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火縄銃 駿河十匁中筒「抱キ沢瀉紋」銀象嵌 (登録証付古式銃、無銘、明治ニ〇ニ年第四一六一号 静岡縣) (西)㉙ |
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価格(税込)
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表示製作中 \605,000 |
商品番号
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【8508】 |
英 名
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Japanese Large-caliber Matchlock Gun, SURUGA style |
種 類
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古式銃(登録証付)、単発、登録証付古式銃買取品、東京店在庫品、Curio Magazine 広告掲載品、✕ |
国 名
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日本 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,010mm |
口 径
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19mm (実測19mm) |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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表示製作中 |
画像について
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画像は現物とは異なります。 |
コメント
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【火縄銃 駿河十匁中筒「抱キ沢瀉紋」銀象嵌 (在銘: 無銘 明治ニ○ニ年第四一六一号 静岡縣)について】
銃床下部が台カブまで直線的な東海地方で見られる形状で流派の影響と思われます。 しかしながら流派を特定出来ませんので駿河十匁中筒としました。
本品は口径が実測約19mm (約十匁) の重量約5,6kgの中筒と呼ばれるクラスの軍用火縄銃ですが、重量はやや軽めです。 全長は1,010mm、銃身長は690mmとなっています。 軍用の中筒は一般に6匁筒(15,8mm)〜10匁筒(18,7mm) 前後で、それ以上は大筒と呼ばれる事もあります。 大筒の定義は定かではありませんが、抱えて射撃の不可能な50匁筒(33mm)以上の品を通常は大筒と呼ぶようです。
本品の銃身右側には「明治ニ○ニ年第四一六一号」、銃身上面は「静岡縣」の文字が打刻されています。 また元目当後方には作行の良い銀象嵌を施した「抱キ沢瀉紋」の一種である家紋見られ本品の全体的な価値を高めています。 無銘ですが鉄味の良い筒(銃身)は後方に向かって広がった丸銃身で、その上面だけを平らにした「表一角」と呼ばれる形状となっています。 銃口部周りには筋立ての施された八角柑子が設けられています。 先目当はしっかりとした三角形となっており、元目当は筋割となっています。 銃身は銃床に対して3箇所の目釘により固定される構造となっています。
カラクリは内カラクリとなっており、カラクリの地板や火挟、引金、雨覆、火蓋といった部品は全て真鍮製となっています。 尚、引金には用心金は設けられておらず、引金後方の銃床下部には強度を増すためのナマコ金 (力金) と呼ばれる真鍮製の部品が取り付けられています。(AW)
【本個体の説明】
本品の筒 (銃身) は全体に黒錆に覆われていますが、これは当時の日本における防錆方法であった錆付けと同じ処理方法によるもので、欧米のようにブルー仕上げがなかった日本では一般的なものでした。 銃身は若干の表面錆痕や一部鉄地表面の僅かな荒れが見られるものの、製造された時代を考慮すると非常に良好でしっかりとした状態が保たれています。 また、銃身に施された刻印もはっきりと確認出来ます。 銃身下部の目釘金具と台 (銃床) の目釘穴の位置は3箇所とも一致しています。 台 (銃床) についても同様に仕上げが美しく残った良好な状態が保たれており、打ち傷等も最小限となっていますが、経年の使用感はあります。
本品の銃身右側には「明治ニ○ニ年第四一六一号」、銃身上面は「静岡縣」の文字が打刻されています。
明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。 本品には「明治ニ○ニ年第四一六一号」、銃身上面は「静岡縣」の刻印が入っている事から「壬申刻印」ではありません。 また明治22年に静岡縣で銃砲調査を受け、登録証から昭和53年に静岡県教育委員会より交付されているので明治22年から昭和53年に静岡県にあった事が判ります。
静岡縣(しずおかけん)は江戸幕府が倒されて明治維新が起こると、1868年5月には、駿河国の天領・沼津藩・田中藩・小島藩・交代寄合の榊原家の久能陣屋、諸旗本領、遠江国の相良藩・横須賀藩・掛川藩・浜松藩・交代寄合の近藤家の気賀陣屋、諸旗本領が合併されて、静岡藩(70万石)が設置され、1871年8月29日の廃藩置県では、静岡藩は静岡県に置き換わった。(Wikipediaより抜粋)
尾栓は現状では固着していますが、ねじ込み部分の基部には大きな錆は出ておらず、外れそうに見えます。カラクリの作動についても完全で、火挟を起こした状態で引金を引くと、火挟がスムーズに落ちます。 銃身内は銃口から銃身後部まで抜けて (通って) おり、火穴も抜けています。 尚、火蓋の開閉については問題なく行う事が可能です。 木製のカルカ (さく杖) が付属致します。(MM)
【その他の情報】
静岡県教育委員会により昭和53年1月18日に交付された銃砲刀剣類登録証が付いた完全可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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