- 国名:アメリカ合衆国
種類:小銃/散弾銃
- 【スタール M1865 カービン について】
スタール M1865 カービンは南北戦争で使用された紙製またはリネン製薬莢を使用する単発後装の外火管打ち式騎兵銃であるスタール M1858 カービンの改良型で、初期の縁打式金属製薬莢を用いるモデルです。
シャープス・カービンと同様に機関部下部にアンダー・レバー (Pull-down Trigger Guard/Lever) が設けられていますが、ブリーチ・ブロックが前部と後部の二つの部品に分かれています。 アンダー・レバーを下方に操作する事によって、後部ブリーチ・ブロックが下降します。 ハンマーは独立しており、装填レバー操作とは別にハンマーを起こす必要がありました。 装填時にはまずハンマーを起こしてから、アンダー・レバーを下方に操作すると前部と後部のブリーチ・ブロックの両方が下がって薬室が開放されます。 この方法がシャープス・カービンと大きく異なります。 リア・サイトは破損する可能性が少ないしっかりとした起倒式の三段階です。 スタール・カービンは.54口径の紙薬莢またはリネン薬莢を使用する管打ち式のM1858と.52口径の初期金属製薬莢を用いるM1865の二種類が存在し、バレル・バンドがM1858は真鍮製、M1865は鉄製となっている点やハンマー形状の違いが外観上の変更点となっています。 また、細かな改良点として、フロント・サイト基部がM1858では大きく、M1865では小型化されました。
1858年1月に銃器設計者でありスタール・アームズ社 (Starr Arms Company) の創始者であったエベンザー・スタール (Ebenzer T. Starr) は、単発後装式カービンの設計図を陸軍造兵廠に提出しました。 スタールの設計したカービンは陸軍造兵廠でのテストで不発が少なく、精度においても当時の平均を上回っていると評価されました。 造兵廠の試験官達はガス漏れの欠点についても、ガス・シールが改良されれれば当時のライバルであったシャープス・カービンに勝ると評価しました。 その後、改良を施されたスタール・カービンは1858年にModel 1858としてアメリカ陸軍によって制式採用されました。 1861年から1864年の間にかけて、約20,000挺のスタール M1858 カービンがニューヨーク州Yonkersのスタール社によって生産され北軍に納入されました。 シャープス・カービンの納入数が10万挺だったので、その五分の一にあたります。 スタール M1858 カービンを装備した北軍騎兵 (Union Cavalry) 連隊は、アーカンソー第一騎兵連隊、カンサス第五騎兵連隊、ミズーリ第十一騎兵連隊、ニューヨーク第二十四騎兵連隊です。 1865年には3,000挺の初期金属製薬莢を用いるスタール M1865 カービンが米国政府から発注を受け、更に追加で2,000挺の発注が有りました。 スタール・カービンは南北戦争中の消耗戦において効果的である事が証明されましたが、1865年の米陸軍武器試験委員会 (U.S. Army Trials Board) の審査では必ずしも成功を収めたとは言えず、その後の追加注文がないまま南北戦争が終結しました。 尚、南北戦争で北軍に納入されたスタール M1858 カービンは僅か2万挺程でしたが、スタール・アームズ社は南北戦争中では5番目に大きな騎兵銃の米軍納入元でした。 いかに南北戦争で使用された騎兵銃が少ないか判る情報です。 スタール・アームズ社は.44口径の軍用リボルバーについてはコルト、レミントンに次いで3番目の大きな納入元であったのにもかかわらず、南北戦争終結と同時に米国政府からの発注もなくなり、早くも終結2年後の1867年に倒産しました。 スタール・カービンは南北戦争後には製造されなかったため、現存数がシャープス・カービンやスペンサー・カービンに比べ遥かに少なく、バリエーションもM1858とM1865の二種類のみで、日本国内における現存数も限られています。 幕末には南北戦争後の余剰火器と一緒に日本にも輸入されました。
弊社では毎月欧米の古式銃のイベントに行ってますが、スタール・カービンを見かけることはまずありません。 それだけ海外でも希少価値のある品です。 (MM)(KK)
【本個体の説明】
本品の機関部後部上方に「STARR’S PATENT, SEPT. 14TH 1858」のパテント刻印が二行にわたって打刻されており、本体右側面のサイド・プレートにも「STARR ARMS CO., YONKERS, N.Y.」のメーカー刻印が二行にわたって比較的ハッキリと入っています。 銃身上部にはやや判読しづらいものの、「STARR ARMS Co YONKERS, N.Y.」の刻印がしっかりと打刻されています。 シリアル No.の37508は銃身の薬室右側面に入っています。 また、ストック左側面のサドル・リングのすぐ後ろには非常に薄くなっていますが、Samuel T. Bugbeeのものと思われるCartoucheと呼ばれる検査官刻印 (STB Cartouche) が入っています。 Bugbee検査官は1864年の丸一年と1865年の南北戦争終結までニューヨーク州のYONKERSにあるスタール造兵廠(Starr Armory)のカービンを合衆国政府から派遣されて検査した記録が残っています。 これによって本品は南北戦争で使用または合衆国政府で準備されていたことが裏付けされています。
本品の銃身には「壬申六百三十一 岐阜縣」の刻印が入っており、銃床にもほぼ同時代に国内で打刻されたと考えられる「再改」という刻印が確認できます。
明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。 本品には「壬申六百三十一 岐阜縣」の刻印が入っている事から、明治5年に岐阜県で銃砲調査を受けた事が判ります。 また、本品には岐阜県教育委員会が交付した登録証が付いている事から、本品が銃砲調査を受けた明治5年から登録証が交付された昭和27年頃まで岐阜に存在していた可能性が考えられます。
本品は国内に幕末から存在していた古式銃としては良好な状態が保たれており、銃身や機関部といった金属部については、やや時代錆は表れているものの、目立った欠損などは見受けられず、銃身のブルー仕上げも比較的良好に残っています。 機関部については元々ケースハードゥン仕上げであったものが白磨きのようになっていますが、オリジナルの雰囲気はそのまま保たれています。 木製のハンドガードやバット・ストックについても、やや打ち傷や線傷こそ散見されるものの、目立った破損等は見られず、各部の取り付けもがたつきもなくしっかりとしています。 傷みやすいバット・プレート部分はやや表面錆や朽ち込み痕が見受けられるものの、こちらも大きな変形等は見られず、銃床への取り付けについてもがたつきもなくしっかりとしています。 作動については完全で、アンダー・レバーによるブリーチ・ブロックの開閉操作については問題なく、エキストラクターも正常に作動致します。 ハンマーのハーフ/フル・コックについてもしっかりと掛かり、フル・コック状態でトリガーを引くとハンマーが力強く落ちます。 銃身内は銃口から薬室まで抜けており、ライフリングもはっきりと確認できます。 リア・サイトの既倒についても問題なく行う事が可能です。 手作りの無垢真鍮製ダミー弾が付属致します。
明治5年から昭和27年頃まで岐阜に存在していた事が資料的価値の?發ど覆如∨詼?に国内に入った古式銃としてはコンディションも総じて良好な品です。 作動についてもしっかりとしており、スタール M1865 カービンの特徴的なブリーチ・ブロックの作動が楽しめる逸品です。 (KK)
【その他の情報】
昭和27年2月7日に岐阜県教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、詳細画像を十分ご確認いただいた上でご注文ください。
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