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US 管打式 ネイティブ・アメリカン トレード・ライフル (銃砲刀剣類登録証付古式銃、H. Gibbs社製) |
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価格(税込)
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\990,000 |
商品番号
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【9595】 |
英 名
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US Percussion Native AmericanTrade Rifle mfd. by Henry Gibbs |
種 類
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古式銃(登録証付)、単発、東京店在庫品、✕、松本零士先生旧蔵品 |
国 名
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アメリカ合衆国 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,148mm |
口 径
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8,5mm |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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限定1品 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【US 管打式 トレード・ライフル (H. Gibbs社製) について】
米国ペンシルベニア州ランカスター (Lancaster) の銃工であるヘンリー・ギブズ (Henry Gibbs) により製造された、管打式の単発小銃です。 本品の各部の作りはペンシルベニア・ライフルのスタイルを踏襲していますが、全長は一般的なペンシルベニア・ライフルに比べて短く、トレード・ガンやトレード・ライフルと呼ばれる物に近いサイズとなっています。
ペンシルベニア・ライフル (Pennsylvania Rifle) とは、18世紀初頭にペンシルベニア南東で開発された狩猟用のライフルで、(アメリカン) ロング・ライフル (American Long Rifle) やケンタッキー・ライフル (Kentucky Rifle) といった名称でも呼ばれます。 これらは銃身内にライフリングが施された、ライフルド・マスケットとも呼ばれる初期のライフルの一種で、球形の鉛弾に回転を与える事により、高い弾道安定性を持っていました。 一方で、銃身内にライフリングの無いスムース・ボア (滑腔銃身) のマスケット銃に比べて弾丸と銃身内のクリアランスがタイトであったため、装填に時間が掛かるのが欠点でした。 (この装填に時間が掛かるという欠点は、その後登場したミニエー弾により解消される事となります)。
ペンシルベニア・ライフルは当初18世紀初頭にペンシルベニア南東に定住したドイツ系のガンスミス達によってハンドメイドにより製造されたと伝えられています。 ペンシルベニア州における記録上最初の銃工は、ロバート・ベイカーと父子のマーティン・メイリン (Martin Meylin) だとされています。 マーティン・メイリンの工房は1719年に建てられ、スイス系ドイツ人の銃工たちが、初期のペンシルベニア・ライフルを製造した場所とされています。 しかしながら、現在メイリンによるものと確実に証明されたライフルは発見されていません。 高品質なアメリカン・ロング・ライフルが最初に製造されたのは、1740年にドイツから家族と共にペンシルベニア州バークス郡へ移住した銃工ジェイコブ・ディカート (Jacob Dickert) によるものだという記録が残されています。 彼が製作された銃を指す「ディカート・ライフル (Dickert Rifle)」という名称は、ブランド名として認識されていました。 ディカートは大陸軍にライフルを供給しており、1792年にはアメリカ陸軍へのライフル供給契約を結んでいた事で知られています。 尚、アメリカン・ロング・ライフルを指すケンタッキー・ライフル (Kentucky Rifle)」という呼称は、歴史上かなり後になって (おおよそ1820年代) から使われるようになったものです。 1812年から1815年にかけて行われた米英戦争では、アンドリュー・ジャクソンとニューオーリンズの勝利を称えた人気歌「The Hunters of Kentucky (ケンタッキーの狩人たち)」の影響で、アメリカン・ロング・ライフルが「ケンタッキー・ライフル」という愛称で呼ばれるようになりました。
