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ウエストリー・リチャーズ 後装管打式騎兵銃 (銃砲刀剣類登録証付古式銃、「戊辰 改 己巳三」刻印) |
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価格(税込)
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\1,650,000 |
商品番号
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【9571】 |
英 名
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Westley Richards Breech-loading Carbine |
種 類
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古式銃(登録証付)、単発、東京店在庫品、X候補、松本零士先生旧蔵品 |
国 名
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イギリス |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,040mm |
口 径
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12mm |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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限定1品 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【ウエストリー・リチャーズ 後装管打式騎兵銃 について】
ウエストリー・リチャーズ 小銃は「モンキー・テイル」と呼ばれる一種のブリーチ・ブロックの指掛けを持ち上げてブリーチ (遊底) を開放して装弾を行う特殊な後装管打ち式小銃で、イギリス陸軍で前装式のエンフィールド小銃を後装式に改良するトライアルに提出されたモデルの一つです。 結果的には改良が容易で安価な事からスナイドル小銃が採用されましたが、その過渡期には砲兵・騎兵用に英軍で採用されました。 ウエストリー・リチャーズ 小銃は、スナイドル小銃に比べると構造が複雑で、単価が高い高級な小銃でした。
ウエストリー・リチャーズ (Westley Richards) 社は、1812年にウィリアム・ウエストリー・リチャーズ (William Westley Richards) によってバーミンガムで設立され、今日でも高級狩猟用銃砲製造で有名な会社です。 ウエストリー・リチャーズが彼の父親からビジネスを受け継いだのは1840年で、1872年に彼がリタイアするまで英国で最も成功したガンメーカーであり発明者でした。1840年にアルバート皇太子がロイヤル・ワラント (Royal Warrant) を与えたの始め、ビクトリア女王、エドワード7世、ジョージ5世などの王族からもロイヤル・ワランが与えられました。 同社は19世紀後半に最盛期を迎え、1852年から1872年の間に17以上の大きな銃砲パテントを取得しました。 その中の1858年に取得した第633番パテントが、本銃で使用されている「モンキー・テイル」と呼ばれている後装式機構です。 Capping Breech Loaderと呼ばれる後装方式は後の金属製薬莢を使用するまでの過渡期の構造で、本銃では「モンキー・テイル」の言われとなった「猿の尻尾」にも似たツマミを引き上げる事によってブリーチが開放され、そこから紙薬包と呼ばれる紙に包まれた弾薬を装填します。 ブリーチの開放時には「モンキー・テイル」部分を持ち上げるだけで特にロック等は設けられておらず、前部に設けられた強力なスプリングのテンションによってロックが行われます。 また、「モンキー・テイル」の下部に取り付けられた前後にスライドするプランジャー・ロッキング・システムによって射撃時に発生するプレッシャーでブリーチが開かないようになっています。 これはブリーチを開く為にハンマーをフル・コックしてブリーチ・ブロックを回転させなければならないモント・ストーム小銃やウェッジ (楔) を側面から引き抜かなければならないウィルソン小銃とは異なる点で、「モンキー・テイル」がスナイダー小銃が一般的になってからも使われ続けた一因だったのではないでしょうか? また、「モンキー・テイル」部分はハンマーが完全に落ちた状態 (ニップルに触れている状態) では開く事の出来ない二重安全構造になっています。 発火方式は相変わらず従来の管打ち式で、装填の操作とは別にニップルにパーカッション・キャップを被せてからハンマーを起こさなければなりませんでした。 1864年にウエストリー・リチャーズ小銃は前装式エンフィールド小銃の後継主力小銃のトライアルに提出されました。 1864年10月12日付の英軍兵器選定委員会の報告によると、ウエストリー・リチャーズ小銃は提出された47種類の中で、最終トライアルまで進んだ9挺に選ばれました。 最終トライアルには、ウエストリー・リチャーズ小銃以外にも、ウィルソン、モント・ストーム、グリーン、ジョスリン、シェパード、スナイダーといった小銃が選出されました。 最終的にはエンフィールド小銃からの改良コストが安く、操作が容易で堅牢性に長けたスナイドル小銃が次期英国主力小銃となりました。 しかしながら、スナイダー小銃が英軍で制式採用されるまで、ウエストリー・リチャーズ小銃はモント・ストーム小銃に並び有力な次期英軍制式小銃候補であった事から、英国陸軍省 (British War Office) が制式採用に先立ち2,000挺をウエストリー・リチャーズ社から直接購入し、騎兵用に支給しました。 