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US フリント・ロック トレード・ライフル (銃砲刀剣類登録証付古式銃、S. Beck社製)  
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価格(税込)
 \770,000
商品番号
 【9504】
英  名
 US Flintlock Trade Rifle mfd. by Samuel Beck
種  類
 古式銃(登録証付)、単発、東京店在庫品、X候補、松本零士先生旧蔵品
国  名
 アメリカ合衆国
時  代
 第一次大戦前(〜1914)
全  長
 1,427mm
口  径
 10mm
装 弾 数
 単発
在 庫 数
 限定1品
画像について
 画像は現物です。
コメント
 【US フリント・ロック トレード・ライフル (S. Beck社製) について】
米国インディアナ州の銃工であるサミュエル・ベック (Samuel Beck) により製造された、燧石式 (すいせきしき)/火打石式 (フリント・ロック=Flintlock) の単発小銃です。 火打石式はフリント・ロックとも呼ばれる点火方式の1つで、1620年頃に開発されたとされています。 より信頼性の高いパーカッション・ロック式 (雷管式) が1840年頃より主流となるまでの約200年間に、大型の軍用銃から小型の護身用拳銃まで様々な小火器の撃発機構として使用されました。 本品の各部の作りはペンシルベニア・ライフルのスタイルを踏襲していますが、全長は一般的なペンシルベニア・ライフルに比べて短く、トレード・ガンやトレード・ライフルと呼ばれる物に近いサイズとなっています。
ペンシルベニア・ライフル (Pennsylvania Rifle) とは、18世紀初頭にペンシルベニア南東で開発された狩猟用のライフルで、(アメリカン) ロング・ライフル (American Long Rifle) やケンタッキー・ライフル (Kentucky Rifle) といった名称でも呼ばれます。 これらは銃身内にライフリングが施された、ライフルド・マスケットとも呼ばれる初期のライフルの一種で、球形の鉛弾に回転を与える事により、高い弾道安定性を持っていました。 一方で、銃身内にライフリングの無いスムース・ボア (滑腔銃身) のマスケット銃に比べて弾丸と銃身内のクリアランスがタイトであったため、装填に時間が掛かるのが欠点でした。 (この装填に時間が掛かるという欠点は、その後登場したミニエー弾により解消される事となります)。
ペンシルベニア・ライフルは当初18世紀初頭にペンシルベニア南東に定住したドイツ系のガンスミス達によってハンドメイドにより製造されたと伝えられています。 ペンシルベニア州における記録上最初の銃工は、ロバート・ベイカーと父子のマーティン・メイリン (Martin Meylin) だとされています。 マーティン・メイリンの工房は1719年に建てられ、スイス系ドイツ人の銃工たちが、初期のペンシルベニア・ライフルを製造した場所とされています。 しかしながら、現在メイリンによるものと確実に証明されたライフルは発見されていません。 高品質なアメリカン・ロング・ライフルが最初に製造されたのは、1740年にドイツから家族と共にペンシルベニア州バークス郡へ移住した銃工ジェイコブ・ディカート (Jacob Dickert) によるものだという記録が残されています。 彼が製作された銃を指す「ディカート・ライフル (Dickert Rifle)」という名称は、ブランド名として認識されていました。 ディカートは大陸軍にライフルを供給しており、1792年にはアメリカ陸軍へのライフル供給契約を結んでいた事で知られています。 尚、アメリカン・ロング・ライフルを指すケンタッキー・ライフル (Kentucky Rifle)」という呼称は、歴史上かなり後になって (おおよそ1820年代) から使われるようになったものです。 1812年から1815年にかけて行われた米英戦争では、アンドリュー・ジャクソンとニューオーリンズの勝利を称えた人気歌「The Hunters of Kentucky (ケンタッキーの狩人たち)」の影響で、アメリカン・ロング・ライフルが「ケンタッキー・ライフル」という愛称で呼ばれるようになりました。
ペンシルベニア・ライフルの撃発機構は、18世紀中頃に一般的となったフリント・ロック式がメインでしたが、19世紀前半に雷管を使用するパーカッション式 (管打式) の撃発機構が開発されると、フリント・ロック式のペンシルベニア・ライフルの多くがパーカッション式に改造されました。 また、一部には伝統的なペンシルベニア・ライフルのスタイルを保ったまま、当初からパーカッション式として製造された品も見られます。 19世紀にはケンタッキー・ライフルの派生型として全長の短いカービン・タイプであるホーケン・ライフル (プレーンズ・ライフル) と呼ばれる品も製造され、マウンテン・マン等のハンター達によって愛用されました。
一方、トレード・ガンとは、19世紀初頭から半ばにかけて、主に英国で製造され、北アメリカ北部の毛皮貿易会社によって北米のアメリカ先住民向けに供給された銃を指します。 それらは特にノースウェスト毛皮会社 (Northwest Fur Company) 及び1821年以降はハドソン湾会社によって取引されましたが、アメリカ毛皮会社 (American Fur Company)、マッキノー社 (Mackinaw Company)、米国インディアン貿易局 (U.S. Indian Trade Office) もアメリカ先住民と銃の取引を行っていました。 トレード・ガンは、一般的に「ノースウェスト銃」や「マッキノー銃」、「ハドソン湾銃」等と呼ばれており、ヨーロッパ系アメリカ人向けに製造された銃よりも安価で取引され、当時北米沿岸に住んでいた先住民は、海洋交易商人との交易において、毛皮と引き換えに銃を入手していました。 また、銃そのものが毛皮の調達に利用されたことから、ヨーロッパやアメリカの毛皮商人が銃を交易品として提供するのは理にかなっていました。 さらに、銃は火薬、弾丸、火打石、補修部品などの継続的な供給を必要としたため、毛皮商人はその依存関係を商業的に活用していました。 一方で、先住民も商人への依存を自覚ながら、領土の拡大や自衛、そして狩猟のための重要な道具として銃に価値を見出していました。 尚、大半のトレード・ガンは、一般的なペンシルベニア・ライフルに比べて、銃身がやや短く軽量な作りとなっていました。
本品のトリガー・ガードはスパー (指掛) を備えており、バット・プレート部の角が尖った形状となっている点などは、オーソドックスなペンシルベニア・ライフルの形状を踏襲していますが、バット・ストックの下方へのカーブは一般的なペンシルベニア・ライフルに比べて緩やかなものとなっています。 フロント・サイトは洋白製と思われるアリ溝固定のブレード・サイトで、リア・サイトはアリ溝固定のセミ・バックホーン・サイトとなっています。 トリガーは精密な射撃を可能にするダブル・セット・トリガーとなっており、当時多数出回っていた安価なトレード・ガンとは一線を画しています。 全体としては装飾性は控えめの、実用的な作りの銃です。
本品を製造したサミュエル・ベック (Samuel Beck) は1809年にペンシルベニア州で生まれ、19世紀半ばから後半にかけてインディアナ州インディアナポリスで活躍した銃工です。 1861年から1885年にかけて、銃床形状 (フル・ストック/ハーフ・ストック) や発火機構 (火打石式/管打式) の異なるライフルをはじめ、ピストルやショットガンなど多様な銃器を製作しました。 彼は「Samuel Beck & Son」という銃器製造会社を経営し、その工房兼店舗はインディアナポリスのイースト・ワシントン・ストリート63番地に所在していました。 当時の銃器製造は工場での大量生産へと移行しつつありましたが、ベックは地域の下請け銃工に粗材や部品を供給し、仕上げや組み立てを行わせる事で製品を完成させ、独自の銃を世に送り出しました。 1849年1月9日のインディアナ州センチネル紙には「自社製および輸入品のライフル、ショットガン、ピストルを取り揃え、適正な価格で販売する」との広告が掲載されており、当時から積極的に販路を広げていた事が窺えます。
ベック一族は、サミュエルをはじめ、兄弟のクリスチャン・ベックやジェイコブ・ベック、そしてウィリアム・ベックが揃って銃工として活動した事で知られています。 彼らはインディアナポリスやマリオン郡一帯に銃器工房を構え、1858年以降の市名鑑にも記録されています。 父であるクリスチャン・ベック三世は、名工ジョン・ボーンウィッツのもとで修業を積み、その後ペンシルベニアやメリーランドで銃工として活動した人物であり、その技術と伝統が息子たちに受け継がれました。 クリスチャン四世は南北戦争で中佐に昇進した経歴を持ち、ジェイコブは反モルモン運動や米墨戦争に参加するなど、それぞれが銃工としてのみならず社会的にも存在感を示しました。 今日に残るサミュエル・ベック社の製品やベック一族が製作した銃器は、19世紀中西部における職人による銃工文化を今に伝える貴重な遺産であり、アメリカ銃器史における職人制から工場制への移行期を示す好例となっています。 (KK)