ペンシルベニア・ライフルの撃発機構は、18世紀中頃に一般的となったフリント・ロック式がメインでしたが、19世紀前半に雷管を使用するパーカッション式 (管打式) の撃発機構が開発されると、フリント・ロック式のペンシルベニア・ライフルの多くがパーカッション式に改造されました。 また、一部には伝統的なペンシルベニア・ライフルのスタイルを保ったまま、当初からパーカッション式として製造された品も見られます。 19世紀にはケンタッキー・ライフルの派生型として全長の短いカービン・タイプであるホーケン・ライフル (プレーンズ・ライフル) と呼ばれる品も製造され、マウンテン・マン等のハンター達によって愛用されました。
一方、トレード・ガンとは、19世紀初頭から半ばにかけて、主に英国で製造され、北アメリカ北部の毛皮貿易会社によって北米のアメリカ先住民向けに供給された銃を指します。 それらは特にノースウェスト毛皮会社 (Northwest Fur Company) 及び1821年以降はハドソン湾会社によって取引されましたが、アメリカ毛皮会社 (American Fur Company)、マッキノー社 (Mackinaw Company)、米国インディアン貿易局 (U.S. Indian Trade Office) もアメリカ先住民と銃の取引を行っていました。 トレード・ガンは、一般的に「ノースウェスト銃」や「マッキノー銃」、「ハドソン湾銃」等と呼ばれており、ヨーロッパ系アメリカ人向けに製造された銃よりも安価で取引され、当時北米沿岸に住んでいた先住民は、海洋交易商人との交易において、毛皮と引き換えに銃を入手していました。 また、銃そのものが毛皮の調達に利用されたことから、ヨーロッパやアメリカの毛皮商人が銃を交易品として提供するのは理にかなっていました。 さらに、銃は火薬、弾丸、火打石、補修部品などの継続的な供給を必要としたため、毛皮商人はその依存関係を商業的に活用していました。 一方で、先住民も商人への依存を自覚ながら、領土の拡大や自衛、そして狩猟のための重要な道具として銃に価値を見出していました。 尚、大半のトレード・ガンは、一般的なペンシルベニア・ライフルに比べて、銃身がやや短く軽量な作りとなっていました。
本品を制作したヘンリー・ギブズ (Henry Gibbs) は、19世紀前半から後半にかけてペンシルベニア州ランカスターで活動した銃工で、親子二代にわたり銃器製造を行っていました。 父は1812年から1843年頃までフリント・ロック式および管打式の銃を製作し、その後は息子が1880年まで工房を受け継ぎました。 彼らはアメリカ毛皮会社 (American Fur Company) からの契約に基づき、西部開拓用のライフルを製作した事で知られ、ランカスターの代表的な銃工の一つとされています。 ギブズの製作したロング・ライフルは、銃床に縞杢の美しいメープル材を用い、唐草文様や狩猟図の彫刻、銀や真鍮の象嵌による装飾を施した優雅な外観を備えた作品が多く見られます。 銃身には「H. GIBBS」あるいは「H. GIBBS / LANCASTER PA」と刻印されており、精巧なライフリングや確実な作動機構が特徴です。 また、ボタンで開閉するパッチ・ボックスや、独特の波線彫刻を備えたサイトなど、ランカスター様式の意匠が随所に見られる作品も残しています。 息子ヘンリー・ギブズ Jr. (Henry Gibbs Jr.) は、1844年に独立銃工となり、その後も地域の銃製作や修理を担い、広告には鐘掛け職人としても名が見られます。 ヘンリー・ギブズの作品は、現在もコレクターや研究者の間で高く評価されており、ランカスター郡における銃器製作の伝統を伝える貴重な存在となっています。
本品のトリガー・ガードはスパー (指掛) を備えており、バット・ストックは下方に角度が付けられて、バット・プレート部の角が尖った形状となっている点などは、オーソドックスなペンシルベニア・ライフルの形状を踏襲しています。 また、トリガーが精密な射撃を可能にするダブル・セット・トリガーとなっている点や、バット・ストック右側面に射撃の際に使用する小物類を収納する為のパッチ・ボックスと呼ばれるコンパートメントが設けられている点なども、当時多数出回っていた安価なトレード・ガンとは一線を画しています。 銃床側面には真鍮製のリベット状金具による装飾が施されており、銃把上面には使用者のイニシャルなどを入れると思われる真鍮製のプレートが取り付けられています。 フロント・サイトはアリ溝により固定された洋白製のブレード・サイトで、リア・サイトはアリ溝固定のセミ・バックホーン・サイトとなっています。 本品のロック・プレートには「LEMAN LANCASTER PA」の刻印が確認出来る事から、同じペンシルベニア州ランカスターに所在していたヘンリー・E・リーマン (Henry E. Leman) により製造されたサイド・ロックを用いて製造された事が判ります。