その後、エンフィールド造兵厰 (Royal Small Arms Factory Enfield) で1,900挺がライセンス生産されました。 英軍の次期制式小銃の座を逃した後も、ウエストリー・リチャーズは精力的に販売網を広げ、諸外国の軍隊で採用されました。 ポルトガル軍が1867年に8,000挺を採用したのを初め、日本にも輸出されました。 ウエストリー・リチャーズ小銃の生産は1880年代まで続き、南アフリカのボーア軍によっても相当数がボーア戦争 (1881年) で使用されました。 尚、金属製薬莢が主流になった後も使用され続けたのは、当時金属製薬莢が高価であり供給面に問題があったのに対してモンキーテイルは従来の前装式と同じように弾薬を製造できた利点があったためと考えられます。 第一次ボーア戦争でウエストリー・リチャーズ小銃を装備した500名のボーア兵が当時最新式であったマルティニ・ヘンリー小銃で武装した647名の英軍を破ったのは有名な話です。 ウエストリー・リチャーズ小銃のモンキー・テイル・システムは、管打ち式だけではなく、リム・ファイアやセンター・ファイア式の小銃にも用いられました。
幕末には管打ち式のウエストリー・リチャーズ小銃 (日本人が使いやすい短い砲兵銃) が日本に輸入されました。 しかし当時でも高級だった本銃は大量には輸入されませんでした。 薩摩藩でも高価なウエストリー・リチャーズ小銃 (正式には短い砲兵銃) は数挺しかなく、戊辰戦争で小隊指揮官以上にウエストリー・リチャーズ小銃を支給したと言われています。 明治時代になってからは明治新政府軍がスナイドル小銃を制式小銃としたため、リム・ファイアやセンター・ファイアのモデルは日本には輸入されませんでした。 最も初期の管打ち式モデルが日本にも輸入された記録はあるものの極少数でした。 (MM)(KK)
【本個体の説明】
本品は一見するとエンフィールド 管打式砲兵銃のようにも見えますが、前述のように特殊な後装式になっているだけではなく、サイド・ロック・プレートの形状から全体的に細身の全く別のものであることが判ります。 本品はメーカーやパテントを示す刻印等は現状確認できなくなっています。 尚、本品のバット・ストック右側面には丸の中に「慶」の漢字が入った部隊銘と思われる刻印が打刻されています。
本品は全体に時代が付いた使い込まれたコンディションとなっており、機関部や銃身といった金属部は全体に時代錆や表面錆痕の他、一部朽ち込み痕が見られますが、大きな欠損などは見受けられず、概ねしっかりと状態が保たれています。 木製銃床についても、全体にやや打ち傷や線傷が見られる他、バット・プレート取付部周辺にヘアライン・クラックや木部表面の若干の浮きが見られますが、大きな破損等は見られず、概ねしっかりとした状態が保たれています。 真鍮製のトリガー・ガードは適度な時代が付いた良い雰囲気となっており、やや打ち傷は見られるものの、現状大きな変形や腐食等は見られません。 傷み易いバット・プレートについては、全体に時代錆や表面錆痕が表れており、縁の部分に若干の朽ち込みが見られますが、銃床へのとりつけはがたつきもなくしっかりとしており、ストック内コンパートメントの蓋の開閉についても問題なく行う事が可能です。 前後のスリング・スイベルは現状固着等は見受けられず、動きもスムーズです。 撃発機構の作動については完全で、ハンマーのハーフ/フル・コックはしっかりと掛かり、フル・コック位置でトリガーを引くと、ハンマーが力強く落ちます。 ブリーチの開閉についても問題なく、開いた状態でのスプリング・テンションも効いています。 パーカッション・ニップルにはやや時代錆が表れていますが、現状大きな欠けや変形等は見受けられず、概ねしっかりとした状態が保たれています。 銃身内は銃口から薬室まで銃身内は完全に抜けて (通って) おり、火穴も抜けています。 銃身内は若干の表面錆は見られるものの、特徴的なホイットワース式のライフリングは比較的はっきりと確認出来ます。 鉄製のさく杖及びオリジナルでは有りませんが真鍮製のパッチ・プラーが付属いたします。 さく杖はパッチ・プラーが取り付けられるよう、ネジ部分が加工されています。
【「戊辰 改 己巳三」刻印について】
本品の薬室左側面及び銃身基部上面には、それぞれ「戊辰 改」及び「己巳三」と読める刻印が打刻されています。
「戊辰 (つちのえたつ、ぼどのたつ、ぼしん)」とは1868年 (慶応3年12月7日-慶応4年1月1日/明治元年1月1日 (西暦1月25日)-明治元年11月18日)、「己巳 (つちのとみ、きどのみ、きし)」とはその翌年の1869年 (明治元年11月19日-明治2年11月29日) を指しているものと思われ、本品が幕末に日本国内に輸入され、1868年に国内で届け出が行われた後、その翌年に何らかの理由で再度届け出が行われた事が窺えます。 これらの登録もしくは検査は、明治5年から始まったいわゆる「壬申刻印」制度よりも前に行われたものです。
本品に打刻されている戊辰 (1868年) 及び己巳 (1869年) は、戊辰戦争が行われていた期間と完全に重なっている事から、本品を戊辰戦争に投入する目的で何らかの登録もしくは検査が行われ、戊辰戦争中にも再度本品が検査を受けた可能性が高いと考えられます。
本品は漫画家の松本零士先生のコレクションの中の一挺です。 本品は戊辰戦争に投入された可能性が非常に高い品という点も特筆に値します。 幕末に国内に輸入されたウエストリー・リチャーズ小銃はごく少数にとどまったため、国内において現存する品は極めて希少です。 部隊銘と思われる「◯に慶」の刻印の意味が判明すれば、伝来などが判ると思います。 (KK)(MM)
【登録証情報】
(種別: 管打ち式銃砲、全長: 1,040cm、銃身長: 58.7cm、口径: 1.2cm、銘文: □□改 己巳三)
【その他の情報】
令和5年8月10日に東京都教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
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