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US スタール M1865 カービン (銃砲刀剣類登録証付古式銃、#35368) |
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価格(税込)
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\2,200,000 |
商品番号
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【9549】 |
英 名
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US Starr M1865 Carbine |
種 類
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古式銃(登録証付)、単発、東京店在庫品、松本零士先生旧蔵品 |
国 名
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アメリカ合衆国 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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964mm |
口 径
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14mm |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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限定1品 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【スタール M1865 カービン について】
スタール M1865 カービンは、南北戦争で使用されたスタール M1858 カービンの改良型で、後装式単発の管打式 (パーカッション式) から、初期の縁打式 (リム・ファイア式) 金属薬莢を用いる構造に変更されています。
スタール・カービンは、同時代のシャープス・カービンと同様、機関部下部にアンダー・レバー (プル・ダウン式トリガー・ガード/レバー) が設けられています。 しかしながら、シャープス・カービンとは異なり、スタール・カービンのブリーチ・ブロックは前部と後部の二つの部品に分かれています。 ハンマーは独立しており、装填レバーの操作とは別にハンマーを起こす必要がありました。 装填時にはまずハンマーを起こし、その後アンダー・レバーを下方に操作すると、後部ブリーチ・ブロックが下降し、前部ブリーチ・ブロックが後方に傾いて薬室が開放されます。 リア・サイトは三段階の射距離に対応した起倒式となっています。 .54口径の紙薬莢またはリネン薬莢を使用する管打式のM1858と、.52口径の初期金属薬莢を使用するM1865の外観上の違いとしては、M1858では真鍮製のバレル・バンドが、M1865では鉄製に変更されている点やハンマーの形状の違いがあります。 また、フロント・サイトの基部もM1858では大型でしたが、M1865では小型化されるなど、細かな改良が施されています。
1858年1月、銃器設計者でありスタール・アームズ社 (Starr Arms Company) の創始者であったエベンザー・スタール (Ebenzer T. Starr) は、単発後装式カービンの設計図を陸軍造兵廠に提出しました。 スタールのカービンは、陸軍造兵廠でのテストで不発が少なく、精度においても当時の平均を上回ると評価されました。 また、試験官たちはガス漏れの欠点を指摘しつつも、ガス・シールが改良されればシャープス・カービンを上回る可能性があると評価しました。 この改良を経て、スタール M1858 カービンは、1858年にアメリカ陸軍によって制式採用されました。
スタール・アームズ社は、1861年から1864年の間にニューヨーク州ヨンカーズで約2万挺のM1858 カービンを生産し、北軍に納入しました。 シャープス・カービンの納入数が約10万挺だったことを考えると、その5分の1にあたります。 M1858 カービンを装備した北軍騎兵連隊には、アーカンソー第1騎兵連隊、カンザス第5騎兵連隊、ミズーリ第11騎兵連隊、ニューヨーク第24騎兵連隊が含まれます。
1865年には、初期金属薬莢を用いるスタール M1865 カービンが米国政府によって3,000挺発注され、さらに追加で2,000挺が発注されました。 しかし、1865年の米陸軍武器試験委員会 (U.S. Army Trials Board) の審査では目立った成功を収めることができず、その後の追加注文がないまま南北戦争が終結しました。 スタール M1858 カービンの納入数は約2万挺に留まりましたが、それでもスタール・アームズ社は、南北戦争中に騎兵銃の供給元として5番目の規模を誇りました。 これは、南北戦争で使用された騎兵銃がいかに少なかったかを示しています。
スタール・アームズ社は、.44口径の軍用リボルバーの供給においては、コルトやレミントンに次いで第3位の規模でしたが、南北戦争終結後、政府からの発注がなくなり、戦後わずか2年後の1867年に倒産しました。 スタール・カービンは南北戦争後には製造されなかったため、現存数はシャープス・カービンやスペンサー・カービンに比べてはるかに少なく、バリエーションもM1858とM1865の2種類のみです。 幕末には南北戦争後の余剰火器とともに日本に輸入されましたが、日本国内での現存数は限られています。 (MM)(KK)
【本個体の説明】
本品の本体右側面のロック・プレートには「STARR ARMS CO YONKERS, N.Y.」のメーカー刻印が二行で入っており、銃身上面にも一部判読が難しいものの「STARR ARMS Co YONKERS, N.Y.」の刻印が確認出来ます。 また、機関部後部上方には「STARR’S PATENT. SEPT. 14TH 1858」のパテント刻印が二行で入っています。 銃身基部右側面にはシリアルNo.35368が打刻されています。
本品は全体に適度な時代が付いた良い雰囲気となっており、銃身や機関部といった鉄部は、やや打ち傷や経年による褪色の他、若干の時代錆や表面錆は見られるものの、目立った欠損等は見られず、銃身基部や機関部にはオリジナルの仕上げも一部確認出来ます。 木製のハンドガードやバット・ストックについては、若干の打ち傷や線傷が散見され、ハンドガードやバット・ストック取り付け基部の角に僅かに欠けが見られるものの、大きな破損等は見られず、比較的良好な状態が保たれています。 傷み易いバット・プレートについても、若干の時代錆や表面錆痕を除いて、目立った変形や腐食等は見られず、バット・ストックへの取り付けもがたつきもなくしっかりとしています。 リア・サイトの切り替えについては問題なく行う事が可能です。
作動については完全で、ハンマーのハーフ/フル・コックはしっかりと掛かり、フル・コック位置でトリガーを引くと、ハンマーが力強く落ちます。 ブリーチ・ブロックの開閉についてもスムーズに行う事が可能です。 銃身内は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、若干の表面錆は見られるものの、ライフリングは深くはっきりと確認出来ます。
【壬申刻印について】
本品の銃身基部左側面には「壬申 四五八三 長野縣」の壬申刻印が入っています。 「壬申刻印」とは古式銃の一種の戸籍番号に相当します。
明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。 本品は「壬申 四五八三 長野縣」の刻印が入っている事から、明治5年に長野県に届け出が行われた品である事が判ります。
弊社在庫品でスタール M1865 カービンは複数挺ありますが、漫画家の松本零士先生のコレクションの中の一挺であった本品が最もコレクター価値の高い品です。 (KK)(MM)
【登録証情報】
(種別: 管打ち式銃砲、全長: 96.4cm、銃身長: 51.0cm、口径: 1.4cm、銘文: □申四五八三 長野縣)
【その他の情報】
平成16年7月23日に東京都教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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