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和製 M1855 ライフル・マスケット (メイナード式テープ雷管、壬申七ニ九 武庫司 大塚吉重 [花押])  
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価格(税込)
 価格調整中
商品番号
 【9509】
英  名
 Japanese-made Model 1855 Rifle Musket
種  類
 古式銃(登録証付)、単発、東京店在庫品、松本零士先生旧蔵品
国  名
 アメリカ合衆国 / 日本
時  代
 第一次大戦前(〜1914)
全  長
 1,426mm
口  径
 14mm
装 弾 数
 単発
在 庫 数
 価格調整中
画像について
 画像は現物です。
コメント
 【和製 M1855 ライフル・マスケット (メイナード式テープ雷管) について】
米国で製造された、前装式の管打式 (パーカッション式) 軍用小銃です。
M1855 小銃は、当時としては画期的な特徴をいくつか備えており、従来支給されていた .69 口径の歩兵銃に比べて小口径の.58 口径を採用していたほか、全兵科に広く支給されることを目的とした初の施条銃でした。 本銃の採用以前は、滑腔式 (スムース・ボア) マスケットが標準装備で、ライフリングを備えた施条銃は限定的にしか支給されていませんでした。 さらに、本銃はフランスのミニエー弾を米国で改良したバートン弾 (Burton Ball) を使用するよう設計された最初の米軍用銃でもありました。 加えて、M1855 小銃はエドワード・メイナード (Edward Maynard) 博士が開発した、テープ状のプライマー (雷管) を自動で装填する機構を搭載していました。 この機構では、ニスが塗布されたテープ状の雷管を使用し、ハンマーを起こすたびに新しい雷管がパーカッション・ニップル上に配置される仕組みとなっていました。 ハンマーの打撃面の縁は鋭利な刃のような形状となっており、テープ雷管が消費されるたびに使用済みの部分を切り落とすよう設計されていました。
M1855 小銃は 1855年に米軍制式となりましたが、スプリングフィールド造兵廠での生産開始は 1857年、ハーパーズ・フェリー造兵廠では 1858年からでした。 M1855 小銃は、1857年から1861 年にかけてスプリングフィールドで合計47,115挺、ハーパーズ・フェリーでは1858 年から1861年までの間に 23,139 挺が製造されました。 さらに、M1855 小銃の生産契約は一部の民間業者にも発注されており、A.M. Burt 社、J.D. Mowry 社、J.F. Hodge 社、J. Mulholland 社、A. Jenks & Son 社といったメーカーが受注しましたが、複雑なメイナード式テープ雷管機構が災いして生産が遅延し、結局どの業者も M1855 小銃を納品することはできませんでした。 その後、南北戦争が勃発すると、これらの業者はメイナード式テープ雷管機構を廃止し、簡略化された M1861 ライフルド・マスケットを製造することになりました。 なお、Eli Whitney Jr. 社はメイナード式テープ雷管機構を搭載した M1855 小銃を生産しましたが、同社が製造した350挺のM1855 小銃は軍の公式契約品ではなく、全てコネチカット州に販売されたと考えられています。
M1855 小銃は製造期間を通していくつかの仕様変更が行われており、当初はリア・サイトの基部が長く、リア・サイト・リーフも長いデザインとなっており、銃床のノーズ・キャップは真鍮製でした。 1858年には新型のリア・サイトが採用され、100ヤードおよび 300ヤード用のL字型サイト・リーフと 500ヤード用の長いサイト・リーフを備えた、リア・サイト基部が短いデザインに変更されました。 スプリングフィールド造兵廠では1858年から新型リア・サイトが導入されましたが、ハーパーズ・フェリー造兵廠では1859年からの導入となりました。 また、1859年には銃床のノーズ・キャップが真鍮から鉄製へ変更され、銃床の右側面に鉄製のパッチ・ボックス (弾薬収納部) が追加されることが承認されました。 このパッチ・ボックスの製造と銃床への加工には時間を要したため、スプリングフィールド造兵廠での実際の生産導入は1859年7月9日からとなりました。
南北戦争 (1861-1865) ではM1855 小銃も多数投入されました。 M1855 小銃は、南北戦争勃発時に生産されていた米国製小銃の中で最も先進的なモデルであり、当初は主に正規歩兵連隊に支給されていましたが、後にM1861 ライフルド・マスケットと並行して、多くの正規および義勇歩兵連隊に配備されました。 ただし、メイナード式テープ雷管機構は脆弱で信頼性に問題があったため、戦場では通常の雷管を使用することが一般的であったと言われています。

