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US New Haven Arms社 ヘンリー M1860 ライフル (銃砲刀剣類登録証付古式銃、#5149) |
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価格(税込)
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\9,900,000 |
商品番号
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【9845】 |
英 名
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US New Haven Arms Henry M1860 Rifle |
種 類
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古式銃(登録証付)、レバー・アクション、東京店在庫品 |
国 名
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アメリカ合衆国 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,112mm |
口 径
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10mm (.44 Henry) |
装 弾
数
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16発 |
在 庫
数
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限定1品 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【New Haven Arms社 ヘンリー M1860 ライフル について】
1860年に米国のベンジャミン・タイラー・ヘンリー (Benjamin Tyler Henry) により開発された、.44口径のリムファイア弾を使用するレバー・アクション式の連発銃です。
1847年にニューヨークの銃器職人ウォルター・ハント (Walter Hunt) が「ボリショナル・リピーター (Volitional Repeater)」と呼ばれる連発銃の特許を取得すると、その後の小火器に大きな影響を与える一連のレバー・アクション式連発銃の開発が始まりました。 ウォルター・ハントの設計したライフルは、チューブ型弾倉を備えたレバー・アクション式の連発銃で、いわゆるロケット弾を薬室に送り込むものでした。 このチューブ型弾倉とレバー・アクション機構を組み合わせたウォルター・ハントの設計は、その後ヘンリー・ライフルやウィンチェスター・ライフルに受け継がれる事となりましたが、当時はこのような後装銃に適した弾薬が存在しておらず、実用化にはさらなる改良が必要とされました。
ウォルター・ハントの設計は、その後ホレス・スミス (Horace Smith)、ダニエル・ウェッソン (Daniel Wesson)、ルイス・ジェニングス (Lewis Jennings)、リチャード・ローレンス (Richard Lawrence)、ベンジャミン・タイラー・ヘンリー、オリバー・F・ウィンチェスター (Oliver F. Winchester) といった銃器設計者へと受け継がれ、レバー・アクション式連発銃の改良が続けられました。 ルイス・ジェニングス及びその後ジェニングスとホレス・スミスが開発したライフルは、ロケット弾薬に十分な量の発射薬を装填することができなかったため、深刻な威力不足に悩まされました。 その後、スミス & ウェッソン社とニューヘイブン・アームズ社 (New Haven Arms Company) で製造されたボルカニック連発銃 (Volcanic Repeater) は、この点について若干の改良が加えられました。 ニューヘイブン・アームズ社の工場監督者であったベンジャミン・タイラー・ヘンリーは、これらの設計をさらに発展させる形で連発機構の機械的な改良や連発機構に適した金属製リムファイア・カートリッジの開発に着手しました。
ベンジャミン・タイラー・ヘンリーは、ニューヘイブン・アームズ社社長のオリバー・F・ウィンチェスターから、ライフルに使用するための十分な威力を持つ、.44口径のリムファイア式金属薬莢の弾薬を開発するよう指示を受けると、1858年初頭にダニエル・ウェッソンによって開発された.22口径のリムファイア弾を用いて実験を開始しました。 この弾薬は機能的には問題なかったものの、口径が小さすぎた事から性能を実験するためには威力が不足していました。 ヘンリーは、弾底部のフランジ (張り出した突縁部) を大きくしたオリジナルのデザインをもとに、より大きな口径の弾薬の試作を繰り返し、最終的に独自の.44口径の金属薬莢式リムファイア弾薬を開発するに至りました。 初期のスミス&ウェッソンで開発された弾薬の初速が500フィート/秒であったのに対し、ヘンリーの弾薬は1,200フィート/秒を発揮しており、その優位性は明らかでした。 また、新しいヘンリーの弾薬は銃口やブリーチからのガス漏れを解決し、発射済み薬莢の抽出も容易な設計となっていました。 この の製造は1861年にニューヘイブン・アームズ社で開始されました。 尚、この新型弾薬に合わせて、ライフル本体にもいくつかの変更が加えられる事となりました。 具体的には、フレーム・サイズの拡大、銃身の口径と薬室の拡大強化、撃針とボルトの改良、発射済み薬莢の排出方法の改良等が挙げられます。 ヘンリーはこれらの改良を取り入れた全く新しいライフルを設計し、1860年10月16日にパテントを取得しました。