【本個体の説明】
本品の銃身上面には、一部判読が難しいものの「S. BECK」のメーカー刻印が確認出来ます。
本品の銃身やサイド・ロックといった鉄部は全体に時代が付いており、時代錆や経年による褪色の他、一部に朽ち込み痕が見受けられます。 木製銃床については、全体にやや打ち傷や線傷が見られます。銃把とトリガー・ガード周辺の木部に古い補修痕が見られますが、現状ではほぼ判らないように修理されていますが、取扱は慎重にされることをお勧めします。 その他、銃床先端や銃身取付部周辺、バット・ストック後端等に複数のひびが見られます。 真鍮製のノーズ・キャップやトリガー・ガード、バット・プレートについては適度な時代が付いており、ノーズ・キャップの取り付けにやや遊びが見られる他、トリガー・ガードに一部補修痕が見られます。 尚、アッパー・タングやサイド・プレートについては補修により交換されています。
作動については完全で、撃鉄 (コック) のフル・コックはしっかりと掛かり、フル・コック位置でトリガーを引くと、ハンマーがスムーズに落ちます。 ダブル・セット・トリガーの機能についても正常で、後方のセット・トリガーを引いてセットすると、前方のトリガーを軽いトリガー・プルで引く事が可能となります。 フリズンの開閉についても問題なく、テンションもしっかりと掛かっています。 銃身は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、火穴も抜けています。 銃身内はやや表面錆が見られますが、ライフリングは比較的はっきりと確認可能です。 木製のさく杖が付属いたします。

本品は漫画家の松本零士先生のコレクションの中の一挺です。古い補修痕があるのでお値打ち価格に設定してあります。 (KK)(MM)

【登録証情報】
(種別: 火打ち石式銃砲、全長: 142.70cm、銃身長: 100.70cm、口径: 1.0cm、銘文: S.BECK)

【その他の情報】
昭和50年4月16日に東京都教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。 無可動実銃ではありません。

古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。

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