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【TK栄追】火縄銃 伊予狭間筒 (在銘: 地鉄鍛二重巻張 予州東宇和住坂本三郎作 坂戸梶原景秀主) 栗㉓ |
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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【8712】 |
英 名
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種 類
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古式銃(登録証付)、単発、登録証付古式銃買取品、【TK】 |
国 名
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日本 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,831mm |
口 径
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8mm |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物とは異なります。 |
コメント
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\800,000(暫定)
銃身長 157.0cm
【火縄銃 伊予狭間筒 (在銘: 地鉄鍛二重巻張 豫州東宇和住坂本三郎作 坂戸梶原景秀主) について】
愛媛 銃身長157cm、全長183.1cmの見事に長寸な品です。
坂本三郎 全国鉄砲鍛冶名鑑 P.171及び「全国鉄砲鍛冶銘地域別分類」P.○○にその銘が掲載されています。
梶原景秀(かげひで)。 播磨国高砂城(兵庫県高砂市)主。駿河守助景の子。平三兵衛尉を名乗った。後世の軍記・地誌類は実名を「景行」とするが、本人が寄進した経机銘文によれば「景秀」が正しい。生年は不明だが、天文初年ごろ(1530年代)の出生と推定される。
本能寺の変以降も梶原景秀は秀吉に属したが、天正十五年(1587)の九州征伐の際、遅参したことを咎められ改易されてしまった。幸い弟の左兵衛が宇喜多秀家の重臣花房秀成(志摩守。正成)の姉婿だったため、所領を失った景秀・左兵衛兄弟は花房氏を頼って備前国へ移った(同)。左兵衛の子息梶原五郎右衛門はそのまま宇喜多氏に仕官して知行300石を給与され、花房秀成の与力につけられたが、景秀自身は仕官せず出家して「永宗」と号し、そのまま病死したという。 |
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