商品番号:9643
国名:ドイツ
種類:連発式拳銃
備考:松本零士先生旧蔵品

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松本零士先生旧蔵品

プロイセン ドライゼ M1850 ニードル・ファイア リボルバー (銃砲刀剣類登録証付古式銃、#2522)

¥5,500,000
商品番号
9643
発売日
2025/03/14
取扱店舗
東京店
在庫
1
英名
Dreyse M1850 Military Needle fire Revolver
種類
連発式拳銃
国名
ドイツ
全長
312mm
口径
9mm
装弾数
6発
その他
松本零士先生旧蔵品
【プロイセン ドライゼ M1850 ニードル・ファイア リボルバー について】
ドライゼ M1850 ピストルは、Dreyse Zuendnadrevolver, Kleines Modell の名称で開発され、1850年にM1850としてプロイセン軍に採用されたリボルバーです。 針状の長い撃針を前後にダブル・アクションでスライドさせ、シリンダー内の紙製薬莢内の雷管を打つという、世界的に見ても非常に珍しい機構を持つ拳銃です。
この銃の撃発機構のアイデアとなった ドライゼ M1841 歩兵銃 は、プロイセンの銃工であったヨハン・ニコラウス・フォン・ドライゼ (Johann Nicolaus Dreyse, 1787-1867) によって発明されました。 ドライゼ M1841 歩兵銃を採用したプロイセン軍は多くの戦場で勝利を収め、その功績によりドライゼは 1864年に爵位を授与されました。
ドライゼは1824年に銃工の修行を終えて故郷のSoemmerdaに帰り、1828年に最初の特許を取得しました。 1834年には、本銃の原型ともなる紙薬莢式のシステムを発明し、最終的に歩兵銃の撃発装置にシリンダーを組み合わせた本ピストルを開発しました。 しかし、世界初の実用的なボルト・アクション式であったドライゼ M1841 歩兵銃に比べると、そのインパクトは大きくありませんでした。
ドライゼ M1850 ピストルは、あくまで士官や砲兵などの自衛用として採用されました。 (騎馬兵科では、威力の問題と価格の面から依然として単発管打式拳銃が広く使用されていました) 。 そのため、歩兵銃の名声に隠れてしまう形になりました。
ドライゼ歩兵銃 は、長い撃針が紙製薬莢を貫き、弾底の雷管を撃発させる撃発機構を持つことから、「ニードル (針) ガン」とも呼ばれました。 日本では火針銃または針打式・撃針銃、または 普 (プロイセン) 式ツンナール銃 (ドイツ語 Zuendnadelgewehr の発音「ツュントナーデル」から) とも呼ばれました。
口径は.30 in. (7.85mm) 、.35 in. (9.16mm) 、.39 in. (10.2mm) の三種類があり、これらのインチはプロイセン・インチと呼ばれる独自の規格です。
日本国内には幕末期において、徳川御三家のひとつである紀州藩がプロイセン軍制を導入したのに伴い、ドライゼ M1841 歩兵銃がドイツ人武器商人カール・レーマン によって4,300挺納入されました。 この際、藩主 徳川茂承に献上されたとされるものの、献上されたのは一挺のみだったようで、歩兵銃のようにまとまった数が輸入された記録はありません。
1868年にローディング・レバー付きの M1868が採用されましたが、当時アメリカではリム・ファイア式が主流となりつつあり、ニードル・ファイア式はすでに時代遅れとなっていました。
現在、ドライゼ M1850 ピストルは欧米でも非常に珍しい古式銃の一つとして高額で取引されています。

【本個体の説明】
本品のフレーム右側面には「Cal.0,39 4 1/2 Cent Pulv」とプロイセン・インチの表示が入っています。 (弊社在庫品のもう一挺のドライゼ M1850 ツンナール リボルバーでは、「Cal.0,35 12 Gran Pulv」の口径表示となっています) 。 フレーム左側面には唐草模様の中に2522のシリアルNo.が入っています。 フレーム上面には「v. DREYSE. SOMMERDA.」とドライゼのメーカー名と工場のあったドイツのゼンマーダーの地名 (Erfurt造兵廠のあった場所から10km程北部) が入っています。 この「v. DREYSE.」の刻印は、1864年にドライゼが爵位を授かって以降の後期の製品に見られ、それ以前は「F. DREYSE.」のメーカー刻印が用いられていました。

本体の鉄の表面部分は全体的に時代錆が付いているものの、再仕上げされていないオリジナルの状態です。 一体型のフレームと銃身、トリガー・ガードには唐草模様の毛彫り彫刻が入っており、そしてフレーム後部には銀象嵌の模様が入った、軍用銃にもかかわらず装飾性がある美しい品です。 銃そのものは非常にしっかりとした、ガタの全くないキッチリとした造りです。
本品の銃身やフレーム、シリンダーといった金属部には、大部分にオリジナルのブルー仕上げが残っており、若干の経年による褪色や許容範囲内の朽込み痕が見られるものの、総じて良好な状態が保たれています。 他のリボルバーにはない大型木製グリップは、打ち傷なども最小限で、オリジナルのニス仕上げとチェッカリングも完全です。 トリガーを引くとダブル・アクションによりシリンダーが歯切れ良く回転し、コッキング・ピースが前後します。 銃身内は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、ライフリングも深くはっきりと確認出来ます。 (MM)(KK)

【壬申刻印 について】
本品のオクタゴン (八角型) 銃身の上面には「壬申五百五十四番和歌山県」の壬申刻印が入っています。 「壬申刻印」とは古式銃の一種の戸籍番号に相当します。
明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。 本品は「壬申 一一八番 和歌山縣」の刻印が入っている事から、明治5年に和歌山県に届け出が行われた品である事が判ります。

本品は澤田平氏著「日本の古銃」P.193に載っている品と同一個体の所載品です。 同書によると「本銃は、紀州藩のツンナール銃の大量発注に際して、キニフラウ社から藩主に献上された品である (写真付)」と書かれている事から、和歌山藩主が武器商人から贈られた品と言われています。

【登録証情報】
(種別: 管打式銃砲、全長: 31.2cm、銃身長: 15.3cm、口径: 0.9cm、銘文: 壬申五百五十四番和歌山縣)

【その他の情報】
昭和56年3月10日大阪府教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。 無可動実銃ではありません。

古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、詳細画像を十分ご確認いただいた上でご注文ください。


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