- 国名:日本
種類:狭間筒/侍筒
- 【火縄銃 長州五匁士筒 (在銘: 鍛二重巻張 嘉永六癸丑春調之 長州住山口宗右衛門義惟作 岡村新一藤原倫叙謹戯)について】
本品は口径が実測15.9mmの五匁中筒で、本体重量は約4,20kgの比較的軽量な品となっています。 全体的な形状から上野国(群馬県)の荻野六兵衛安重(1613―90年)が興した荻野流傍系でないかと思います。 高島秋帆が荻野流砲術を基に製作した十匁筒を、 天保10年(1839)5月に書き写した「高島所持荻野流拾匁筒之図」に載っている絵図に全体的な形状は似てはいますが、輪束穴はありませんので「荻野流傍系」と思います。
本品は長銘の在銘で、銃身下面には「鍛二重巻張 嘉永六癸丑春調之 長州住山口宗右衛門義惟作 岡村新一藤原倫叙謹戯」の銘が切られています。 「長州住山口宗右衛門義惟作」の部分が鉄砲鍛冶の銘で「山口宗右衛門義惟」は「全国鉄砲鍛冶名鑑 」のP.291に、「全国鉄砲鍛冶銘地域別分類」のP.183にその銘が長州 (=長門国、現在の山口県) 住の鉄砲鍛冶として掲載されています。
「嘉永六癸丑春調之」の「癸丑」とは60通りある 干支 かんし の一つで、ペリーが浦賀へやってきた嘉永六年(1853年)年を指します。 時代の動きを大きな尺度で捉えようとした時に明治人が選んだのが「癸丑以来」という認識の枠組みでした。 ペリー来航を起点として欧米を中心とする世界システムへの日本の組み込みが始まります。「嘉永六癸丑春調之」とは「嘉永六年(1853年)の春に之を調べた」の意味と思われます。
「岡村新一藤原倫叙謹戯」は所持人名と思われますが詳細は判っていません。 非常に珍しい長銘を切った品で、この銘文から本品の来歴/伝来などが判る可能性のある興味深い一品です。
本品は全体的な形状から上野国(群馬県)の荻野六兵衛安重(1613―90年)が興した荻野流でないかと思います。 荻野流は江戸時代初期の寛文年間(1661-1673年)頃創始された、正木流など十二流派の砲術を極めた、和流砲術の一流派です。 安重の子である六兵衛照清(てるきよ)は大坂で私塾を持って流派を広げ各藩から入門者が多く、江戸時代を通じて最も流行した。砲術家の坂本天山や高島秋帆(たかしましゅうはん)を輩出しました。 特に大砲術に力を入れ、荻野流の現存品は本品のような中筒(十匁前後)の品に多く見られます。 射撃法/火薬調合法/砲丸の種類や扱い方などについて解説した指南書が現存しています。 また高島秋帆が荻野流砲術を基に製作した十匁筒を、 天保10年(1839)5月に書き写した「高島所持荻野流拾匁筒之図」が残されており、本品はその図に近いな形状をしています。(MM)
【本個体の説明】
銃床下部に「武具」の焼印
尾栓は現状では固着していますが、ねじ込み部分の基部には大きな錆は出ておらず、外れそうに見えます。 カラクリの作動については至極完全で、火挟を起こした際のロックはしっかりと掛かり、火挟が起きた状態で引金を引くと、火挟が力強く落ちます。 木製のカルカ (さく杖) が付属致します。(MM)
【登録証情報】
(種別: 火なわ式銃砲、全長: 108.0cm、銃身長: 69.2cm、、口径: 1.5cm、銘文:鍛二重巻張 嘉永六癸丑春調之 長州住山口宗右衛門義惟作 岡村新一藤原倫叙謹戯)
【その他の情報】
昭和48年5月17日に広島県教育委員会によって交付された銃砲刀剣類登録証が付いた完全可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。古式銃は約160年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、詳細画像を十分ご確認いただいた上でご注文ください。
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