本品のサイド・ロックを製造したヘンリー・E・リーマンは、ヘンリー・ギブズと同じくペンシルベニア州ランカスターで1812年に生まれ、16歳の頃からランカスターの銃工メルキオール・フォードニーのもとで徒弟修業を行い、その後フィラデルフィアの銃工ジョージ・トライオンの工房で職人として経験を積みました。 1834年に独立して自らの工房を開き、翌年には250挺を製造、そのうち50挺がインディアン交易のためミズーリ州セントルイスへ送られました。 1837年には政府から500挺の契約を受けるなど、早くから大規模な生産を手掛けていました。 リーマンはコネストーガ川沿いに鍛造所と銃身工場を設け、その後1850年にはランカスター市内に蒸気機関を備えた新工場を建設しました。 この工場では年間数千挺を生産できる規模に拡大し、ゴールドラッシュや西部開拓の需要に応じて多くのライフルを供給しました。 リーマン社製のライフルは辺境での使用時にも信頼性が高く、1860年には62人を雇用して年間5000挺を製造するに至りました。 主な製品は狩猟用ライフルでしたが、一部は民兵向けとして南北戦争期にも使用されています。 戦後はさらに需要が増し、インディアン条約に伴う贈与品として多くの前装式銃が必要とされるようになりました。 リーマンはこれに応えて、「ランカスター・ライフル」と呼ばれる廉価モデルを設計し、政府や交易会社に広く供給しました。 この銃は西部のインディアン交易において高い評価を得ました。 1873年にはより大きな工場へ移転し、1887年に亡くなるまで操業を続けました。 彼の工房は生涯で10万挺を超える銃を生産し、リーマンはランカスターにおける最も生産的な銃工としてその名を残しています。 (KK)
【本個体の説明】
本品はLeman社製のサイド・ロックを用いてH. Gibbs社が製造した品で、銃身上面に「H. GIBBS. LANCASTER」の刻印が入っている他、ロック・プレートには非常に薄くなっていますが「LEMAN LANCASTER PA」の刻印が確認出来ます。
本品の銃身やサイド・ロックといった鉄部は、ブラウン・パティーナと呼ばれる時代錆が大部分に表れた良い雰囲気となっており、やや打ち傷や一部に表面錆痕は見られるものの、現状目立った欠損等は見受けられません。 木製銃床についても、やや打ち傷や線傷の他、アッパー・タング周辺やロック・プレート周辺に一部欠けが見受けられ、銃床先端右側面に一部ひびの補修痕が見られるものの、それ以外には大きな破損は見られず、オリジナルの艶のある仕上げも比較的良好に残っています。 真鍮製のノーズ・キャップやトリガー・ガード、パッチ・ボックス、バット・プレートについても、適度な時代が付いた良い雰囲気となっており、若干の打ち傷は見られるものの、現状目立った腐食等は見られません。 パッチ・ボックスの蓋の開閉については問題なく行う事が可能です。
作動については完全で、ハンマーのハーフ/フル・コックはしっかりと掛かり、フル・コック位置でトリガーを引くと、ハンマーがスムーズに落ちます。 ダブル・セット・トリガーの機能についても正常で、後方のセット・トリガーを引いてセットすると、前方のトリガーを軽いトリガー・プルで引く事が可能となります。 銃身は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、火穴も抜けています。 銃身内はやや表面錆が見られますが、ライフリングは確認可能です。 パーカッション・ニップルについても、現状目立った欠けや変形等は見受けられません。 真鍮製の口金が付いた鉄製のさく杖が付属いたします。
本品は漫画家の松本零士先生のコレクションの中の一挺です。 本品はトレード・ライフルとしては高級な品で、ネイティブ・アメリカン(インディアン)の装飾も上品です。またネイティブ・アメリカンが使用した品は程度があまり良くないのが普通ですが本品はとても状態が良い品です。 (KK)(MM)
【登録証情報】
(種別: 管打ち式銃砲、全長: 114.8cm、銃身長: 75.3cm、口径: 0.85cm、銘文: □□E MAN LANCASTER PA H. GIBBS. LANCASTER)
【その他の情報】
令和5年8月10日に東京都教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
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