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価格(税込)
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\220,000 |
商品番号
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【9205】 |
英 名
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Albaian P84 Sub Machinegun |
種 類
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短機関銃、東京店在庫品、大阪店在庫品、無可動実銃新入荷品 2024年11月 |
国 名
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アルバニア |
時 代
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第二次大戦後(1945〜) |
全 長
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650mm(405mm)(実測) |
口 径
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9mm×19 |
装 弾
数
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20/32/40発 |
在 庫
数
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複数在庫有り |
画像について
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画像は現物とは異なります。 |
コメント
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【アルバニア P84 短機関銃について】
P84 短機関銃は非常に珍しいアルバニア国産の短機関銃で、国営造兵廠があったCekin Gramshで生産されました。 1946年に成立したアルバニア人民共和国は、独自の共産主義体制を続けた事により、ソ連の影響下にありながらも、技術的援助を得られない状況にありました。 1961年の中ソ対立をきっかけにアルバニアは中国へ接近。 経済援助を受ける中、56式騎兵銃や56式自動小銃を始め、数々の兵器が中国より輸入され、アルバニア軍の近代化が推し進められました。 その中国とも1976年には断絶、アルバニア社会主義人民共和国と改称し、世界的な孤立を深める事になります。 本銃はそういった情勢下で、唯一アルバニアが設計し、国産化した兵器です。
構造は約4cm径の鉄パイプがバレル・ジャケットからレシーバーまで一体になっており、プレスで成形された長方形のグリップがレシーバー後部下方から斜めに付いています。 グリース・ガンと同様のワイヤー型の引出し式バット・ストックにはやや凝った形状のバット・プレートが付いており、縮めた状態ではすっぽりとグリップの後部に覆い被さるようになっています。 トリガーは異色の薄い鉄板を切り取った変形三角形で、トリガー・ガードは元々ありません。 一見簡単に暴発しそうですが、片手はグリップを握り、もう片方はマガジン・ハウジングごとマガジンを握るようになっており、その際に親指をマガジン・ハウジング後方のリングに入れて手前に引くとセーフティが解除されます。 イタリア軍で全短機関銃共用のマガジンがそのまま流用出来るのは、流石に第二次世界大戦後に大量のベレッタ短機関銃がアルバニアに残っていた事を物語っています。 数少ない他の画像では、ベレッタでは見られないバナナ型のマガジンになっており、それが制式なのかどうかは不明です。 ベレッタ用のマガジンは完全に (マガジン・ハウジング後方にある) マガジン・キャッチによってロックされます。 サイレンサーの取り付けが可能と他の資料には記載されていますが、そのような構造にはなっていません。 ステンガンよりもシンプルで、小型の短機関銃です。
アルバニア軍が最も多く装備したのは、ソ連製の PPS43 短機関銃でした。 その後継短機関銃として P84 短機関銃が生産され、極少数がアルバニアの特殊部隊とBFS (破壊活動部隊?) によって使用されました。 現在はトルコ製 (MKEK) のMP5 短機関銃に置き換えられています。 イタリアの極左テロ組織「赤い旅団 (Le Brigate Rosse)」で使用されて、欧米にその存在が初めて知られました。
アルバニア軍は第二次大戦直後には国産兵器は全く無く、捕獲兵器、遺留兵器、援助兵器で武装していました。 その後政治的理由でソビエト装備から離れ、中国兵器だけに頼る中で、P84 短機関銃だけは唯一アルバニア国産/開発兵器としてアルバニアの軍事史の一片に名を残しました。 それではなぜヨーロッパの小国が中国装備になったのか、アルバニア近代史について軽く触れてみます。
第二次世界大戦終了までアルバニアには、イタリアの傀儡政権が置かれていました。 そのため国内には大量のイタリア軍兵器がありました。 アルバニア隣国のバルカン半島南部は米英から援助を受けたチトー率いるパルチザンが枢軸国に対してゲリラ戦を繰り広げており、アルバニアでも共産党パルチザンが主にドイツ軍に対してゲリラ活動を行っており、チトー・パルチザンと同じ兵器で戦いました。 第二次世界大戦が終結すると、共産党が1946年に「アルバニア人民共和国」を建国し、アルバニア軍も設立しました。 この時点では旧宗主国イタリア、占領国ドイツ、援助国米英、そして東から進撃してきたソビエトなどの多種多用の兵器で武装していました。 建国直後は同じ共産主義国で隣国のユーゴスラビアと良好な関係を保ち、兵器産業があるユーゴスラビアから兵器統一の指導を求めていた最中に、ユーゴスラビアとの関係が悪化していきました。 アルバニア人民共和国建国の父ホッジャは、マルクス=レーニン主義者 (スターリン信奉者) で、ユーゴスラビアがソ連とは異なる独自の社会主義国家建設を目指すようになり、1948年には国交を断絶しました。 これまでソビエト装備を主軸とした途中の1956年にソビエト第4代最高指導者フルシチョフがスターリン批判を行い、それまでとは異なる国家運営を行い始めたため、ソビエトとの関係も悪化しました。
スターリン主義国である中国も、フルシチョフのスターリン批判に伴い反ソビエトとなり、アルバニアは思想を共にする同志である点から、毛沢東はアルバニアに対して様々な援助を行うようになりました。 1960年代半ばにソ連がハンガリーとチェコスロバキアに軍事介入を行い、アルバニアはワルシャワ条約機構から脱退しました。 ソ連を仮想敵国として国民皆兵政策を取り、兵器を中国から輸入した他、中国の56式騎兵銃 (中国製SKS) や56式自動小銃の国産化にも成功しました。 56式騎兵銃の国産化に至っては、1962年からライセンス生産権を与えられ、1978年までに15,000挺から20,000挺を生産しました。 これらは本家の中国やソビエトよりも上質な銃であった事から、1980年代に独自の短機関銃を製造した事は不思議ではありませんでした。
【本ロットの説明】
本ロットの品は、マガジン・ハウジング上方の機関部左側面やエンド・キャップ左側面、ボルト・ハンドル上面等にシリアルNo.が打刻されている他は、モデル名刻印等は入っていません。
本ロットの品は、いずれも全体にやや使用感が見受けられ、小傷や擦れ、経年による褪色の他、若干の表面錆や一部朽ち込み痕等が散見されるものの、大きな欠損等は見られず、元々低い工作精度で製造されている事を考慮すれば比較的良好な状態が保たれています。 ストックの伸縮やマガジンの着脱については問題なく行う事が可能です。 尚、付属のマガジンは一部が固定されています。
ボルトが開いた状態で固定された新加工品です。 (KK)
【その他の情報】
無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合がございます。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。
本ページの画像の個体は大阪店在庫品(#89-0082)です。
他にも同じモデルが在庫としてございます。 複数の個体が掲載されている場合、各詳細画像 (Detailed Photos) をご確認の上、ご注文の際はシリアルNo.をご指定ください。 シリアルNo.横にご案内状況を表示しております。
大阪店在庫品の#89-0082の詳細画像(Detailed Photos)はこちら
東京店在庫品の#89-0567の詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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