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火縄銃 八匁南蛮流馬上筒 (銃砲刀剣類登録証付古式銃、半兼作、壬申千三百八十一番 名東縣) |
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価格(税込)
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\1,320,000 |
商品番号
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【9638】 |
英 名
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Japanese Matchlock Pistol, NANBAN Style |
種 類
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古式銃(登録証付)、単発、東京店在庫品、✕、松本零士先生旧蔵品 |
国 名
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日本 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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466mm |
口 径
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18mm (実測 17.4mm) |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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限定1品 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【火縄銃 八匁南蛮流馬上筒(半兼作、壬申千三百八十一番 名東縣)について】
本品は馬の上から片手で射撃が出来るようにした小型の火縄銃です。 洋式銃ではピストルに相当しますが、火縄銃では馬の上で使用する意味で「馬上筒」と呼ばれました。 本品は全長が約466mm、銃身長が285mmと馬上筒の中でも短筒に分類するにはかなり大振りな品で、全長に対して口径は八匁(実測約17.4mm)とかなり大きな口径になっています。 重量も○○kgと馬上筒としては重たく、片手で操作するのは難しい品です。
本品は在銘品で、銃身下面には「半兼作」の銘が入っています。
形状は南蛮流馬上筒の特徴を非常に良く表しており、澤田平氏著の「日本の古銃 総論編」P.101に掲載されている「南蛮流日東短筒」と極似しています。同書では『流祖を南蛮人「波浮羅主」とする南蛮流の分流である日東短筒は元祖を雪萍遊波と稱し』とあります。
南蛮流の特徴は下記の部分に見られます。
*前後の目当は他の品にはない特異な形状で、前後共に背が高く、前目当のの後部が独特の円を描いた巻き返しになっています。 元目当の後部は通常の短筒の2倍ほどの高さになっています。
*元目当の後ろに階段状の三個目の目当があり、後ろから登っていく階段状になっています。 この目当は、その前の目当てより高さが低いので「どのように三個の目当てを使用したか」は不明ですが上記の「日本の古銃 総論編」P.101に「南蛮流短筒」としてイラストで描かれている品にも同じ階段状の目当が付いています。
*南蛮流独特の直線型の火挟で根本が細かく、貝口に近くが太い筋が入っている。火挟を留める横鋲の後ろ部分のカニ目が掛かる部分が全くない。カニ目ナキ内カラクリでも、本品のようにバッサリと横鋲の後ろが切れている形は少ない。
*カラクリの地板は閉じた扇子のような形状で中央部で段差ができており、板尻が丸い。 火挟も含めこのカラクリ部分の形状がマラッカ筒のような南蛮風の形状になっている。
*台の下部は最後の小さな台カブを除き真っすぐな直線形になっています。
*田付流のように台尻(台カブの尾)が切れているが、本品はスッパリと垂直に切れているのではなくやや丸みを帯びているが他には類を見ない形状です。
カラクリの地板、火挟、火蓋、雨覆は真鍮製です。 胴金は鉄錆地で銀蝋流しと呼ばれる装飾の仕上げが施されています。 南蛮筒だけの特徴ではありませんが、寸の詰まった丸柑子で約mm後ろにある玉縁まで丸銃身が太くなっています。 銃身は後方に向かって広がった丸銃身で、上面のみ一段高く平坦となった「表一角」と呼ばれる形状となっています。銃口部の最も細い部分でも292mmで、薬室部分の最も太い部分は36mmもある、太い銃身です。 銃身は台 (銃床) に対して二ヵ所所の目釘により固定される構造となっています。 先台の中央部には長方形の真鍮製の飾金具で囲まれた腕貫穴(うでぬきあな)が設けられています。 この腕貫穴と台カブの輪束穴(わっそくあな)の二つの穴に提げ緒を通したと思われます。 銃床は全体に装飾の殆ど無い比較的質実剛健な作りとなっており、目釘座にはシンプルな真鍮の「蛇ノ目」金具になっています。 カラクリの鋲裏座金も円形のシンプルな「蛇ノ目」となっていますが、目釘座よりは大き目になっています。 カラクリは蟹目ナキ内カラクリです。 比較的やや明るい色合いの台で下部の背割はありません。
台の左側面後方に「壬申 千三百八十一番 名東縣」の壬申の刻印が入っています。
明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。 本品には「壬申 千三百八十一番 名東縣」の刻印が入っている事から、名東縣で銃砲調査を受けた事が明らかに判ります。
名東縣 (みょうどうけん) とは、1871年12月26日から1876年8月21日にかけて阿波国・讃岐国・淡路国を範囲としていた県で、県庁所在地は徳島でした。 本品には徳島県教育委員会交付の銃砲刀剣類登録証が付いている事から、本品が壬申刻印の打刻された明治5年から登録証が交付された平成29年まで徳島に存在していた事が窺えます。(MM)
【本個体の説明】
本品の筒(銃身)を含む鉄部は時代黒錆に覆われていますが、これは当時の日本における防錆方法であった錆付けによるもので、欧米のようにブルー仕上げがなかった日本では一般的なものでした。 銃身は大きな欠損等は見受けられず、概ねしっかりとした状態が保たれています。 銃身下部の目釘金具と銃床の目釘穴の位置は二ヵ所とも一致しています。
台 (銃床) については、明るい色合いで上手な作りです。経年使用の小傷や擦れが僅かに見られるものの、現状比較的しっかりとした強度も十分保たれています。 鋲裏座金等の金具についても欠品は見られず、総じてしっかりとした強度が保たれています。 カラクリの地板や火挟、弾金、雨覆、火蓋、引金といった真鍮部分についても、目立った傷等は見られず、良い時代色が付いています。火蓋の開閉は問題なく行う事が可能です。 尾栓は取り外しは可能で、真面目な尾栓が付いています。 銃身内は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、火穴も抜けています。 尾栓が簡単に抜けるので銃身内部の手入れも良くされています。カラクリの火挟を起こすとロックが掛かり、引金を引くと火挟がスムーズに落ちます。 先端が真鍮製の覆いが付いた木製のカルカ (さく杖) です。南蛮筒の見本のような素晴らしい上等な品です。 松本零士先生収蔵品らしい在銘の優品です。(MM)
【登録証情報】
(種別: 火なわ式銃砲、全長: 46.6cm、銃身長: 28.5cm、口径: 1.8cm、銘文: 半兼作)
登録証の銃身長の「28.5cm」は尾栓の後ろまで計測
【その他の情報】
昭和44年3月17日に徳島県教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
堺鉄砲研究会発行 澤田平氏著「日本の古銃 総論編」: 参照 |
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