本品は40インチ銃身を備えたM1855 ライフル・マスケットを基に、日本で模作された品と思われます。 サイド・ロックには米国の軍用小銃に見られる刻印等は一切打刻されておらず、銃身基部には、「大塚吉重」の銘及び花押と思われる刻印が確認出来ます。 「大塚吉重」は「全国鉄砲鍛冶銘鑑」P.58に「武蔵江戸」として掲載されており、江戸で活動していた鉄砲鍛冶の一人と考えられます。 同銘鑑には他にも大塚姓を持つ鉄砲鍛冶として、大塚喜内、大塚重久、大塚善之助 (安政四年)、大塚忠次郎 (天和元年)、大塚吉秀、大塚吉之助 (文久三年)といった銘が掲載されており、いずれも「武蔵江戸」もしくは「江戸鉄砲町」と掲載されている事から、大塚吉重も江戸 (日本橋鉄砲町?、現在の中央区日本橋本町3丁目〜4丁目) で活動した大塚一門の一人であると考えられます。 サイド・ロック裏側や内部部品に漢数字や「上」と読める刻印が打刻されている他、台の内部に「九」の漢字が墨書きされています。 また、リア・サイトの射程距離表示についても「五○」「六○」「七○」の漢数字表記となっています。 また、鉄の硬度もアメリカ製よりも高くないのも和製である根拠になりますが、ここまで正確に模作出来た当時の日本の鉄砲鍛冶の技術の高さには驚かされます。

【本個体の説明】
本品は全体に使い込まれて時代が付いたコンディションとなっており、銃身や機関部、トリガー・ガードといった鉄部は時代錆や表面錆の他、一部に朽ち込み痕が見受けられますが、大きな欠損等は見られず、概ねしっかりとした状態が保たれています。 木製銃床については、全体にやや打ち傷や線傷が見られる他、銃床後端下部やバット・プレート取り付け部周辺の木部に補修痕が見受けられます。 傷み易いバット・プレート部については、全体に時代錆や表面錆は見られるものの、大きな変形等は見られず、銃床への取り付けについてもがたつきもなくしっかりとしています。 リア・スイベルは現状固着しており、一部欠けが見られます。
作動については完全で、ハンマーのハーフ/フル・コックはしっかりと掛かり、トリガーを引くとハンマーがスムーズに落ちます。 テープ雷管機構の蓋は開閉可能で、蓋を開けた状態でハンマーを操作すると、テープ雷管を送り出す機構が連動して動作する事を確認できます。 リア・サイトの起倒・調整についても問題なく行う事が可能です。 銃身は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、火穴も抜けています。 パーカッション・ニップルにはやや時代錆が表れていますが、現状大きな欠けや変形等は見受けられません。 銃身内のライフリングについては、現状表面錆により確認が難しくなっています。 鉄製のさく杖が付属いたします。

【壬申刻印について】
本品の銃身基部には、「壬申七ニ九 武庫司」の壬申刻印が確認出来ます。
明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれる事もあります。
本品には「壬申七ニ九 武庫司」の刻印が入っている事から明治5年 (1872年) に明治5年に東京もしくは大阪の武庫司に届け出が行われた品である事が判ります。 また、作者が「武蔵江戸住」の鉄砲鍛冶なので東京の武庫司に届けられた可能性が高い品です。

本品は漫画家の松本零士先生のコレクションの中の一挺です。 幕末の日本で複雑なメイナード式テープ雷管機構の模作が試みられていた事を示す、極めて希少な資料と言えます。 (KK)

【登録証情報】
(種別: 管打ち式銃砲、全長: 142.6cm、銃身長: 101.5cm、口径: 1.4cm、銘文: 無名、備考:壬申七二九武庫司)

【その他の情報】
平成10年11月10日に東京都教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。 無可動実銃ではありません。

古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。

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