商品番号:K10206
国名:日本
種類:中筒/大筒
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火縄銃 阿波十匁中筒 「陰松皮菱ニ分銅紋」真鍮象嵌 (銃砲刀剣類登録証付古式銃、在銘: 惣二重巻張 阿州笠井勝右衛門正行、明治十六年三百四十七番)

¥880,000
商品番号
K10206
発売日
2026/05/11
取扱店舗
東京店
在庫
1
英名
◯◯
種類
火縄銃
国名
日本
時代
江戸時代
全長
1,028mm
口径
18mm
装弾数
単発
【火縄銃 阿波十匁中筒 「陰松皮菱ニ分銅紋」真鍮象嵌 (在銘: 惣二重巻張 阿州笠井勝右衛門正行、明治十六年三百四十七番)について】
本品は阿波筒 (阿州筒) と呼ばれる阿州 (=阿波国、現在の徳島県) で製作された火縄銃です。 阿波の鉄砲鍛冶によって作られた典型的な阿波の中筒です。 本品は珍しい阿波筒の中筒です。 阿波筒は細筒であればかなり特徴的なので、一見して阿波の鉄砲であることが判りますが、中筒~大筒に関しては現存品も少なく研究があまり進んでいません。 しかしながら阿波の中筒/大筒も特徴があります。 細筒と同じですが銃身が肉厚で銃身の太さに比べ口径が小さいことです。 更に他国の中筒では丸銃身の上部一面だけが平らな「表一角」が圧倒的に多いのに比べ、八角銃身であり八角柑子を持つ品が多いこと、照準器に特徴があり、元目当ての形状は阿波中筒定型の凝った「透かし袖型」であること、銃床後部 (台かぶ) 部分が大きく短いこと、台 (銃床) は明るい色合いが多く、中筒であっても虎柄の縞目がある品もあることなどが上げられます。
本品は誠に立派な中筒で、重量が約○○kgもあります。 特筆すべき点は台かぶの形状が特異でかなり太く、通常の中筒とはかなり形状が異なります。 実用を考えるとかなり構え難く特別な射撃法 (流派) があったと思われます。
引金の後方にはナマコ金が設けられています。 徳島城博物館の企画展「阿波の鉄砲~鉄砲からみた阿波史」の図録にも同様の形状の中筒が掲載されていました。 徳島藩の砲術、流派が他国と違うのでしょう。 この特殊な形状の中筒が使われていたようです。 筒 (銃身) は八角銃身で、柑子も八角となっており、また銃身は肉厚で一見二十匁以上の大きさがあるように見えますが、実際の口径は約18mmで十匁です。 阿波中筒の掟通りです。 元目当ても阿波中筒で見られる典型的な「片透かし」です。 本品は阿波中筒の掟をほぼ全て押さえており、更にこれからの研究が必要な特殊な台かぶを備えた興味ある一挺です。

徳島藩祖の蜂須賀家政は鉄砲に力を入れ、火縄銃が日本に伝来してから大凡そ80年後の寛永四年 (1627年) に書かれた「幕府隠密の偵察記」には、「蓬庵ふだん鉄砲の者ほど役に立つ者無之候とて、大勢御扶持候由、鉄砲の数二千の上有之、鉄砲頭一人に二十人、三十人宛御預け、頭七十ほど御座候由」と記して鉄砲の重要性を説いています。

本品は在銘品で、銃身下面に「惣二重巻張 阿州笠井勝右衛門正行、明治十六年三百四十七番)」と入っています。「笠井勝右衛門正行」については、「全国鉄砲鍛冶銘鑑」P. 74及び「全国鉄砲鍛冶銘地域別分類」P. 308にその銘が掲載されています。阿波国では鉄砲需要が拡大した幕末期。多くの刀工が鉄砲鍛冶に転向しました。幕末期、阿波の 新々刀期を代表する刀鍛冶集団・笠井(かさい)一門も鉄砲を作った事が知られています。

【「明治十六年三百四十七番」刻印について】
本品の台(銃床)の後部下方(胴金の後ろ)に「明治十六年三百四十七番」の刻印が入っています。 これは壬申刻印に相当する検査刻印と考えられます。 「壬申刻印」とは「壬申の年(明治5年)」施行された古式銃の一種の戸籍登録番号で、本品はそれに相当するものです。 「壬申の年(明治5年)」の11年後に登録された干支では「癸未(みずのとひつじ、きすいのひつじ、きび)」にあたりますが、「癸未刻印」とは一般的には呼びません。
明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。 本品には「明治十六年三百四十七番」の刻印が入っている事から、明治16年に届け出が行われた品である事が判ります。

銃身上部後方に作域の良い「陰松皮菱ニ分銅紋」が真鍮象嵌で配されています。  「陰松皮菱に分銅紋」自体は阿波地方に減された家紋ではありません。 しかしながら、阿波国で鎌倉期に勢力を持った小笠原氏の一族が松皮菱または三階菱の家紋の様々なバリエーションを用いたので、阿波小笠原氏の流れを組む家系が使っていた家紋である可能性はあります。(MM)

【本個体の説明】
◯◯◯◯◯◯

【登録証情報】
(種別: 火なわ式銃砲、全長: 102.8cm、銃身長: 73.2cm、口径: 1.8cm、銘文: 惣二重巻張 阿州笠井勝右衛門正行)

【その他の情報】
昭和48年12月10日に徳島県教育委員会によって交付された銃砲刀剣類登録証が付いた完全可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。

古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、詳細画像を十分ご確認いただいた上でご注文ください。


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