南北戦争直前のこの時期、ニューヘイブン・アームズ・カンパニーは、当時のすべての銃器メーカーに共通していた運転資金の不足や熟練労働者の高コストという問題に直面していました。 負債が膨らみ、収益性のある軍用銃器の契約受注が見込めなかった事から、ヘンリーが改良したライフルと弾薬の設計に対して、会社はロイヤルティはおろか現金決済すらできない状態であったと言われています。 当時の慣習では、オリバー・F・ウィンチェスターの指示により、ヘンリーのライフルに関する特許はウィンチェスターに譲渡され、直接的な金銭的補償の規定はありませんでした。 しかしながら、新型のライフルと弾薬を設計した見返りとして、ヘンリーは当時年間1,500ドルだった固定給の監督官ではなく、ヘンリー・ライフルの製造から得られた利益を受け取ることに同意しました。 この契約に基づき、ヘンリーはその後5年間で、通常の給料のちょうど2倍にあたる15,000ドルを受け取る事となりました。 また、この契約により、ヘンリーはニューヘイブン・アームズ社の工場内で、当時「インサイド・コントラクター」と呼ばれていた職務に就くこととなり、同社の機械、工具、材料を使用して最初の5,000挺のライフルの生産を監督しました。 ヘンリーは労働者の監督及び報酬支払いの責任者となり、完成したライフルはニューヘイブン・アームズ社に定価で売却されました。 これによりヘンリーは定価と経費の差額を利益として得る事となりました。 さらに、彼はもはや特許を所有していなかったものの、ライフルにはヘンリーの名前、そして弾薬にも彼のイニシャルである「H」のヘッド・スタンプが打刻されました。 1866年の終わりには、ヘンリーが開発した新型ライフルと金属製弾薬の設計により、それまでほとんど倒産状態であった会社の財政状態が大幅に改善しました。
ヘンリー・ライフルの登場により、ボルカニック銃及びロケット弾の製造は終了し、ニューヘイブン・アームズ社の全生産能力はヘンリー・ライフル及びその弾薬に集中する事になりました。 オリバー・F・ウィンチェスターは販売とマーケティングを担当し、軍から有利な契約を獲得することを望んでいましたが、ヘンリー・ライフルは南北戦争の戦場では一定の成功を収めたものの、軍からの大口の受注を獲得するには至りませんでした。 しかしながら、ヘンリー・ライフルとその発展型であるウィンチェスター・ライフルは、南北戦争後にアメリカの開拓者や牧場主、ハンターらによって多く用いられる事となり、商業的な成功を収める事となりました。 (KK)
【本個体の説明】
本品のリア・サイト後方の銃身上面にはシリアルNo.5149が打刻されており、このシリアルNo.から本品が1864年に製造された品である事が窺えます。 南北戦争 (1861年-1865年) の後半に製造された品で、南北戦争で使用された可能性が非常に高い品です。 また、リア・サイト前方の銃身上面には「HENRY'S PATENT OCT. 16. 1860」のパテント刻印に加えて、「MANUFACT'D BY THE NEW HAVEN ARMS CO. NEWHAVEN, CT.」のアドレス刻印が二行にわたってはっきりと入っています。 本品はヘンリー・ライフルとしては後期の生産品のため、バット・プレートの角は尖った形状となっており、レシーバー上面にリア・サイト取り付け用のアリ溝が設けられていない仕様となっています。 本品は、銃身及びバット・ストック左側面のスリング取り付け金具が取り外され、バット・ストックのスリング金具を取り付ける位置には、楕円形 (スリング金具基部と同じ大きさ) の洋銀製と思われるプレートが埋め込まれており、当時の持ち主のイニシャルと思われる「1865 J.H.W.jr」の文字が刻まれています。 この事から、前後のスリング金具は南北戦争終結後の1865年頃に、軍から民間に払い下げられた後で取り外されたものと考えられます。 左側面の銃身とチューブ型弾倉の間の溝には、スリング金具を取り付けていたネジの取り付け痕が僅かに確認出来ますが、外観上は殆ど目立ちません。 本品の真鍮製フロント・サイト・ブレードは、後半部が切除されて、前後長がやや短くなっています。
本品は日本国内において銃砲刀剣類登録証付古式銃として所持できるヘンリー M1860 ライフルとしては、オリジナル度も高く、素晴らしいコンディションが保たれています。 本品の銃身は全体にやや経年による褪色や若干の表面錆が見受けられるものの、目立った欠損等は見られず、製造された時代及び幕末から国内に存在していた事を考慮すれば、非常に良好な状態と言えます。 アンダー・レバーについても、やや表面錆は見られるものの、オリジナルのケースハードン仕上げも一部に確認でき、コンディションは概ね良好です。 真鍮製 (実際は砲金製) の機関部についても、程良い時代が付いた、製造された時代に相応しい雰囲気となっており、傷等は最小限で、欠損や腐食等も見受けられない良好な状態が保たれています。 木製のバット・ストックについても、極僅かな小傷や線傷はありますが、全く気になりません。 木部にはオリジナルの艶も完全に残っています。 傷み易いバット・プレートについても、打ち傷や摩耗等は殆ど見られず、美しい時代が付いています。 ストック内コンパートメントの蓋の開閉についても問題なく行う事が可能です。 リア・サイトの調整についても問題ありません。
作動についても完全で、装弾レバーを下げると装弾エレベーターが上昇し、同時にボルトが後退してハンマーをコックさせます。 ハンマーのフル・コックはしっかりと掛かり、トリガーを引くとハンマーがスムーズに落ちます。 特徴的な弾倉の機能についても問題なく、マガジン・チューブ下部のフォロワーを前方にスライドさせた後、マガジンの前部を回転して装填口を露出させ、前方より行う、独特の装填操作もお楽しみいただけます。
【壬申刻印について】
本品のバット・ストック右側面には、非常に薄くなっていますが「壬申百九十番臼杵県」の壬申刻印が確認出来ます。 「壬申刻印」とは古式銃の一種の戸籍番号に相当します。
明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。
本品は「壬申百九十番臼杵縣」の刻印が入っている事から、明治5年に臼杵縣 (臼杵県) に届け出が行われた品である事が判ります。 臼杵県は、1871年 (明治4年) の廃藩置県により、旧臼杵藩を基に設置された県です。 しかしながら、同年中に他の地域と統合され、豊後国全体が大分県として再編されました。 現在の大分県臼杵市周辺がその範囲に該当します。
銃砲刀剣類登録証の付いたヘンリー M1860 ライフルは、国内でも現存数が極めて少ない博物館級の超希少品です。 専門店の弊社ならではの複数在庫品ですが、一般的には売り物には出ない品で、本品はその中でもトップクラスの品です。 (KK)(MM)
【登録証情報】
(種別: 紙薬包式銃砲、全長: 111.2cm、銃身長: 59.2cm、口径: 1.0cm、銘文: HENRYS PATENT OCT 16 1860 MANUFACTD BY THE NEW HAVEN ARMS CO. 壬申百九十番臼杵県)
【その他の情報】
昭和61年7月24日に東京都教育委員会によって交付された銃砲刀剣類登録証が付いた完全可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
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