株式会社 シカゴレジメンタルス イメージ お電話でのお問い合せは東京:03-3802-8707 /大阪:06-6306-3785
SPECIALIZING IN MILITARY                    ANTIQUE

                           
ホーム
商品検索
商品検索ヘルプ
アクセサリー
参考書籍
店舗紹介
スタッフ紹介
ニュース
フリーニュースレター
ご注文について
お問い合せ
よくあるご質問
弊社掲載記事、広告
個人情報保護方針
会社概要
ギャラリー
採用情報
リンク
サイトマップ
カタログ
ガゼットしおり
ブログでの紹介品
ブログでの紹介品
初めての方はこちら

「売約済」「商談中」
「SOLDOUT」
等の表記について、詳しくは こちらをご覧下さい。

「デッド・ストック」
「未使用新品」
等の記載についての説明は、こちらをご覧下さい。


◉US コルト M1860 アーミー リボルバー (登録証付、4 Screw Model、彫刻入、#35881) new
一覧へ戻る
関連商品情報
現在この商品に関連するアクセサリーはございません。
現在この商品に関連する書籍・ビデオはございません。
予約はこちら
  ▲クリックで拡大画像をご覧いただけます。
  Copyright© Chicago Regimentals Co. , Ltd. All Rights Reserved.
価格(税込)
 お客様ご連絡中 \5,500,000
商品番号
 【9752】
英  名
 Colt M1860 Army Revolver, New York Style Engraved
種  類
 古式銃(登録証付)、東京店在庫品、Curio Magazine 記事候補、松本零士先生旧蔵品
国  名
 アメリカ合衆国
時  代
 第一次大戦前(〜1914)
全  長
 355mm
口  径
 11mm
装 弾 数
 6発
在 庫 数
 お客様ご連絡中
画像について
 画像は現物です。
コメント
 【コルト M1860 アーミー リボルバー について】
コルト M1860 アーミー リボルバーは、サミュエル・コルト社 (Samuel Colt、現在のColt Firearms社) で1860年から1873年まで製造された軍用リボルバーです。
コルト社は1851年に発売した.36口径のコルト M1851 ネービー リボルバーを基に、.44口径にボア・アップしたモデルを1860年に発売しました。 南北戦争 (1861年-1865年) ではM1851 ネービー リボルバーと共に主要拳銃として使用されました。 コルト社のパーカッション・リボルバーの特徴として、銃身部分とフレーム部分がシリンダーを挟むように、前後に分解出来る構造になっている点が挙げられます。 この構造により、バレル・ウェッジと呼ばれる「楔」のような小さな部品を右から左に押し出す事によって、銃身部分とフレーム部分が容易に分離します。 M1860 アーミー リボルバーは、全て.44 口径の6連発のモデルで、ペーパー・カートリッジ (Paper Cartridge) と呼ばれる、紙に包まれた弾薬を使用しました。 M1860 アーミー リボルバーのフレームはM1851 ネービー リボルバーと同サイズですが、シリンダー前部の三分の二を.44口径に対応するために肉厚にした上でボア・アップされています。 そのため、フレームとシリンダーが干渉するのを避ける目的で、フレームの一部 (シリンダー下部と接する部分) が一段低くなっているのが外見上の特徴です。 M1851 ネービー リボルバーがオクタゴン・バレルであったのに対して、M1860 アーミー リボルバーはラウンド・バレルで流線的なデザインになっており、同じフレームを使用していながら全く異なるイメージがあります。 しかしながら、その基本構造は両モデルとも共通しています。 銃身長7.5インチであった極初期型を除き、M1860 アーミー リボルバーの銃身長は8インチのみです。 先に発売された.36口径のM1851 ネービー リボルバーよりも大口径であった事から、軍用としての威力はM1851 ネービー リボルバーを凌いでいました。 最も大きな販売先はアメリカ政府で、生産数20万挺の内、12万7千挺以上 (記録に残っているものだけでも127,156挺) が政府に納入されており、これが本銃が軍用専用と言われる所以です。 M1860 アーミー リボルバーは、米本国のコルト社工場のみで生産されました。 シリンダーには1843年のカンペチェ海戦 (Naval Battle of Campeche) でテキサス海軍がメキシコ海軍を破る場面がエングレービングされています。
蛇足になりますが、M1860 アーミー リボルバーの呼称は、20世紀になってからコレクターが便宜上付けたもので、発売当時のコルト社カタログでは「Colt Holster Pistol, Enlarged Caliber」と呼称されています。 尚、M1851 ネービー リボルバーのメーカーにおける呼称は、「Colt Revolving Belt Pistol of Naval Caliber」です。 (MM)

