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価格(税込)
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\880,000 |
商品番号
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【9324】 |
英 名
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Type 30 Infantry Rifle |
種 類
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ボルト・アクション、東京店在庫品、無可動実銃買取品 2025年 春 |
国 名
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日本 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,275mm |
口 径
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6,5mm×50 |
装 弾
数
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5発 |
在 庫
数
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限定1品 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【三十年式歩兵銃 について】
日本陸軍が明治30年 (1897年) に制式とした歩兵銃で、約55万挺が生産されて日露戦争における主力小銃として使用されました。 有坂成章大佐 (後に中将) が明治29年に3ヶ月程度の短期間で本銃の設計試作を行ったと言われています。
三十年式歩兵銃の登場以前には村田式の連発銃 (二十二年式村田連発銃) が採用されてはいましたが、チューブ・マガジンにより再装填を手早く行うことができず、また同マガジン・システムによる平頭弾のため命中精度にも難点がありました。 また、構造的にも初期の連発銃で、既に時代に遅れつつありました。 このため、村田経芳の後を受けた有坂大佐 (当時) による設計により、スウェーデン軍のM1894小銃を参考にモーゼル・タイプの一体型ボルトを使用するコックオン・クロージング方式を採用しました。 コックオン・クロージング方式は、ボルト・ハンドルを起こした際にはコッキングが行われず、ボルトを前進させる際にファイアリング・ピンのスプリングが押し縮まり、コッキングが完了するようになっています。
また、三十年式歩兵銃の特徴であるフック (三日月型) 式の安全装置がファイアリング・ピン後部と連動しており、射撃時 (火=Fire) はフック式の安全装置が左横に倒れており、安全時 (安=Safe) はフックが垂直に起きてファイアリング・ピンを固定し、引金を引いても撃発できなくなっています。 安全装置の切り替え位置が明確なため誤操作を防ぐことができた反面、フック式であるために他のものに引っ掛かる問題点があったと言われています。 酷寒の満州での戦闘の経験から、防寒手袋をはめた状態で小型のフックを回転させる操作に難があったことが、後に三八式小銃型 (大型でチェッカリングが入った円形部品) に改良される一因とされています。
三十年式歩兵銃と同時に、円頭型 (蛋形) 弾頭を持つ口径6,5mmの三十年式実包 (6,5mm×50 セミ・リムド) が、口径8mm×52の村田弾に代わり新しく開発されました。 当時、口径6,5mmは小銃弾としては威力が小さく、ロシア騎兵の突撃には対抗できないと考えられていました。 しかしながら、無煙火薬による小口径化や弾丸を軽量化する分、初速を高くすることで弾丸の低伸性を実現するなど、ロシア軍の小銃の性能を凌駕していました。
同時代の口径6,5mm弾には、イタリアのカルカノ弾 (6,5mm×52)、スウェーデンのスウェーディッシュ・モーゼル弾 (6,5mm×55)、オーストリアのマンリッヒャー弾 (6,5mm×54) などがありますが、実包を5発横並びに配置したモーゼル式クリップを採用していたのはスウェーデン軍のものだけで、この点も近代的と言えるでしょう。
銃弾はもとより、近代的なボルト・アクション ライフルで、モーゼル系機関部を採用した日本で初めての銃となりました。 当時としては先進的で、後に採用され終戦まで使用された名銃「三八式小銃」は、この三十年式の改良型です。 一方、その先進性ゆえに、銃身の素材が国内では要求する鋼を調達できず、輸入に頼ることになったという問題点もありました。
このような経緯から、三十年式を筆頭に、この機構を踏襲した三八式、九九式小銃を含めた日本軍の小銃は、外国でアリサカ・ライフルと呼ばれました。
なお、三十年式歩兵銃は生産終了後、使用弾薬を円頭弾の三十年式実包から尖頭弾の三八式実包仕様へと改修した品も存在し、このような品では弾道の変化に合わせるため、照尺の2,000m位置が上端のVノッチからエレベーション・スライド側へと移されたタイプへと換装されています。 (MM)(KK)
【日本の産業革命と東京砲兵工廠】
