 |
|
|
|
 |
US スペンサー M1865 カービン (銃砲刀剣類登録証付古式銃、#7771) |
|
 |
 |
|
 |
|
|
▲クリックで拡大画像をご覧いただけます。 Copyright© Chicago Regimentals Co. , Ltd. All Rights Reserved. |
価格(税込)
|
\2,970,000 |
商品番号
|
【9552】 |
英 名
|
US Spencer M1865 Carbine |
種 類
|
古式銃(登録証付)、レバー・アクション、東京店在庫品、X候補、松本零士先生旧蔵品 |
国 名
|
アメリカ合衆国 |
時 代
|
第一次大戦前(〜1914) |
全 長
|
940mm |
口 径
|
12,5mm |
装 弾
数
|
7発 |
在 庫
数
|
限定1品 |
画像について
|
画像は現物です。 |
コメント
|
【スペンサー M1865 カービン について】
スペンサー連発銃 (Spencer Repeating Rifle) は、クリストファー・スペンサー (Christopher Miner Spencer、1833年6月20日-1922年1月14日) が開発した後装内火式の7連発レバー・アクション小銃で、1860年から1869年の間に生産されました。 クリストファー・スペンサーは元々はコルト社の社員でしたが、そこで銃器の設計技術を学び、26歳の若さでスペンサー連発機構のパテントを取得しています。 スペンサー小銃はトリガー・ガードを兼ねたレバーを下方に引く事によってブリーチ・ブロックが下降し、バット・ストック内の管状弾倉 (Tube Magazine) から弾丸を薬室に送り込むと同時に空薬莢を上部から排莢します。 当時スペンサー小銃に対抗できる連発銃はヘンリー ライフルのみでしたが、ヘンリー弾は.44RFという拳銃弾程度の威力しかなく、軍用としてのストッピング・パワーではスペンサーがヘンリーに勝っていました。 しかしながら13連発という装弾数と同じレバー・アクション (操作) ながら、ハンマーも同時に起す事のできるヘンリー ライフルの方に軍配があがりました。 スペンサー小銃はレバー操作とは別に、ハンマーを親指で起こす必要がありました。
スペンサー小銃の最初のモデルはM1860で、南北戦争 (1861年-1865年) において主に北軍によって使用されました。 スペンサーM1860ライフルはカービンに先駆けて1862年のシャープスバーグ (Sharpsburg) の戦いで始めて支給されました。 有名な1863 年のゲティスバーグ (Gettysburg) の戦いでは、カスター将軍 (当時北軍騎兵旅団司令官) の配下のミシガン第5騎兵連隊の2個部隊もカービン (騎兵銃) ではなくライフル (歩兵銃) を使用し南軍を撃退しました。 尚、スペンサーM1860カービンの銃身長は22インチで、ライフルは30インチでした。
スペンサー小銃用の弾薬は、.52口径のスペンサー ライフル及びカービン用として1860年に開発された.56-56 Spencer弾でした。 一般的にはスペンサー小銃専用のイメージがありますが、バラード カービン (Ballard Carbine) やジョスリン カービン (Joslyn Carbine) も同じ弾薬を使用しました。 この当時の弾薬表示方法は現在とは異なり、「.56-56」の場合、前の数字が薬莢後部 (リムの直前部分) 直径である.56インチ (14,2mm) を示しており、後の数字は薬莢前部の直径である.56インチ (14,2mm) を示していました。 弾丸直径は.52インチの.52口径で、薬莢の長さは.875インチ (22,2mm) でした。 その後、使用弾薬は.50口径の.56-52または互換性のある.56-50に変更されました。 尚、.56-52と.56-50は、薬莢前部と後部の径が異なるテーパーのある薬莢を使用しました。 これら3種のスペンサー弾は、南北戦争の主要小銃であった.58口径の施条前装小銃 (Rifled Musket) とほぼ同じ威力がありましたが、1866年に米軍標準軍用小銃弾となったスプリングフィールド トラップ・ドア ライフル用の.50-70 Government弾 (Springfield M1866用) や、その後の.45-70 Government弾 (Springfield M1873用) に比べて威力が少なかった事が、南北戦争後にはスペンサー小銃が軍用として使用されなくなった原因の一つと考えられています。 反対にスペンサー小銃と比較される事の多いシャープス小銃が単発ながら口径を変更しつつも米軍用として使用され続けたのは、強力なGovernment弾を使用できるように改造できたためと言われています。