【本個体の説明】
本品はM1860の中でもフレーム左右側面にショルダー・ストック取り付け用スクリューのある 4 Screw Modelと呼ばれるミリタリー・モデルです。 また、フレームのリコイル・シールド両側面下部分に専用のショルダー・ストック取り付け用の切り欠きが設けられている他、グリップ・フレーム下部にストックを固定する為の溝が設けられています。 ショルダー・ストックが装着可能な軍用モデルは、シリアルNo.が概ね50,000までに製造された品で、その大半が合衆国政府に納入されました。 尚、フレームのスクリューが3本のみ (ショルダー・ストックを固定する短いネジ無し) のシビリアン (民間向け) モデルには、ストック取り付け用の切り欠きは設けられていません。 しかしながら、シビリアン・モデルは軍用向けモデルよりも金属部の仕上げが丁寧に行われていました。
本品の銃身上面には一部薄くなっていますが、「-ADDRESS COL SAML COLT NEW-YORK U.S AMERICA-」の刻印が確認出来ます。 コルト社は当初、リボルバーの銃身上面に本社所在地であったNew Yorkのアドレス刻印を打刻していましたが、その後1860年〜1861年頃にかけて、南部に多かったコルト社の顧客に配慮して、当時奴隷解放運動の中心地と見做されていたNew Yorkから同社工場の所在地であるコネチカット州のHartfordへとアドレス刻印が変更されました。 しかしながら、その後1861年の南北戦争勃発に伴い、南部の顧客の大半がアメリカ連合国側に付いたため、再び銃身のアドレス刻印がNew Yorkへと戻されたと言われています。 本品はNo.35881のシリアル番号から1862年製造の個体ですので、銃身刻印が再びNew York刻印へと戻された南北戦争勃発直後に製造された個体である事が分かります。
本品の銃身やフレーム、シリンダー、トリガー・ガードといった金属部には「New York Style」と呼ばれる特徴的な米国風のエングレービングが施されています。 これは19世紀後半にニューヨークの職人たちによって確立された装飾技法で、特にルイス・D・ニムシュケ (Louis Daniel Nimschke, 1832-1904年) の影響を強く受けています。 New York Styleのエングレービングでは、流れるような華麗なスクロール・エングレービングと背景に細かい点を多数打つパンチ・ドットと呼ばれる技法が組み合わされており、装飾の立体感が強調されているのが特徴です。 彫刻は深く彫り込まれており、陰影を強調することで豪華な印象を与えます。 フレームやシリンダーに施される彫刻は、バランスの取れた対称的な構成が多く、スクロール・ワークに加え、花や動物のモチーフが組み込まれた作品も見られます。 New York Styleのエングレービングは、ニムシュケの他にも、同時代の職人でコルト社の公式エングレーバーであったグスタフ・ヤング (Gustave Young) や、主にウィンチェスター社製品を手掛けたウルリッヒ兄弟 (Conrad, Herman, John Ulrich) の技法とも共通点が見られます。 
本品には「壬申八四五番 武庫司」の壬申刻印が入っているので明治5年(1872年)に日本にあった事が裏付けられています。 彫刻はこの壬申刻印を故意に避けて彫られていることから、明治5年以降に米国に戻り彫刻が施されてから再び日本に輸入 (平成2年当時は壬申刻印があれば日本に輸入できました) されたものと考えられます。 1862年に生産され、南北戦争で使用された可能性も多く、その後幕末の日本に渡ってからまた米国に戻り彫刻が彫られてから、また日本に戻り現在に至る数奇な運命を経た品と想像出来る品です。
本品のシリアルNo.は、銃身、フレーム、トリガー・ガード、バック・ストラップ、シリンダー、シリンダー軸が(3)5881でマッチしています。 フレーム左側面には「COLTS PATENT」のパテント刻印がはっきりと確認出来ます。
本品の銃身やフレーム、シリンダーといった鉄部は、やや小傷や経年による褪色、僅かな表面錆痕は見られるものの、目立った欠損等は見られず、比較的良好な状態が保たれています。 真鍮製のトリガー・ガードは磨かれてはいるものの、現状目立った腐食や変形等は見受けられません。 木製グリップは赤みの強い色合いとなっており、若干の打ち傷は見られるものの、現状大きな破損等は見られず、グリップ・フレームへの取り付けもがたつきもなくしっかりとしています。
作動については完全で、ハンマーのハーフ/フル・コックについてはしっかりと掛かり、シリンダーも正常に回転します。 フル・コック位置でトリガーを引くと、ハンマーがスムーズに落ちます。 銃身内は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、やや表面錆は見られるものの、ライフリングも比較的はっきりと確認出来ます。 コルト系リボルバーの持病とも言える銃身とフレームの取り付けのがたつきについては、現状殆ど見られません。 シリンダーは前後に若干の遊びは見られるものの、あまり気にならないレベルのものです。 ローディング・レバーは左右にやや遊びが見られますが、機能については問題なく、前方に折り畳んだ際のキャッチもしっかりと掛かります。 シリンダーのパーカッション・ニップルについては、やや時代錆が表れているものの、現状大きな欠けや変形等は見受けられず、概ねしっかりとした状態が保たれています。

【壬申刻印について】
本品の銃身左側面には、一部非常に薄くなっていますが「壬申八四五番 武庫司」の壬申刻印が入っています。 「壬申刻印」とは古式銃の一種の戸籍番号に相当します。
明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。 本品は「壬申八四五番 武庫司」の刻印が入っている事から、明治5年に東京もしくは大阪の武庫司に届け出が行われた品である事が判ります。

本品は漫画家の松本零士先生のコレクションの中の一挺です。 (KK)(MM)

【登録証情報】
(種別: 管打ち式銃砲、全長:35.5cm、銃身長:27.2cm、口径:外径1.6cm 内径1.1cm、銘文: 壬申八四五 武庫司)

【その他の情報】
平成2年9月20日に群馬県教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。 無可動実銃ではありません。

古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。

詳細画像(Detailed Photos)はこちら


一覧へ戻る   このページのトップへ
E-mail:chicago@regimentals.jp
Copyright (c) Chicago Regimentals Co.,Ltd.All Right Reserved.