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◉US コルト M1855 リボルビング・ライフル (銃砲刀剣類登録証付古式銃、.56口径軍用モデル、#4226) |
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価格(税込)
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\6,600,000 |
商品番号
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【9522】 |
英 名
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Colt M1855 Revolving Military Rifle w/ Bayonet Lug |
種 類
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古式銃(登録証付)、東京店在庫品、X候補、松本零士先生旧蔵品 |
国 名
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アメリカ合衆国 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,239mm |
口 径
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15mm (.56 Cal.) |
装 弾
数
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5発 |
在 庫
数
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限定1品 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【コルト M1855 リボルビング・ライフル (.56口径軍用モデル) について】
コルト "ニュー・モデル" リボルビング ライフルとも呼ばれる、コルト社が1855年から1864年頃にかけて製造した初期の連発式ライフルです。 コルト ニュー・モデル リボルビング・ライフルは、機構的にはElisha K. Rootの設計によるコルト M1855 サイド・ハンマー ポケット・リボルバーを拡大したもので、.36口径、.40口径、.44口径、.50口径、.56口径といった口径の異なる様々なモデルが存在し、さらに15インチから30インチまでの銃身長の異なるライフル・モデル及びカービン・モデルが軍用若しくはスポーツ用として製造されました。
コルト ニュー・モデル リボルビング・ライフルには、製造時期に応じて各部の異なるバリエーションが存在します。 当初.36口径で銃身長が21インチから30インチのスポーツ・モデルのみが発表されましたが、その後15インチ及び18インチの銃身を持つカービン・モデル等がラインナップに加わりました。 初期の.36口径 ニュー・モデル リボルビング・ライフルには、バレル・ラグの左側面もしくは極めて稀に右側面に潤滑装置が設けられていました。 これは発射時の残渣の発生を抑える為に、装填後の弾丸表面に潤滑油もしくはグリースを塗布するものでした。 また、初期生産品の.36口径 M1855には他にも銃身に沿ってクリーニング・ロッドが取り付けられていた他、トリガー・ガード前方及び後方に指掛け用の突起が設けられているのも特徴です。 この指掛けは、シリンダー・ギャップ等から漏れ出る発射ガスが添え手に当たらないように銃を構える事を可能にする為のものでした。 当初コルト社では.36口径モデルを軍用向けに供給する事を狙っていましたが、軍用としては.36口径は威力不足であると判断され、その後1855年後半に口径を拡大した.44口径モデルが開発されました。 .44口径モデルは.36口径モデルとは異なり、前述の潤滑装置及び銃身側面に装備されるクリーニング・ロッドは省略されました。
.44口径のコルト ニュー・モデル リボルビング・ライフルは、1856年に米陸軍から101挺の発注を受け米軍が初めて採用した連発式ライフルとなりました。 この米軍が発注したモデルは、銃身長が30インチで、フォア・エンドが前部まで伸びたフル・ストックのタイプでした。 米軍では1858年にさらに300挺の発注を行い、実地試験に投入されました。 コルト社ではその後、更に口径を拡大した.56口径のモデルの開発を1856年春に開始し、1858年から本格的に生産しました。 この.56口径モデルは、口径の拡大に伴いフレーム・サイズが大型化されていた他、装弾数も5発に変更されました。 シリンダーは大型化に伴う重量の増加を低減する為、軽量化の為のフルートがシリンダー表面に設けられました。 その後、1859年には米海軍のトライアルに向けて、フレーム・サイズを更に拡大して口径を.65口径としたモデルも開発されました。
スポーティング・モデルについても同様に各種口径のモデルが製造され、銃身下部の銃床 (フォア・エンド) が銃身の半分程度の長さのハーフ・ストック・モデルに加えて、フォア・エンドが銃口付近まで延びているフル・ストック・モデルが製造されました。 また、派生モデルとして.60口径 (20GA) 及び.75口径 (10GA) のリボルビング・ショットガンも開発され、1860年から1863年頃にかけて約1,100挺が製造されました。
