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@英国製 アダムス・パテント M1851 リボルビング ライフル (銃砲刀剣類登録証付古式銃、壬申刻印) |
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価格(税込)
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\6,600,000 |
商品番号
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【9572】 |
英 名
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English Adams Patent Model 1851 Revolving Rifle |
種 類
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古式銃(登録証付)、東京店在庫品、松本零士先生旧蔵品 |
国 名
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イギリス |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,164mm |
口 径
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14mm |
装 弾
数
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5発 |
在 庫
数
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限定1品 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【英国製 アダムス・パテント M1851 リボルビング ライフル について】
イギリスのロバート・アダムス (Robert Adams) のパテントに基づいて製造されたダブルアクション式のパーカッション・リボルバーの設計を元に、これを発展させて開発されたリボルビング・ライフルです。
アダムスは1851年に、一体型のソリッド・フレームを持つリボルバーの特許を取得しました。 この特許は、フレームと銃身を単一の鋼製ブロックから製造するもので、当時一般的であった、銃身とフレームをバレル・ウェッジやネジなどで接合する方式とは全く異なっていました。 さらに、アダムスは「セルフ・コッキング」と呼ばれる機構の特許も取得しており、これは現在でいうダブル・アクション・オンリーのトリガー・メカニズムに相当します。 この機構では、トリガーを引くだけでハンマーをコックし、シリンダーを回転させ、ハンマーを解放する一連の動作が行われます。 この構造により素早い連射が可能になりましたが、トリガーが重く、引きしろも長かったため、精密な射撃には不向きでした。 これらの設計は、アダムス M1851 セルフ・コッキング・リボルバーに組み込まれましたが、上記のようにトリガー・プルがダブル・アクション・オンリーで重かったこと、またローディング・レバーを備えていなかったため、携行時には別途ローディング・ツールを持ち運ぶ必要があったという欠点がありました。
1854年、フレデリック・ボーモント (Frederick Beaumont) 中尉はアダムスの設計に改良を加え、新たなダブル・アクション機構を開発しました。 これにより、トリガーを引いてのダブル・アクション作動だけでなく、手動でハンマーをコックし、より軽いシングル・アクションのトリガー・プルで射撃することも可能となり、精密な射撃が可能になりました。 同じ1854年には、アダムス自身もフレーム設計の改良を行い、フレーム右側面にスライド式のセーフティを追加するとともに、シリンダー軸の固定方法にも改良が加えられました。 これらの設計改良が組み合わされた結果、M1854 リボルバーが完成し、これはボーモント・アダムス・リボルバーとして知られるようになりました。
アダムスのリボルバーは1853年から1855年にかけて、ロンドンのディーン・アダムス & ディーン (Deane, Adams & Deane) 社との提携の下、アダムス自身によって直接製造されました。 また、ジョセフ・ブレイザー (Joseph Brazier) やアイザック・ホリス & サンズ (Isaac Hollis & Sons) などのメーカーにもライセンスが供与され、生産が行われました。 ブレイザーとホリスはアダムスのライセンスの下でリボルバーのフレームを製造し、アダムス社で組み立てが行われました。 その後、ディーン・アダムス & ディーン社が解散すると、アダムスはロンドン・アーモリー社 (London Armoury Company) に移籍し、アダムス・リボルバーはそこで生産されるようになりました。 アダムスは1857年から1858年まで同社に在籍していましたが、ロンドン・アーモリー社におけるアダムス・リボルバーの生産はアダムスが退職した後も1860年頃まで続けられました。 尚、バーミンガムのウィリアム・トランターもアダムス・パテントのソリッド・フレームを採用したリボルバーを製造していましたが、内部機構には独自の設計を用いていました。
1851年、アダムスは自身が設計したリボルバーを基にしたリボルビング・ライフルのバリエーションを発売しました。 アダムスはこのリボルビング・ライフルを導入することにより、イギリス兵器局の小火器委員会が軍用としての採用を検討することを期待していたと考えられます。
アダムスのリボルビング・ライフルは、一般的に38ボア (.50口径) から25ボア (.577口径) までのモデルが製造され、ショットガン仕様も生産されていました。 リボルバーと同様に、リボルビング・ライフルも5連発のパーカッション式 (管打式) で、構造についてもリボルバーとほぼ同様でした。