東京砲兵工廠は1870年 (明治3年)、東京にあった旧幕府営の関口製造所と滝野川反射炉を同じく東京の小石川にあった旧水戸藩邸跡に移設し、翌年から火工所として小銃実包の製造を始めたのが始まりです。 翌1872年には銃工所 (小銃改造・修理)、大砲修理所の操業が開始されました。 余談ですが、1897年には東京砲兵工廠の鉄工 (鉄を加工する旋盤工・仕上工・鍛工など) が組織した鉄工組合が、日本最初の労働組合として結成されました。 産業革命を通じて生み出された階級対立が、皮肉にも国益最優先の官営陸軍兵器工廠で早くも社会問題となったことからも、いかに東京砲兵工廠が進歩的であったかが窺えます。
1916年 (大正5年) の関東大震災で甚大な被害を受けた小石川の東京砲兵工廠は、陸軍造兵廠の一つで同じ年に開設された大阪砲兵工廠の管轄下である小倉兵器製造所への移転が1927年 (昭和2年) に決定され、東京砲兵工廠小倉兵器製造所となって1931年 (昭和6年) から小倉へ移転が実施されました。 その後、小倉兵器製造所は小倉工廠となり、1935年 (昭和10年) に東京砲兵工廠は小倉工廠へ移転を完了し、約66年間の歴史の幕を閉じました。 しかしながら、終戦まで東京第二造兵廠の管轄下であったため、小倉工廠で生産された小銃にも東京造兵工廠の四つ葉の刻印が打たれています。 東京砲兵工廠で最も多く生産されたのが三十年式歩兵銃であることから、東京砲兵工廠と三十年式歩兵銃は切り離して考えることのできないものです。 また、三十年式歩兵銃が生産されていた頃の日本の産業革命は脆弱で、とても欧米先進国に追いつけるものではありませんでした。
日本の産業革命は、繊維工業と鉱山業のみが発展し、農業は大規模農場へ発展するものが全くなく、多くの農民が土地を失いました。 土地を失った農民たちは地主から土地を借り小規模生産を続け、その娘たちの多くは繊維工場へ、そして小作農も炭鉱や金属鉱山へ流れて重労働に従事しました。 これらの分野の労働は比較的単純なため、低賃金労働者が豊富な後進国日本は国際競争で有利な位置にありました。 しかし、重工業のように多額の設備投資と熟練度の高い工員が必要な分野では、日本で産業革命が始まった当初、職工が3,000人以上の大工場は官営の陸海軍工廠と八幡製鉄所しかありませんでした。 日本の民間機械工業においては、せいぜい機械を修理する程度であったことを考えると、官営の造兵工廠、特に小銃製作所は江戸時代から続く鉄砲職人から工員を募集することによって、熟練工の確保が行われました。 一見、日本の伝統技術と日本の近代化は無関係のように思われますが、彼らの技術がまだ手作業に頼っていた三十年式歩兵銃の量産と精度の維持を可能にしました。
20世紀に入ると、日露戦争の勝利と相まって民間重工業も発展を開始していきました。 海運諸会社と結び付いた三菱、川崎などの国益をバックにした造船所が発展しました。 住友鋳鋼場、神戸製鋼所、川崎造船所鋳鋼工場、日本鋼管などの主要民間製鋼メーカーが発足しました。 その日露戦争に勝利をもたらした純国産の兵器が三十年式歩兵銃であったことから、日本の産業革命の始まりから完成まで、この一挺の小銃によるものであったとも考えられます。
(注) 日露戦争で決定的な勝利をもたらした連合艦隊の多くの艦船は外国製で、旗艦の「三笠」は英国製でした。 もちろん、日露戦争の勝利は優秀な指導者 (指揮官) をはじめ、士気の高い兵士、その他の要因によるところも大きいですが、最終的に勝敗を決めた陸戦において、その兵士の手に握られていたのはこの三十年式歩兵銃であったことは間違いありません。 (MM)
【本個体の説明】
本品の機関部左側面にはシリアルNo.の他、東京砲兵工廠小石川小銃製造所製を示す刻印が入っています。 薬室上面の菊花紋章は追刻が施されています。 薬室上面には他に「三十年式」の刻印が確認できます。 尚、機関部左側面には「二四八」の刻印が入っており、銃床左側面にもこれとマッチした248の番号が入っています。 また、上帯には「ル570」の番号が確認出来ます。 本品の銃床右側面には「一高」及び「富」の刻印が確認出来ます。
本品は全体に適度な使用感が見受けられ、機関部や銃身と行った金属部はやや打ち傷や経年による褪色、若干の表面錆痕は見られるものの、大きな欠損等は見られず、オリジナルの仕上げも比較的残っています。 銃床については、全体に打ち傷や線傷が見受けられる他、銃把左側面に古いひびの補修痕が見受けられますが、それ以外には現状大きな破損等は見受けられません。 旧軍小銃特有の銃床上下の継ぎ目については、やや隙間が見られますが、現状目立ったがたつきは見られません。 木被後部に一部ヘアライン・クラックが見られます。 床尾板については、やや時代錆や表面錆が見られる以外は目立った腐食や変形等は見受けられません。 照尺の起倒・調整については問題なく行う事が可能です。 三十年式独特のフック型の安全子 (副鉄) は固定されています。 弾倉底板の着脱については問題なく、弾受 (フォロワー) は入っていますが、弾倉バネは入っていません。 さく杖は付属いたしません。
トリガーテンションの有る、ボルトが閉じた状態で固定された旧加工品です。 (KK)
【その他の情報】
無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合がございます。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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