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スペンサー M1867 歩兵銃 (無可動古式銃、#96418)  
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価格(税込)
 \770,000
商品番号
 【9495】
英  名
 Spencer M1867 Infantry Rifle
種  類
 古式銃(無可動) 、レバー・アクション、東京店在庫品、無可動実銃買取品 2025年 春
国  名
 アメリカ合衆国
時  代
 第一次大戦前(〜1914)
全  長
 1,195mm
口  径
 .56-56 Spencer
装 弾 数
 7発
在 庫 数
 限定1品
画像について
 画像は現物です。
コメント
 【スペンサー M1867 歩兵銃 について】
スペンサー連発銃 (Spencer Repeating Rifle) は、クリストファー・スペンサー (Christopher Miner Spencer、1833年6月20日-1922年1月14日) が開発した後装内火式の7連発レバー・アクション小銃で、1860年から1869年の間に生産されました。 クリストファー・スペンサーは元々はコルト社の社員でしたが、そこで銃器の設計技術を学び、26歳の若さでスペンサー連発機構のパテントを取得しています。 スペンサー小銃はトリガー・ガードを兼ねたレバーを下方に引く事によってブリーチ・ブロックが下降し、バット・ストック内の管状弾倉 (Tube Magazine) から弾丸を薬室に送り込むと同時に空薬莢を上部から排莢します。 当時スペンサー小銃に対抗できる連発銃はヘンリー ライフルのみでしたが、.44口径リム・ファイアのヘンリー弾は拳銃弾程度の威力しかなく、軍用としてのストッピング・パワーではスペンサー小銃がヘンリー ライフルに勝っていました。 しかしながら13連発という装弾数と同じレバー・アクション (操作) ながら、ハンマーも同時に起す事のできるヘンリー ライフルの方に軍配があがりました。 スペンサー小銃はレバー操作とは別に、ハンマーを親指で起こす必要がありました。
スペンサー小銃の最初のモデルはM1860で、南北戦争 (1861年-1865年) において主に北軍によって使用されました。 スペンサー M1860 ライフルはカービンに先駆けて1862年のSharpsburgの戦いで始めて支給されました。 有名な1863 年のゲティスバーグの戦い (Battle of Gettysburg) では、カスター将軍 (当時北軍騎兵旅団司令官) の配下のミシガン第5騎兵連隊の2個部隊もカービン (騎兵銃) ではなくライフル (歩兵銃) を使用し南軍を撃退しました。 尚、スペンサー M1860 カービンの銃身長は22インチで、ライフルは30インチでした。
スペンサー小銃用の弾薬は、.52口径のスペンサー ライフル及びカービン用として1860年に開発された.56-56 Spencer弾でした。 一般的にはスペンサー小銃専用のイメージがありますが、バラード カービン (Ballard Carbine) やジョスリン カービン (Joslyn Carbine) も同じ弾薬を使用しました。 この当時の弾薬表示方法は現在とは異なり、「.56-56」の場合、前の数字が薬莢後部 (リムの直前部分) 直径である.56インチ (14,2mm)を示しており、後の数字は薬莢前部の直径である.56インチ (14,2mm) を示していました。 弾丸直径は.52インチの.52口径で、薬莢の長さは.875インチ (22,2mm)でした。 その後、使用弾薬は.50口径の.56-52または互換性のある.56-50に変更されました。 尚、.56-52と.56-50は、薬莢前部と後部の径が異なるテーパーのある薬莢を使用しました。 これら3種のスペンサー弾は、南北戦争の主要小銃であった.58口径の施条前装小銃 (Rifled Musket) とほぼ同じ威力がありましたが、1866年に米軍標準軍用小銃弾となったスプリングフィールド トラップ・ドア ライフル用の.50-70 Government弾 (Springfield M1866用) や、その後の.45-70 Government弾 (Springfield M1873用) に比べて威力が少なかった事が、南北戦争後にはスペンサー小銃が軍用として使用されなくなった原因の一つと考えられています。 反対にスペンサー小銃と比較される事の多いシャープス小銃が単発ながら口径を変更しつつも米軍用として使用され続けたのは、強力なGovernment弾を使用できるように改造できたためと言われています。