M1855は一旦全弾を発射してしまうと再装填に時間がかかった他、射撃時に銃本体の隙間等に付着していた火薬の残渣に引火し、全てのシリンダーから弾丸が発射されてしまうチェーン・ファイアが起こる危険性があるといった、リボルビング・ライフル特有の欠点が存在しました。 また、チェーン・ファイアが発生しない場合でも、発射時に鉛の断片がシリンダー前方に添えた射手の手首等に向けて飛び散るといった問題も存在した為、軍用、民間用ともに大きな成功を収めるには至りませんでした。 南北戦争勃発時には軍から追加発注が行われましたが、実戦部隊からは早々に引き上げられてシャープス M1859 カービン等に置き換えられる事となりました。 1855年から1864年にかけて製造されたコルト "ニュー・モデル" リボルビング・ライフルの生産数は、全バリエーションを合わせても僅か13,000挺程度であったと言われています。 (KK Updated)
【本個体の説明】
本品は銃口部に着剣装置を備えた.56口径の軍用ライフル・モデルで、31インチ銃身及びフォア・エンドが銃身前部まで延びたフル・ストックを備えています。 リア・サイトは100/300/500ヤードで切り替え可能な起倒式となっています。 シリンダーの装弾数は5発となっています。 フレーム上面には一部薄くなっていますが「COL. COLT HARTFORD CT. U.S.A.」のメーカー刻印が確認出来ます。 フレーム下面には4226のシリアルNo.が打刻されており、ロア・タングには1073のシリアルNo.が確認出来ます。 その他、銃身基部右側面に「1」の番号が確認出来ます。
本品の銃身やフレーム、シリンダーといった金属部は、若干の打ち傷や擦れ、経年による褪色の他、一部に表面錆痕が見られるものの、現状目立った欠損等は見受けられません。 木製ハンドガードやバット・ストックについても、やや打ち傷や線傷、部分的な欠けが見受けられる他、リア・バンド周辺のハンドガード左側面に古い補修痕が見られるものの、現状強度的にはしっかりとした状態が保たれており、各部の取り付けにもがたつき等は見られません。 前後バレル・バンドは仕上げが落ちて、一部時代錆や表面錆痕が表れています。 傷み易いバット・プレート部については、全体に時代錆が表れ、若干の表面錆が見られますが、目立った変形等は見られず、銃床への取り付けもがたつきもなくしっかりとしています。 ストック内コンパートメントのスライド式の蓋の開閉については問題なく行う事が可能です。 前後スリング・スイベルには現状固着等は見られません。 鉄製のさく杖が付属いたします。
作動については完全で、ハンマーのハーフ/フル・コックもしっかりと掛かり、フル・コック位置でトリガーを引くとハンマーが力強く落ちます。 また、ハンマーの操作に合わせてシリンダーが正常に回転します。 ローディング・レバーの機能についても正常です。 銃身内は若干の表面錆が見られるものの、銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、ライフリングも深くはっきりと確認出来ます。 シリンダーのパーカッション・ニップルはやや表面錆が見られるものの、大きな変形や欠け等は見られず、比較的しっかりとした状態が保たれています。
本品は漫画家の松本零士先生のコレクションの中の一挺です。 銃口部の着剣装置、Cal.56の軍用大口径、31インチの長銃身にフォア・エンドが銃身前部まで延びたフル・ストックを備えた迫力のある品です。
(KK)(MM)
【壬申刻印について】
本品のロア・タングには「壬申 大分縣六三四」の壬申刻印が入っています。 「壬申刻印」とは古式銃の一種の戸籍番号に相当します。
明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。 本品は「壬申 大分縣六三四」の刻印が入っている事から、明治5年に大分県に届け出が行われた品である事が判ります。大分縣は1871年(明治4年)11月14日 (旧暦)に 旧豊後国内に置かれていた杵築県、日出県、府内県、臼杵県、日田県、森県、岡県、佐伯県の8県などを併合し成立しました。 1872年の壬申調査の際は九州地方は、中国地方や四国地方に比べ進んでおらず、特に鹿児島県を始め南九州地方の調査は非常に遅れていました。 大分県は南九州地方ではありませんが、積極的に調査に協力した県ではありませんでした。 また、数少ない大分県の壬申刻印が打たれた銃が度々東京都内で発見されるのは1877年の西南戦争で激戦地になり、戦利品として東京の警視隊が持ち帰ったのではないかと言われています。
【登録証情報】
(種別: 管打ち式銃砲、全長: 123.9cm、銃身長: 77.0cm、口径: 1.5cm、銘文: COLT HARTFORD CT. U.S.A.、備考: 壬申大分縣六三四)
【その他の情報】
平成6年3月8日に東京都教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
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