アダムスのリボルビング・ライフルにはいくつかの独自の安全設計が施されていました。 ハンマーは取り外し可能なハンマー・シュラウドにより覆われていますが、これは射手が銃把を握り込んだ際にハンマーが干渉して作動不良が発生しないようにする為と考えられます。 また、シリンダー後方のフレーム左側面には板状のガードが追加され、撃発時に雷管から発生する火花による射手の顔の火傷を防ぐ役割を果たした他、パーカッション・ニップルから飛散するパーカッション・キャップから射手の目を保護する効果もありました。 また、パーカッション式のリボルビング・ライフルでは、シリンダー内の火薬が連鎖的に発火するチェーン・ファイアが発生する可能性があったため、発射時にシリンダー前方に手を添えて保持することは危険とされていました。 そのため、アダムス・リボルビング・ライフルではトリガー・ガードの前面が平坦に延長され、この部分に手を添えて保持できるようになっていました。
アダムス・リボルビング・ライフルは、リボルバーの改良に合わせて順次改良が加えられましたが、1854年のボーモント・アダムス (M1854) リボルバーに見られる、スパー・ハンマーを備えたシングル・アクションも可能な機構は組み込まれることはありませんでした。 リボルビング・ライフルでは50ヤード固定のリア・サイトに加え、遠距離射撃に対応した切り替え式のリーフ・サイトを備えており、200〜300ヤードの射程で有用とされました。 同時代の他のリボルビング・ライフルと同様、アダムス リボルビング・ライフルは、商業的にリボルバーほどの成功を収める事はありませんでした。
南北戦争中、アメリカ連合国(南軍)ではアダムス製を含むイギリス製のリボルビング・ライフルを独自のルートで少数入手し、運用していたことが確認されています。
【本個体の説明】
本品は口径が実測14,7mm (=25ボア (.577口径))、銃身長が692mmのライフル・モデルで、銃身内には3条のライフリングが施されており、装弾数は5連発となっています。 本品にはメーカーを示す刻印は打刻されていませんが、全体的にアダムス・パテントのリボルビング・ライフルに典型的な作りとなっており、ハンマー・シュラウドやフレーム左側面の板状のガードも備えています。 また、フレーム左側面には板状のセーフティを備えており、トリガーを軽く引いてハンマーを僅かに起こした状態でこれを押し込む事により、ハンマーとパーカッション・ニップルの間にセーフティが入り込んで撃発が出来なくなる構造となっています。 射撃時にはそのままトリガーを引く事により、セーフティが板バネによって外側に移動し、解除される仕組みとなっています。 フレーム右側面前部にはシリンダー軸の固定用ラッチが設けられており、これを押し込む事によりシリンダー軸を前方に引き抜く事が可能となります。 尚、フレーム右側面後方には細い金属板がネジ止めによって回転するようになっていますが、これはシリンダー軸を引き抜いた際にシリンダーが右側に落下する事を防ぐ為のストッパーとして機能します。 リア・サイトは固定式のVノッチ・サイトに加えて、遠距離用の折り畳み式リーフ・サイトを2枚備えています。
本品は古式銃としては比較的良好な状態が保たれており、銃身やフレーム、シリンダーといった鉄部は、やや打ち傷や経年による褪色の他、一部に時代錆や若干の表面錆痕が見られるものの、現状目立った欠損等は見受けられません。 フレーム内側には製造時からのものと思われる湯ジワが見られますが、シリンダーを取り付けた状態では殆ど気になりません。 木製銃床については、やや打ち傷や線傷の他、取り付け基部等に僅かな欠けが見られるものの、全体としては大きな破損等は見られず、各部の取り付けもがたつきもなくしっかりとしています。 バット・プレート取り付け部周辺の木部に僅かに痩せ及び補修痕が見られますが、あまり気にならないレベルのものです。 傷み易いバット・プレートについては、やや時代錆や表面錆痕が見られるものの、現状目立った腐食や変形等は見られません。
作動については完全で、トリガーを引いた際のダブル・アクションの作動については問題なく、シリンダーも正常に回転します。 銃身内は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、錆等も少なく、ライフリングも深くはっきりと確認出来ます。 シリンダーのパーカッション・ニップルについては、1本欠けが見受けられる他は、概ね良好な状態が保たれています。
【壬申刻印について】
本品の銃床右側面には「コクラケン 壬申第五千九百三十七号」の壬申刻印が入っています。 「壬申刻印」とは古式銃の一種の戸籍番号に相当します。
明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。 本品は「コクラケン 壬申第五千九百三十七号」の刻印が入っている事から、明治5年に小倉県に届け出が行われた品である事が判ります。 小倉県 (こくらけん) は1871年 (明治4年) から1876年 (明治9年) にかけて豊前国を管轄するために設置された県で、現在の福岡県東部から大分県北部にあたります。
本品は漫画家の松本零士先生のコレクションの中の一挺で、殆ど部品にロシアのキリル文字の「Л」と思われる刻印が打たれており、本品はロシア帝国からの注文で英国で1850年代に作られた後に何らかのルートで日本に輸入された品と思われます。明治5年(1872年)に小倉縣で銃砲調査されている事から幕末には豊前国にあったと考えられます。 本品はアダムス・パテント M1851 リボルビング ライフルとしては国内唯一の品ではないでしょうか。品質、程度/状態、希少価値のどれも取っても一級品です。 (KK)(MM)
【登録証情報】
(種別: 管打ち式銃砲、全長: 116.4cm、銃身長: 65.7cm、口径: 1.4cm、銘文: 無銘、備考: 壬申コクラケン第三千九百三十七号)
【その他の情報】
昭和60年4月18日に東京都教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
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