国名:ドイツ
種類:単発式拳銃

プロイセン王国 M1850 騎兵拳銃 (1851年Potsdam王立造兵廠製、銃砲刀剣類登録証付古式銃)(佐)

¥880,000
商品番号
8973
発売日
2024/08/01
取扱店舗
東京店
在庫
1
英名
Prussian M1850 Cavalry Single Shot Pistol used by Hussar Reg
国名
ドイツ
全長
383mm
口径
15mm
【プロイセン王国 M1850 騎兵拳銃 (第七軽騎兵連隊使用品、1851年Potsdam王立造兵廠製)について】
M1850 騎兵拳銃は帝政ドイツのプロイセン王国で1850年に制式採用された騎兵用の大口径(15mm)の単発管打ち式軍用拳銃です。 8.5インチのテーパーが付いたスムース・ボアのラウンド・バレルに銃口がキャノン・バレルと呼ばれるマズル・クラウン部分にリブ補強の付いた当時のプロイセン王国軍用拳銃独特のものです。 同時期に制式となった6連発紙薬莢を使用するニードル・ファイアのドライゼ拳銃と比べると非常にオールド・ファッションな形式の拳銃です。 しかしながら、軍用拳銃として不可欠な信頼性と大口径なのが騎兵隊員には喜ばれました。 当時騎兵はサーベルや槍を主武装とし、拳銃はあくまでも補助用として使用されました。プロイセン騎兵隊は軍馬のサドルの両サイドに付けたサドル・ホルスター(pommel holsters)に一丁ずつ計二丁の本銃を装備しました。 本銃の特徴はハンマーの前にフリントロックの様なセーフティ部品が付いており、暴発を防止するのと、パーカッション・キャップが脱落するのを防ぎました。 そのように単発でも信頼性があって威力のある本銃が軍用として用いられたのも頷けます。M1850 騎兵拳銃は普仏戦争(1870年)でも主要騎兵用拳銃として使用されました。 M1850 騎兵拳銃が第一線を退いたのは1879年に金属薬莢(センター・ファイア)を用いるダブル・アクション 6連発の「M1879 Reichsrevolver」が採用されるまで続きました。 M1850 騎兵拳銃はPotsdamとSaarnにあった王立造兵廠の他にValentin Christian Schilling (V.C.S.)社、Spangenberg & Company (S&C)社、Spangenberg & Sauer (SP&SR)社などの民間の銃砲メーカーでも製造されました。 Saarn王立造兵廠では1851年から1862年まで生産され、Erfurtに移転してからはM1850 騎兵拳銃は生産されませんでした。 1862年以降は本銃の生産所であるPosdam造兵廠が唯一の王立造兵廠となりました。ドイツ語でHusarenpistole (軽騎兵用拳銃) と呼ばれる、騎兵用官給品で当時の列強の騎兵拳銃とも共通する大口径 (15mm) の単発管打式軍用拳銃になっています。(MM)

【本個体の説明】
本品は帝政ドイツのプロイセン王国ラインラント軽騎兵第7連隊第3中隊の第17番目の装備銃として使用された品です。 真鍮製のトリガー・ガードに打たれた「7.R.H.3.17.」の刻印がそれを明確に表しています。「H 」は軽騎兵(Husaren)、「K」は重騎兵(Kuerassieren)、「U」は槍騎兵(Uhlan) を表しますので、本品はプロイセン陸軍内でもエリートである騎兵連隊でも特に伝統があるドイツ皇帝「Koenig WILLIAM I」の名前を冠したプロイセン王国ラインラント軽騎兵第七連隊「7.R.H」が使用した事を物語っています。 その後の「3」は中隊番号で、「17」は中隊の中での番号です。 銃身の裏側(木部で隠れている部分)とサイド・ロック・裏側にはシリアル No.の「SO 471」が、そして多くの部品に「15」の通し番号が入っています。 また、銃身裏側には「HM」の刻印が見られます。

ロック・プレートにはPotsdam王立造兵廠製を表す「Potsdam, G.S.」の刻印が見られ、銃身左上面には製造年を示す「1851」の刻印があります。 また、銃身右上面には「1866」の刻印も見られます。これらの刻印から本品は1851年Potsdam王立造兵廠製で、1866年にオーバーホールされた事を示しています。

部品にプロイセン王国の検査刻印が打たれています。 後の第三帝国の「アムト刻印」に相当する検査刻印です。 銃身、サイド・ロック等の金属部分全体に時代錆が出ています。木部は経年の時代色が付いていますが、一部に艶が残った比較的良い状態です。 大きな傷や修理痕はありませんが、気にならないような小さな当たり傷が数ヵ所あります。

作動については完全で、ハンマーのハーフ/フル・コック共にしっかりと掛かり、フル・コック状態でトリガーを引くと、ハンマーが力強く落ちます。 特徴的なセーフティについても、テンションがしっかりと効いており、問題なく機能致します。 ハンマー及びパーカッション・ニップルの状態についても概ね良好で、現状目立った欠けや変形などは見受けられません。 銃身内は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、火穴も抜けています。 非常に程度の良い品です。

本品はプロイセン王国で使用され後、幕末期に日本に輸入された品です。 弊社でも19世紀の主要国制式拳銃は入荷する事が少なく、無骨な軍用銃の魅力がある品です。 プロイセン王国軍用銃(若しくはプロイセンの発明家の特許)独特のセーフティが付いた品は珍しいです。 一見するとフリントロックのフリズンと見間違えるほど、一般にはない構造で希少価値があります。 19世紀に製造国で使用した部隊が判明している、そしてその連隊がエリート連隊である事も非常に興味深いです。 (MM)

【プロイセン王国軽騎兵第七連隊について】
正式名称はプロイセン王国軽騎兵第七連隊“ヴィルヘルム一世"(第一ラインラント軽騎兵連隊)[Husaren-Regiment "Koenig Wilhelm I.“ (1.Rheinisches) Nr. 7]で、Rheinland (ラインラント= ドイツ西部,ライン川中・下流域の歴史的呼称)の第一軽騎兵連隊(1. Rheinisches)として1815年に創設された由緒ある騎兵連隊です。 そのため後のヘルメットに相当する毛皮で覆われたバスビーで他の軽騎兵連隊のバズビーとは異なり独自の前章を用いたエリート連隊を表しています。連隊所在地は1852年よりBonnで、現在のノルトライン=ヴェストファーレン州にあたます。この地域はナポレオン戦争の際はライン川西岸一帯と共にフランスの占領下に降りました。 19世紀初頭(1815年)のウィーン体制(ウィーン議定書)の発足とともにプロイセンの支配下におかれました。 連隊の称号は"Koenig Wilhelm I (プロイセン王、後のドイツ皇帝ヴィルヘルム一世)"です。プロイセン王国軽騎兵第七連隊は1866年の普墺戦争(独: Deutscher Krieg)、1870/71年の普仏戦争(独: Deutsch-Franzoesischer Krieg)に従軍しているので、それらの戦いで使用された可能性は十分あります。(MM)

【その他の情報】
令和6年7月16日に岡山県教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。最近の再審査に通った間違いのない品です。

古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、詳細画像を十分ご確認いただいた上でご注文ください。


銃砲刀剣類登録証記載情報
(種別: 管打ち式銃砲、全長: 38.3cm、銃身長: 22.2cm、口径: 1.5cm、銘文: 無銘)
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