スペンサー小銃が南北戦争後に米国で軍用銃として運用されなかった大きな要因としては、前述のようにスペンサー弾が軍用として威力が弱かった事が挙げられますが、他にも当時の標準的な前装銃と比べ10倍近い発射速度が「兵による弾薬の無駄使い」とされ、弾薬の補給の問題が軍首脳部において問題視されたのが原因とも言われています。 南北戦争開戦時にはすでにスペンサー小銃は開発されていましたが、新型弾を大量に消費し新参であるスペンサー社製の小銃を採用する事は、当時の合衆国陸軍首脳部には抵抗がありました。 ヘンリー ライフルやウィンチェスター社のM1866 (イエローボーイ) が軍用として採用されなかったのも弾薬の威力を含め同じような政治的理由とも言われています。 1863年当時30歳であったクリストファー・スペンサーは、エイブラハム・リンカーン大統領に直談判を行い、大統領を始め陸軍省長官たちの前で試射会をしてリンカーン大統領からの直々の採用命令を得るという荒業を行いました。 リンカーン大統領が1865年に暗殺された後、南北戦争後の制式軍用銃の採用には多くの軍関係者とコネクションを持つスプリングフィールド国営造兵廠製のトラップ・ドア小銃が採用されたのは自然の成り行きだったでしょう。 スペンサー小銃は南北戦争中だけでも10万挺以上が製造され、戦後も生産が続けられましたが、合衆国政府からの注文が途絶えた上に戦後の余剰火器が民間に溢れたため、1868年にスペンサー社 (Spencer Repeating Rifle Company) は倒産に至りました。 1889年にはスペンサー社の資産はウィンチェスター社のオリバー・ウィンチェスター (Oliver Fisher Winchester、サミュエル・ウィンチェスターの息子) に20万ドルで売却されました。 戦後多くのスペンサー小銃は退役軍人に払い下げられて米国西部で使用され、1920年頃までスペンサー弾は製造が続けられました。 尚、南北戦争中にはスペンサー社以外にもバーンサイド社が3条のライフリングを備えたスペンサー M1863 (スペンサー社製は6条ライフリング) をライセンス生産しており、1869年にスペンサー社の資産を引き継いだウィンチェスター社でも生産が行われたと言われています。 合衆国政府造兵廠が戦後保管したスペンサー小銃の多くは、1870年に勃発した普仏戦争 (プロイセン=フランス戦争) 時のフランス軍や、南米のパラグアイとアルゼンチン・ブラジル・ウルグアイの三国同盟軍との間で行なわれた南米史上最も大きな戦争となった三国同盟戦争 (1864年-1870年) 時にブラジル軍用として輸出されました。 スペンサー小銃は日本にも南北戦争終結と同時に輸出され、フランス、ブラジルに次いで大量にスペンサー小銃を使用した国となりました。 日本には幕末に佐賀藩によって約8,000挺が輸入されて戊辰戦争 (慶応4年/明治元年 (1868年)〜明治2年 (1869年)) 等で使用されました。 当時日本国内でもスペンサー小銃は最新兵器で、「元込め7連発」と呼ばれて恐れられました。
南北戦争 (1861年-1865年) で主に北軍によって使用されたスペンサー M1860は、22インチ銃身を備えた.56-56 Spencer弾を使用するモデルでしたが、M1865は2インチ銃身が短い20インチ銃身となり、口径も.50口径に変更されました。 このスペンサー M1865は南北戦争終結年 (1865年) に生産が始まり、南北戦争には実質的には間に合いませんでしたが、多くの南北戦争の文献にはM1865が南北戦争で使用されたように記載されています。 スペンサー カービンは南北戦争後、その多くがアメリカ合衆国騎兵隊に支給され、スプリングフィールド M1873 カービンが制式となるまで、当時の最新型騎兵銃として騎兵隊の主要火器となっていました。 本体側面に騎兵隊が鞍に吊るす為のリング (サドル・リング) が付いている事から、「サドル・リング・カービン (Saddle Ring Carbine)」と呼ばれています。
