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エンフィールド P1860 2バンド ライフル (銃砲刀剣類登録証付古式銃、明治第千七百六十ニ番 度會縣)  
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価格(税込)
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商品番号
 【9561】
英  名
 Enfield Pattern 1860 2 Band Rifle
種  類
 古式銃(登録証付)、単発、東京店在庫品、松本零士先生旧蔵品
国  名
 イギリス
時  代
 第一次大戦前(〜1914)
全  長
 1,243mm
口  径
 15mm
装 弾 数
 単発
在 庫 数
 お客様ご連絡中
画像について
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コメント
 【エンフィールド P1860 2バンド 小銃について】
原型はエンフィールド Pattern 1853 ライフルで、イギリスのエンフィールド造兵廠で開発されたライフリングのある前装式の小銃(施条銃、Rifled Musket)です。 フランスで開発・実用化されたミニエー弾のパテント1851年に英軍需省が取得し、これに改良を加えたエンフィールド弾を使用します。 ミニエー弾は1836年にロンドンの有名なガンスミスであったウィリアム・グリーナー (William Greener) が開発したドングリ型鉛製の弾頭 (プリチェット弾) が原型で、底部に窪みがあり木片で埋められていました。 ミニエーはこの弾頭の周囲に凸型の溝をつけ、底部の木片をコルクに変更しました。 ミニエー弾は、16世紀には既に開発されていたライフリングを銃身内に施した銃と組み合わせて使用されました。 ミニエー弾は発射時の圧力で押し込まれたコルクが鉛弾の底部を外側に膨張させ、弾頭周囲の溝の凸部がライフリングに食い込んで密着して圧力の漏れを防ぎ、ライフリングによる回転を弾頭に与える事に成功しました。 これにより滑腔式小銃では有効射程が50から100ヤードほどしかなかったのに対し、ミニエー弾を使用する小銃では300ヤード (約270m)、最大射程は1000ヤード (約914m) にまで延びました。 尚、実際にエンフィールド 3バンド歩兵銃のリア・サイトの目盛りは1,000ヤードまで設定されていました。 弾頭と装薬 (黒色火薬) は紙製薬筒に包まれており、表面が蜜蝋と動物性油脂の混合物でコーティングされていました。 この弾薬は命中性能が向上しただけではなく、高速で回転した弾頭が体内で変形し致命的な銃創となりました。 また、汚れた動物性油脂にまみれた弾頭が感染症を引き起こし、負傷兵にさらなるダメージを与えました。
日本でも幕末に大量のエンフィールド銃が輸入され、滑腔式であったゲベール銃に対して圧倒的な威力を発揮しました。 日本ではエンフィールドが訛ってエンピロール銃とも呼ばれた他、サイド・プレートにTOWERの刻印が入っている事から、通称タワー・ライフルや漢字で鳥羽 (トバ=タワー) ライフルと呼ばれる事もありました。
Tower軍用刻印はロンドン塔にあった英国政府の銃砲検査機関で軍用として耐えうる品質検査された証です。 同じエンフィールド小銃でもTOWERの刻印の代わりに民間メーカー刻印だけが入っている品もあります。 通常は王冠刻印のみのBirminghamで製造された品の多くが米国に送られ南北戦争に於いて両軍で使用されました。 英国国営造兵廠製か国営造兵廠コントラクト製の品には王冠の下に「V.R」の刻印が入っています。 当時の英国はBirminghamとLondonに集中しており、この王冠はBirmingam銃器製造協会会員のメーカーで製造された品です。 一方、Londonにあったメーカーで作られた品には通常この王冠はなく、メーカー名が入っていました。
エンフィールド Pattern 1853ライフルから更なる改良が施され、Pattern 1856、Pattern 1858、Pattern 1859、Pattern 1860、Pattern 1861といったモデルが採用されました。 エンフィールド小銃は大きく分けて銃身長が短い2バンドと長い3バンド、そしてカービン・モデルを始め多くのバリエーションが製造されました。
Pattern 1856は.577口径のエンフィールド小銃としては初の短小銃 (2バンド) モデルで、33インチ (84cm) の銃身が装備されていましたが、登場時期が遅かったため当時英国が参加していたクリミア戦争に投入される事はありませんでした。 Pattern 1856短小銃は戦列歩兵連隊や小銃旅団、第60連隊、ケープ植民地軍、王立カナダ小銃連隊といった部隊のあらゆる下士官に支給されました。 Pattern 1856小銃のライフリングや弾薬はPattern 1853小銃の物と同様でしたが、銃身がより肉薄となっており、重いヤタガン銃剣を装着すると銃身が曲がってしまう恐れがあった他、連続射撃後に銃身周囲に陽炎が発生するといった欠点が有りました。 Pattern 1856 Type II (No.2) とも呼ばれるPattern 1858はPattern 1856の改良型で、銃身自体はP1856と同じ物が使用されていましたが、ストックがより長い物へと変更された他、P1856では銃身に設けられていた着剣ラグがフロント・バンドへと移される等の強化が行われています。 英国海軍は1858年にPattern 1856小銃と同様のモデルを採用しましたが、この海軍モデルでは銃身がPattern 1856小銃に比べて肉厚となった他、ライフリング条数が3条から5条となり、ライフリング・ピッチも1:48インチとより転度の大きなものに変更されており、命中精度が向上していました。 その後、英国陸軍でもこの海軍モデルと同様のモデルを1860年に採用しました。 この陸軍モデルは海軍モデルと異なり、トリガー・ガードやバット・プレート、ノーズ・キャップ等が真鍮製ではなくケースハードン仕上げの鉄製となっていました。 また、海軍モデルではリア・スリング・スイベルがトリガー・ガード前方に設けられていたのに対し、陸軍モデルではトリガー・ガードよりも後方に取り付けられている点も異なります。 本品は英国陸軍 P1860小銃と思われます。 尚、1858年以降に製造された全てのエンフィールド小銃及び短小銃では、銃身内のライフリングの深さが薬室から銃口に向かって浅くなる方式 (Progressive Depth Rifling) へと変更されました。 (MM)(KK)

