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US 管打式 ケンタッキー ライフル (銃砲刀剣類登録証付古式銃、Griffith社製) |
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価格(税込)
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\880,000 |
商品番号
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【9503】 |
英 名
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US Kentucky Percussion Rifle mfd. by Griffith, Louisville |
種 類
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古式銃(登録証付)、単発、東京店在庫品、松本零士先生旧蔵品 |
国 名
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アメリカ合衆国 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,248mm |
口 径
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9mm |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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限定1品 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【US 管打式 ケンタッキー ライフル (Griffith社製) について】
ケンタッキー・ライフル (Kentucky Rifle) は、元々18世紀初頭にペンシルベニア南東で開発された狩猟用のライフルで、ペンシルベニア・ライフル (Pennsylvania Rifle) や (アメリカン) ロング・ライフル (American Long Rifle) といった名称でも呼ばれます。 これらは銃身内にライフリングが施された、ライフルド・マスケットとも呼ばれる初期のライフルの一種で、球形の鉛弾に回転を与える事により、高い弾道安定性を持っていました。 一方で、銃身内にライフリングの無いスムース・ボア (滑腔銃身) のマスケット銃に比べて弾丸と銃身内のクリアランスがタイトであったため、装填に時間が掛かるのが欠点でした。 (この装填に時間が掛かるという欠点は、その後登場したミニエー弾により解消される事となります)。
ペンシルベニア・ライフル (ケンタッキー・ライフル) は、当初18世紀初頭にペンシルベニア南東に定住したドイツ系のガンスミス達によってハンドメイドにより製造されたと伝えられています。 ペンシルベニア州における記録上最初の銃工は、ロバート・ベイカーと父子のマーティン・メイリン (Martin Meylin) だとされています。 マーティン・メイリンの工房は1719年に建てられ、スイス系ドイツ人の銃工たちが、初期のペンシルベニア・ライフルを製造した場所とされています。 しかしながら、現在メイリンによるものと確実に証明されたライフルは発見されていません。 高品質なアメリカン・ロング・ライフルが最初に製造されたのは、1740年にドイツから家族と共にペンシルベニア州バークス郡へ移住した銃工ジェイコブ・ディカート (Jacob Dickert) によるものだという記録が残されています。 彼が製作された銃を指す「ディカート・ライフル (Dickert Rifle)」という名称は、ブランド名として認識されていました。 ディカートは大陸軍にライフルを供給しており、1792年にはアメリカ陸軍へのライフル供給契約を結んでいた事で知られています。 尚、アメリカン・ロング・ライフルを指すケンタッキー・ライフル (Kentucky Rifle)」という呼称は、歴史上かなり後になって (おおよそ1820年代) から使われるようになったものです。 1812年から1815年にかけて行われた米英戦争では、アンドリュー・ジャクソンとニューオーリンズの勝利を称えた人気歌「The Hunters of Kentucky (ケンタッキーの狩人たち)」の影響で、アメリカン・ロング・ライフルが「ケンタッキー・ライフル」という愛称で呼ばれるようになりました。
ペンシルベニア・ライフル (ケンタッキー・ライフル) の撃発機構は、18世紀中頃に一般的となったフリント・ロック式がメインでしたが、19世紀前半に雷管を使用する管打式 (パーカッション式) の撃発機構が開発されると、フリント・ロック式のペンシルベニア・ライフルの多くがパーカッション式に改造されました。 また、一部には伝統的なペンシルベニア・ライフルのスタイルを保ったまま、当初からパーカッション式として製造された品も見られます。 19世紀にはケンタッキー・ライフルの派生型として、全長の短いカービン・タイプであるホーケン・ライフル (プレーンズ・ライフル) と呼ばれる品も製造され、マウンテン・マン等のハンター達によって愛用されました。
本品はケンタッキー州ルイビルのグリフィス (Griffith) 社により生産されたケンタッキー・ライフル (ペンシルベニア・ライフル) です。 1800年代中頃、東部から西部へ向かう人々の多くは、オハイオ川を旅の出発点として利用しており、その途中で必ずケンタッキー州ルイビルに立ち寄り、オハイオ滝を迂回していました。 その際、彼らは補給品とともにルイビルで新しいライフルを購入する事が出来ました。 ケンタッキーには西部交易向けにライフルを製造していた優れた銃工が数人おり、中でもルイビルのジョセフ・グリフィス (Joseph Griffith) はよく知られた存在でした。 グリフィスは1801年に英国で銃工の家系に生まれ、1817年に一家でアメリカへ移住した後、父や数人の兄弟とともにバージニア州のハーパーズ・フェリー造兵廠で働きました。 後にフィラデルフィアで銃工として働いた後、1837年にケンタッキー州ルイビルへ移り、銃砲店を開業しました。 グリフィスは、ルイビルの銃工モーゼス・ディクソン (Moses Dickson) の有力な競争相手となり、やがて彼の店舗はルイビルで最大級の銃器・金物店の一つとなり、銃部品や輸入銃、スポーツ用品を販売するかたわら、自身で製造したライフルの販売も行いました。 後年には、オハイオ川を利用した西部交易向けにハーフ・ストック・ライフルで名を馳せました。 グリフィスが1873年に亡くなった後は、息子たちのウィリアムとジョセフJr.が事業を引き継ぎました。
【本個体の説明】
本品の銃身はオクタゴン (八角)・バレルとなっており、トリガー・ガードにスパー (指掛) を備え、バット・ストックが下方に角度が付けられて、バット・プレート部の角が尖った形状となっている点等は、オーソドックスなペンシルベニア・ライフル (ケンタッキー・ライフル) の形状を踏襲しています。 トリガーは精密な射撃を可能にするダブル・セット・トリガーとなっています。 フロント・サイトはアリ溝により固定された真鍮製のブレード・サイトで、リア・サイトはセミ・バックホーン・サイトとなっています。 本品のロック・プレートには、「GRIFFITH LOUISVILLE」のメーカー名が確認出来ます。 ロック・プレートやハンマーには、やや薄くなっていますが、植物や鳥をモチーフにした彫刻が施されています。
本品の銃身やサイド・ロックといった鉄部は、やや打ち傷や時代錆、若干の表面錆痕は見られるものの、大きな欠損等は見られず、概ねしっかりとした状態が保たれています。 木製銃床については、やや打ち傷や線傷が見られる他、サイド・ロック周辺や目釘穴周辺等の木部に一部補修痕が見られます。 また、バット・ストック右側面後部に長さ8cm程度のひびが見られますが、強度的には比較的しっかりとしています。 真鍮製のノーズ・キャップやラム・ロッド・パイプ、トリガー・ガード、バット・プレートは、全体にやや磨かれていますが、現状大きな欠損や腐食等は見受けられません。
作動については完全で、ハンマーのフル・コックはしっかりと掛かります。 後方のセット・トリガーを引いてセットし、フル・コック位置で前方のトリガーを引くと、ハンマーがスムーズに落ちます。 銃身内は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、火穴も抜けています。 パーカッション・ニップルについても、若干の打ち傷は見られるものの、現状大きな欠けは見受けられません。 木製のさく杖が付属いたします。
本品は漫画家の松本零士先生のコレクションの中の一挺です。 (KK)
【登録証情報】
(種別: 管打式銃砲、全長: 124.8cm、銃身長: 85.0cm、口径: 0.9cm、銘文: GRI FFITH LOUIS VILLE)
【その他の情報】
令和5年8月10日に東京都教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 漫画家の松本零士先生の旧蔵品です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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