スペンサー M1865には、ステーブラー・カット・オフ (Stabler Cut-Off) と呼ばれるマガジン・カット・オフ機構が導入されました。 ステーブラー・カット・オフは、レシーバー下部のトリガー前方に設けられた小さなレバーによって作動し、このレバーのツマミが後方にある状態では、内部部品がアンダー・レバーの動きを制限し、レバーを完全に下げきる事ができなくなります。 その結果、弾倉からの弾薬供給が遮断され、射手は薬室に1発ずつ直接装填して射撃する「単発運用」のみが可能となります。 レバーを反時計回りに90°回転させると制限が解除され、通常どおりマガジンから自動的に給弾される「連発運用」に切り替わります。 この機構は、弾薬を節約しながら必要な局面では即座に速射へ移行できるように設計されたものであり、当時の騎兵戦における運用に即した合理的な改良でした。 特に騎兵の行軍や補給の困難な環境では弾薬節約が重要であり、必要な局面でのみ連発射撃を行えるこの機構は極めて実用的でした。 ステーブラー・カット・オフは、南北戦争後のM1865から採用され、M1860以前のモデルには存在しませんでした。 ただし、M1865の大半に搭載されていたものの、必ずしも全ての個体に装着されていたわけではなく、初期生産品や後年の改修等を経た個体ではカット・オフを備えない例も確認されています。 (MM)(KK)
【本個体の説明】
本品の銃身基部上面には「M.1865」のモデル名が打刻されており、レシーバー上面には「SPENCER REPEATING RIFLE CO. BOSTON. MASS. PAT'D MARCH 6 1860.」のメーカー刻印及びパテント刻印が確認出来ます。 また、レシーバー後部上面にはシリアルNo.7771が確認出来ます。
本品は全体に適度な時代が付いた良い雰囲気となっており、銃身や機関部といった金属部は、やや打ち傷や経年による褪色、若干の表面錆が見られるものの、目立った欠損等は見られず、比較的良好な状態が保たれています。 木製ハンドガードやバット・ストックについても、やや打ち傷や線傷が見られる他、ハンドガード基部左側面やバット・ストックの銃把から後端にかけて古い補修痕が見受けられますが、現状強度的には比較的しっかりとした状態が保たれています。 リア・スイベルには現状固着等は見られません。 傷み易いバット・プレート部についても、若干の時代錆や表面錆は見られるものの、目立った変形等は見られず、銃床への取り付けもがたつきもなくしっかりとしています。 リア・サイトの起倒・調整については問題なく行う事が可能です。
作動については完全で、ハンマーのハーフ/フル・コックについてはしっかりと掛かり、フル・コック位置でトリガーを引くとハンマーが力強く落ちます。 アンダー・レバーを操作してのブリーチ・ブロックの開閉についても問題なく行う事が可能で、マガジン・カット・オフ機能についても正常です。 銃身内は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、若干の表面錆は見られるものの、ライフリングも深くはっきりと確認出来ます。 バット・ストック内のチューブ型弾倉の着脱についても問題なく行う事が可能です。
本品は漫画家の松本零士先生のコレクションの中の一挺です。 (KK)
【登録証情報】
(種別: 管打ち式銃砲、全長: 94.0cm、銃身長: 46.5cm、口径: 1.25cm、銘文: SPENCER REPEATING RIFLE CO. BOSTON MASS PAT'D MARCH 6 1860 M1865)
【その他の情報】
令和5年8月10日に東京都教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
|
|
|
 |
|
|
 |
|
 |
|
 |
|  |