【本個体の説明】
本品はサイド・ロックのハンマー後方にVR刻印のない王冠刻印が入っている事から、輸出用として製造された品である事が窺えます。 また、サイド・ロックには他にも、国営銃砲検査機関の検査刻印である「TOWER」刻印及び製造年を示す「1868」の刻印が入っています。 銃身左側面後方には.577口径を表す「25」のゲージ・テスト刻印が2箇所打刻されている他、1855-1904年の間にBirminghamプルーフ・ハウスでライフリングを加工する前の銃身検査を行った際に打刻された暫定検査刻印 (Provisonal Proof Mark) といった典型的なBirmingam銃器製造協会会員のメーカー製の刻印が入っています。 その他、銃身基部上面に王冠刻印、着剣装置に「515」の番号、ロア・タング後方に六芒星とLの文字を組み合わせた刻印が確認出来ます。 南北戦争中に南軍 (アメリカ連合国) 側であったルイジアナ州が直接購入したエンフィールド小銃には、トリガー・ガードの後部に六芒星が打刻され、その中心には「L」の文字が刻まれていた事が知られており、この六芒星のシンボルは、銃を収納した輸送用木箱にも描かれていました。 この事から、本品の銃床は南北戦争中にルイジアナ州に送られたエンフィールド小銃から流用された可能性が高いと考えられます。 また、本品には日本の壬申刻印に相当する刻印も入っている事から、南北戦争後に米国から余剰兵器として日本に出荷される際、もしくは日本に到着後に、サイド・ロックを1868年製の物に交換して使用された可能性も考えられます。
本品は全体に適度な時代が付いた良い雰囲気となっており、銃身や機関部といった金属部は、やや打ち傷や経年による褪色、若干の時代錆及び表面錆痕は見られるものの、目立った欠損等は見られず、概ねしっかりとした状態が保たれています。 木製銃床についても、全体にやや打ち傷や線傷の他、バット・プレート取り付け部周辺に僅かな欠けや木部表面の浮きが見られるものの、現状大きな破損等は見られません。 傷み易いバット・プレートについても、やや時代錆や表面錆痕は見られますが、目立った変形等は見られず、銃床への取り付けについても、がたつきもなくしっかりとしています。
作動については完全で、ハンマーのハーフ/フル・コックはしっかりと掛かり、フル・コック位置でトリガーを引くと、ハンマーが力強く落ちます。 銃身は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、火穴も抜けています。 銃身内は若干の表面錆は見られますが、5条のライフリングははっきりと確認出来ます。 パーカッション・ニップルについても、現状目立った欠けや変形等は見られません。 リア・サイトの起倒・調整についても問題なく行う事が可能です。 鉄製のさく杖が付属致します。 ニップル・ガード及びチェーンも付属していますが、ニップル・ガードは革製のパッド部分が欠品しています。

【「明治第千七百六十ニ番 度會縣」刻印について】
本品のバット・ストック左側面には「明治第千七百六十ニ番 度會縣」の刻印が確認出来、これは壬申刻印に相当する検査刻印と考えられます。
「壬申刻印」とは古式銃の一種の戸籍番号に相当します。 明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。
本品には「明治第千七百六十ニ番 度會縣」の刻印が打刻されている事から、本品が明治5年以降に度會縣 (度会県) で同様の検査を受けた事を示していると思われます。 度会県 (わたらいけん) は、1872年1月2日 (明治4年11月22日) に伊勢国・志摩国・紀伊国の一部を改めて設置された県で、1876年 (明治9年) に三重県に編入されました。

キッチリとしたエンフィールド小銃は最近は見ることも少なくなってきており、本品は漫画家の松本零士先生のコレクションの中にあった3挺のエンフィールド小銃の中で最も程度が良い一挺です。 (KK)(MM)

【登録証情報】
(種別: 管打ち式銃砲、全長: 124.3cm、銃身長: 84.2cm、口径: 1.5cm、銘文: 無銘)

【その他の情報】
平成16年3月25日に京都府教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。 無可動実銃ではありません。

古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。

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