商品番号:ARC0033
国名:ロシア
時代:第二次大戦
種類:対戦車ライフル/グレネード&ロケット・ランチャー/無反動砲/迫撃砲
アーカイブ品

PTRD 1941 対戦車 ライフル (アーカイブ品)

税抜 ¥0
商品番号
ARC0033
発売日
1993/03/07
在庫
本ページ掲載品は弊社販売実績参考品 (非売品) です
英名
PTRD 1941 Anti-Tank Rifle
国名
ロシア
時代
第二次大戦
全長
1,963mm
口径
14,5×114mm
装弾数
単発
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【PTRD 1941 対戦車 ライフル について】

制式採用と歩兵用対戦車火器としての役割

PTRD 1941は、1941年にソビエト連邦軍が制式採用した単発式の対戦車ライフルです。 設計者であるワシーリー・デグチャレフ (Vasily Degtyaryov) の名を取ってデグチャレフ対戦車ライフルとも呼ばれ、第二次世界大戦におけるソビエト連邦軍の歩兵用対戦車火器として広く運用されました。

短期間での開発と優れた量産性

開発の背景には、1941年6月に始まったドイツ軍によるソビエト連邦への侵攻が深く関わっています。 開戦当初、ソビエト連邦軍の歩兵部隊は有効な対戦車兵器を著しく欠いており、前線からは早急な新兵器の配備が求められました。 この国家的危機を受け、デグチャレフらは設計要求からわずか数週間という極めて短期間で本銃を完成させました。 同時にセルゲイ・シモノフ (Sergei Simonov) が設計した自動装填式のPTRS 1941も採用されましたが、構造がシンプルで製造が容易な本銃は量産性に優れており、大量生産されて前線の急場を凌ぐ主力火器となりました。

半自動排莢機構と反動への対策

作動方式は基本的には手動装填のボルト・アクション式ですが、発射時の反動を利用して排莢のみを自動で行う特殊な構造を採用しています。 使用弾薬には強力な14,5mm×114弾を使用します。 発射時に銃身とレシーバーが一体となってフレームに対して後退し、そのストロークの途中でボルト・ハンドルがストック側に設けられたカムに衝突することでボルトの閉鎖が解除され、自動的に空薬莢が排出される仕組みとなっていました。 弾倉を持たない単発式であるため、次弾は射手がレシーバー上部から手動で装填する必要があります。 また、発射時の強烈な反動を緩和するため、銃口部には大型のマズル・ブレーキが装着され、ストックにはスプリング式の緩衝装置が内蔵されていました。 射手の肩を保護するためにストックの肩当て部分などにクッション材が取り付けられ、キャンバス等のカバーで覆われている点も外観上の大きな特徴です。

実戦における運用と戦術の変化

実際の運用においては、14,5mm×114徹甲弾が100mの距離で約40mmの装甲を貫通する能力を持っており、開戦初期のドイツ軍の軽戦車や中戦車に対しては十分な威力を発揮しました。 しかし、戦争が中盤以降に進みドイツ軍の主力戦車の装甲が強化されると、正面から装甲を貫通することは困難となっていきました。 そのため、ソビエト連邦軍の兵士たちは戦車の側面や背面を狙うだけでなく、履帯、視察窓、銃眼といった弱点を正確に狙撃する戦術へと移行し、一定の戦果を挙げ続けました。 射撃手と弾薬手の2名1組で運用されることが多く、対戦車戦闘だけでなく、装甲車やトーチカ、さらには低空を飛行する航空機に対する攻撃にも転用されました。

仕様変更と戦後の運用

本銃は、極限まで簡略化された完成度の高い設計であったことや、戦争後期には対戦車ライフルという兵器カテゴリー自体が戦車の重装甲化に対して陳腐化していったこともあり、大規模な派生モデルや後継機は開発されませんでした。 ただし、前線の要求に応じて、二脚の形状変更や製造工程のさらなる簡略化といった細かな仕様変更は生産期間を通じて継続的に行われていました。 PTRD 1941 対戦車ライフルは、戦後も朝鮮戦争やベトナム戦争でも使用されました。

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※本ページ掲載品は弊社販売実績参考品 (非売品) です。
※本ページ掲載品は日本国内の基準に準じた加工が施された無可動実銃です。
詳細画像
  • 第二次大戦期 ソビエト軍 PTRD 1941 対戦車 ライフルの全体・側面ビュー その1
  • 第二次大戦期 ソビエト軍 PTRD 1941 対戦車 ライフルの全体・側面ビュー その2
  • 第二次大戦期 ソビエト軍 PTRD 1941 対戦車 ライフルのメーカー刻印および製造年刻印の詳細