スペンサー小銃が南北戦争後に米国で軍用銃として運用されなかった大きな要因としては、前述のようにスペンサー弾が軍用として威力が弱かった事が挙げられますが、他にも当時の標準的な前装銃と比べ10倍近い発射速度が「兵による弾薬の無駄使い」とされ、弾薬の補給の問題が軍首脳部において問題視されたのが原因とも言われています。 南北戦争開戦時にはすでにスペンサー小銃は開発されていましたが、新型弾を大量に消費し新参であるスペンサー社製の小銃を採用する事は、当時の合衆国陸軍首脳部には抵抗がありました。 ヘンリー ライフルやウィンチェスター社のM1866 (イエローボーイ) が軍用として採用されなかったのも弾薬の威力を含め同じような政治的理由とも言われています。 1863年当時30歳であったクリストファー・スペンサーは、エイブラハム・リンカーン大統領に直談判を行い、大統領を始め陸軍省長官たちの前で試射会をしてリンカーン大統領からの直々の採用命令を得るという荒業を行いました。 リンカーン大統領が1865年に暗殺された後、南北戦争後の制式軍用銃の採用には多くの軍関係者とコネクションを持つスプリングフィールド国営造兵廠製のトラップ・ドア小銃が採用されたのは自然の成り行きだったでしょう。
スペンサー小銃は南北戦争中だけでも10万挺以上が製造され、戦後も生産が続けられましたが、合衆国政府からの注文が途絶えた上に戦後の余剰火器が民間に溢れたため、1868年にスペンサー社 (Spencer Repeating Rifle Company) は倒産に至りました。 1889年にはスペンサー社の資産はウィンチェスター社のオリバー・ウィンチェスター (Oliver Fisher Winchester、サミュエル・ウィンチェスターの息子) に20万ドルで売却されました。 戦後多くのスペンサー小銃は退役軍人に払い下げられて米国西部で使用され、1920年頃までスペンサー弾は製造が続けられました。 尚、南北戦争中にはスペンサー社以外にもバーンサイド社が3条のライフリングを備えたスペンサー M1863 (スペンサー社製は6条ライフリング) をライセンス生産しており、1869年にスペンサー社の資産を引き継いだウィンチェスター社でも生産が行われたと言われています。 合衆国政府造兵廠が戦後保管したスペンサー小銃の多くは、1870年に勃発した普仏戦争 (プロイセン=フランス戦争) 時のフランス軍や、南米のパラグアイとアルゼンチン・ブラジル・ウルグアイの三国同盟軍との間で行なわれた南米史上最も大きな戦争となった三国同盟戦争 (1864年-1870年) 時にブラジル軍用として輸出され、日本でも戊申戦争(1868年-69年)において使用されました。 日本はフランス、ブラジルに次いで大量にスペンサー銃を使用した国です。 (日本におけるスペンサー銃は下記を参考)
南北戦争中にバーンサイド社では3条ライフリング (スペンサー社製オリジナルは6条ライフリング) のスペンサー M1863モデルをライセンス生産しており、1869年にスペンサー社の資産を引き継いだウィンチェスター社でも生産が行われたと言われています。 本品はスペンサー社製のオリジナルのライフル・モデルで、バレル・バンドが3個のタイプです。 尚、バーンサイド社製のカービンをスプリングフィールド造兵廠でライフルに改造したモデルは、ハンドガードを留めるバンドが2個になっています。 3バンド・モデルは着剣装置の有無で海軍用と陸軍用に分類され、海軍用は銃身下部 (フロント・サイトの反対側) に着剣装置が付いてヤダカン式銃剣を装着するようになっています。 一方、陸軍用は南北戦争当時の主力小銃のM1855やM1861と共用のスパイク銃剣を装着するため、追加の着剣装置の必要はありませんでした。 本品は銃身下部に着剣装置のない陸軍用です。 スペンサー銃は日本には幕末に佐賀藩によって輸入されたのを始め、約20,000挺以上が輸入されたと言われていますが、諸藩が個別に輸入をしたためにその総数については諸説があります。 最も多かったのが薩摩の1万挺という説があり、他に長州、佐土原、大垣藩が使用しています。 少なくとも戊辰戦争 (慶応4年/明治元年[1868年]〜明治2年[1869年]) 等で新政府軍と佐幕派 (庄内、米沢、上山、郡上藩) の両陣営で使用されました。 当時日本国内でもスペンサーは最新兵器で「元込め7連発」と呼ばれて恐れられました。 (MM)(KK)

【本個体の説明】
本品はスペンサー社オリジナルのM1867 歩兵銃で、銃身基部上面に「M1867」のモデル名が入っている他、機関部上面には「SPENCER REPEATING RIFLE CO. BOSTON MASS. PAT'D MARCH. 6. 1860」のメーカー刻印が入っています。 また、機関部後部上面にはシリアルNo.が打刻されています。
本品は全体に適度な時代が付いた良い雰囲気となっており、機関部や銃身といった金属部は、やや打ち傷や経年による褪色、若干の時代錆及び表面錆痕が見られるものの、目立った欠損等は見られず、製造された時代を考慮すれば比較的良好な状態が保たれています。 木製銃床についても、やや打ち傷や線傷の他、銃床先端にヘアライン・クラックが見受けられ、フロント・バンド後方の銃床左側面等に僅かな欠けが見られるものの、大きな破損等は見られず、概ねしっかりとした状態が保たれています。 前後スリング・スイベルについても現状固着は見られません。 アンダー・レバー、ハンマー、弾倉については固定されています。
トリガーテンションのない旧加工品です。 (KK)

【その他の情報】

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