において、オーウェン Mk I 短機関銃はニューギニア戦線などの過酷な熱帯ジャングルで実戦投入され、その真価を発揮しました。 泥沼に落とした後でも確実に作動する本銃は、作動不良が頻発した他の連合国軍の短機関銃と比較して前線の将兵から絶大な信頼を集めました。 大戦中における本銃の平均製造コストは約$30程度であったと言われており、大量生産にも適していました。 本銃は決して軽くはなく、独特の形状ゆえに扱いやすいとは言えませんでしたが、「いかなる悪条件でも確実に作動する」という実戦で最も重要な信頼性を備えており、ジャングル戦におけるオーストラリア軍の優位性を確固たるものにしました。
製造時期によるバリエーション (Mk I/42~Mk I/44) と仕様変遷
本銃は1942年から1944年にかけて約45,000挺が製造されており、製造時期に応じていくつかのバリエーションが存在します。 1942年に製造された初期生産品である「Mk I/42」は、銃身基部に冷却フィンが設けられている他、ストックは金属板を加工した着脱可能なメタル・フレーム構造となっています。 なお、1942年末頃に製造された個体には、軽量化のためレシーバーに肉抜き穴が設けられた品も一部見られます。 1943年から製造された「Mk I/43」は、当初Mk I/42と同様の冷却フィンを備えていましたが、1943年後半に入るとフィンは省略され、ストックもメタル・フレームから木製バット・ストックへと変更されました。 1944年から製造された「Mk I/44」はMk I/43とほぼ同じ仕様ですが、1944年中頃に製造された個体には着剣ラグが追加されました。 1943年から1944年初めにかけて製造された個体の殆どにはカラフルな迷彩塗装が施されているのも特徴です。
戦後の運用
オーウェン Mk I 短機関銃の圧倒的な信頼性は戦後も高く評価され、朝鮮戦争やベトナム戦争においても主にオーストラリア軍の斥候部隊などで愛用され、最終的に後継となるF1 短機関銃に置き換えられる1960年代中頃まで第一線で使用され続けました。
※本ページ掲載品は弊社販売実績参考品 (非売品) です。
※本ページ掲載品は日本国内の基準に準じた加工が施された無可動実銃です。
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