- 商品番号:K10222
国名:アメリカ合衆国
種類:小銃/散弾銃
- 【スタール M1858 騎兵銃 について】
スタール M1858 騎兵銃 (カービン) は、南北戦争で使用された、紙薬包式弾薬を使用する単発後装の管打式 (パーカッション式) 騎兵銃です。
スタール・カービンは、同時代のシャープス・カービンと同様、機関部下部にアンダー・レバー (プル・ダウン式トリガー・ガード/レバー) が設けられています。 しかしながら、シャープス・カービンとは異なり、スタール・カービンのブリーチ・ブロックは前部と後部の二つの部品に分かれています。 ハンマーは独立しており、装填レバーの操作とは別にハンマーを起こす必要がありました。 装填時にはまずハンマーを起こし、その後アンダー・レバーを下方に操作すると、後部ブリーチ・ブロックが下降し、前部ブリーチ・ブロックが後方に傾いて薬室が開放されます。 リア・サイトは三段階の射距離に対応した起倒式となっています。 .54口径の紙薬莢またはリネン薬莢を使用する管打式のM1858と、.52口径の初期金属薬莢を使用するM1865の外観上の違いとしては、M1858では真鍮製のバレル・バンドが、M1865では鉄製に変更されている点やハンマーの形状の違いがあります。 また、フロント・サイトの基部もM1858では大型でしたが、M1865では小型化されるなど、細かな改良が施されています。
1858年1月、銃器設計者でありスタール・アームズ社 (Starr Arms Company) の創始者であったエベンザー・スタール (Ebenzer T. Starr) は、単発後装式カービンの設計図を陸軍造兵廠に提出しました。 スタールのカービンは、陸軍造兵廠でのテストで不発が少なく、精度においても当時の平均を上回ると評価されました。 また、試験官たちはガス漏れの欠点を指摘しつつも、ガス・シールが改良されればシャープス・カービンを上回る可能性があると評価しました。 この改良を経て、スタール M1858 カービンは、1858年にアメリカ陸軍によって制式採用されました。
スタール・アームズ社は、1861年から1864年の間にニューヨーク州ヨンカーズで約2万挺のM1858 カービンを生産し、北軍に納入しました。 シャープス・カービンの納入数が約10万挺だったことを考えると、その5分の1にあたります。 M1858 カービンを装備した北軍騎兵連隊には、アーカンソー第1騎兵連隊、カンザス第5騎兵連隊、ミズーリ第11騎兵連隊、ニューヨーク第24騎兵連隊が含まれます。
1865年には、初期金属薬莢を用いる改良型のスタール M1865 カービンが米国政府によって3,000挺発注され、さらに追加で2,000挺が発注されました。 しかし、1865年の米陸軍武器試験委員会 (U.S. Army Trials Board) の審査では目立った成功を収めることができず、その後の追加注文がないまま南北戦争が終結しました。 スタール M1858 カービンの納入数は約2万挺に留まりましたが、それでもスタール・アームズ社は、南北戦争中に騎兵銃の供給元として5番目の規模を誇りました。 これは、南北戦争で使用された騎兵銃がいかに少なかったかを示しています。
スタール・アームズ社は、.44口径の軍用リボルバーの供給においては、コルトやレミントンに次いで第3位の規模でしたが、南北戦争終結後、政府からの発注がなくなり、戦後わずか2年後の1867年に倒産しました。 スタール・カービンは南北戦争後には製造されなかったため、現存数はシャープス・カービンやスペンサー・カービンに比べてはるかに少なく、バリエーションもM1858とM1865の2種類のみです。 幕末には南北戦争後の余剰火器とともに日本に輸入されましたが、日本国内での現存数は限られています。
弊社では毎月欧米の古式銃のイベントに行ってますが、スタール・カービンを見かけることはまずありません。 それだけ海外でも希少価値のある品です。 (MM)
【本個体の説明】
本品の本体右側面のロック・プレートには表面錆痕により一部判読が難しくなっていますが、「STARR ARMS CO YONKERS, N.Y.」のメーカー刻印が二行で入っており、機関部後部上方にはこちらも一部判読が難しいものの、「STARR’S PATENT. SEPT. 14TH 1858」のパテント刻印が二行で入っているのが確認出来ます。 後部ブリーチ・ブロック右側面にはシリアルNo.19103が打刻されています。
本品は全体に時代が付いた良い雰囲気となっており、銃身や機関部といった金属部は、全体にやや打ち傷や表面錆痕の他、一部朽ち込み痕は見られるものの、目立った欠損等は見られず、概ねしっかりとした状態が保たれています。 木製のハンドガードやバット・ストックについては、やや打ち傷や線傷が見られる他、ロック・プレート周辺の木部に若干の欠けが見受けられ、ロア・タング周辺の木部にはやや痩せが見られるものの、全体としては概ねしっかりとした状態が保たれており、各部の取り付けもがたつきもなくしっかりとしています。 バレル・バンドやサドル・リング、バット・プレートといった真鍮部についても、やや打ち傷は見られますが、現状目立った腐食や変形等は見られません。 リア・サイトの起倒については問題なく行う事が可能です。
作動については完全で、ハンマーのハーフ/フル・コックについてはしっかりと掛かり、フル・コック位置でトリガーを引くと、ハンマーがスムーズに落ちます。アンダー・レバー後方のロックを解除してレバーを下方に操作すると、ブリーチ・ブロックがスムーズに下降します。 銃身内は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、やや表面錆は見られるものの、ライフリングも比較的はっきりと確認出来ます。 パーカッション・ニップルについては、やや変形が見られますが、現状大きな欠け等は見られません。 尚、火穴は現状通っていません。
M1858 パーカッション・カービンは、M1865 リムファイア・カービンより国内の現存数が少なく希少です。(KK)
【壬申刻印について】
本品のバット・ストック右側面には「第三千五百二十号 壬申 コクラケン」と読める壬申刻印が打刻されています。
明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。
本品には「第三千五百二十号 壬申 コクラケン (小倉縣)」の刻印が入っている事から、明治5年に小倉県で銃砲調査を受けた事が判ります。
小倉県 (こくらけん) は1871年 (明治4年) から1876年 (明治9年) にかけて豊前国を管轄するために設置された県で、現在の福岡県東部から大分県北部にあたります。 本品には昭和57年に福岡県教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いている事から、本品が壬申刻印の打刻された明治5年から登録証が交付された昭和57年まで福岡県内に存在していた事が窺えます。
【登録証情報】
(種別: 管打式銃砲、全長: 95.3cm、銃身長: 53.0cm、口径: 1.4cm、銘文: STARRS PATENT SEPT14TH 1858)
【その他の情報】
昭和57年9月16日に福岡県教育委員会で交付され、令和8年2月4日に訂正再交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、詳細画像を十分ご確認いただいた上でご注文ください。
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