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マンハッタン ファイア・アームズ ネービー リボルバー、シリーズIII (銃砲刀剣類登録証付古式銃、#16245) |
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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【7817】 |
英 名
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Manhattan Firearms Navy Percussion Revolver, Series III |
種 類
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古式銃(登録証付)、登録証付古式銃買取品、東京店在庫品 |
国 名
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アメリカ合衆国 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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312mm |
口 径
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9mm |
装 弾
数
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5発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【マンハッタン ネービー リボルバー シリーズ IIIについて】
米国のマンハッタン・ファイアアームズ・マニュファクチャリング社 (Manhattan Fire Arms Manufacturing Co.) が製造した、5連発の管打ち式リボルバーです。
マンハッタン ネービー リボルバーは、外観的にはコルト社のM1851 ネービー リボルバーと同じですが、サイズはコルト M1849 ポケット・リボルバーに近い一回り小ぶりの品です。 コルト M1849 ポケットが.31口径であったのに対し、マンハッタン ネービー リボルバーは.36口径となっています。
マンハッタン社は1857年にコルト社のリボルバーの特許が切れるのを見計らって、1856年にコネチカット州のノーウィッチ (Norwich) で設立されました。 設立の中心となったのは米国東部ニュージャージー州とニューヨーク・シティの投資家グループですが、当時有名なガンスミスであったトーマス・ベーコン (Thomas Bacon) を製造部門の監督として雇い入れて、すでにパテントが切れた単発パーカッション・ピストルやペッパーボックスの製造を始めました。 1859年3月にニュージャージ州のニューワーク(Newark)に工場を移しました。 そこでコルトのリボルバーの特許が切れた1858年末からは、コルト型リボルバー (.36口径のネービー・モデルと .31口径のポケット・モデル) の製造を開始しました。 トーマス ベーコンは、その後Norwichで自身の工場を持ってビジネスを始めました。 そのためベーコン社製の製品はマンハッタン社製の製品と似通ったラインナップなっていました。 マンハッタン ポケット リボルバーが民間市場向けとして発売されたのに対して、ネービー リボルバーは軍用としての販路を狙った品です。 北軍、南軍ともにマンハッタン ネービー リボルバーを軍として正式に購入した記録は残っていませんが、南北戦争(1861年4月12日–1865年4月9日)時には将校の私物として使用されました。
マンハッタン ネービー リボルバーは基本構造はM1851 ネービー リボルバーと同様で、銃身部分とフレーム部分がシリンダーを挟むような構造で、前後に分解する事が可能となっています。 銃身とフレームの固定はバレル・ウェッジと呼ばれる楔 (くさび) 型の部品により行われ、バレル・ウェッジを右から左に押し出す事によって、銃身部分とフレーム部分が容易に分離します。
マンハッタン ネービー リボルバーの最大の特徴はシリンダー表面に設けられたシリンダー・ノッチの数で、コルト ネービーのシリンダー・ノッチの数が装弾数と同数であったのに対し、マンハッタン ネービーではノッチが装弾数の倍となる10個設けられています。 従来のコルト ネービーではシリンダーへの弾薬装填後、雷管を取り付けたパーカッション・ニップルの上にハンマーを慎重に下ろして携行するか、シリンダーに1発分だけ弾薬を込めずに空の状態にしたポジションを作り、これを携行用としていました。 マンハッタン ネービーではシリンダー表面のノッチを2倍の数に増やした事により、シリンダー後部のパーカッション・ニップルの間にハンマーを下ろした状態での携行が可能となり、安全性と利便性が増しました。
またシリンダーの表面のスクロール・エングレービングはコルト社製のデザインにはない下記の5つの図柄が楕円形の枠の中に施されています。
・3隻の帆船と6人乗りの漕艇
・剣を持った男に拳銃を発射する3人の男及びマスケットと銃剣を装備した2名の兵士
・地面に座り込んだ負傷兵が剣を持った騎兵に対して射撃を行うシーン
・海岸の男に向けて漕艇から立った状態で射撃を行う2名の男
・歩兵に対する騎兵突撃
マンハッタン ネービー リボルバーには製造時期によりシリーズIからシリーズVまでのバリエーションが存在します。 尚、マンハッタン社は1868年にネービー リボルバー シリーズ Vを最後にリボルバーの製造を中止し、その後は1873年に廃業するまで、時代遅れの真鍮製フレームの単発パーカッション・ピストルである「Hero」ブーツ・ピストルの生産のみを行いました。
マンハッタン ネービー リボルバー シリーズIIIは、製造された1861年9月1日から1864年4月1日までの全期間が南北戦争中にあたり、「南北戦争需要」を見越して作られたと言っても良いモデルです。 その間に約31,000挺が製造されたと考えられており、マンハッタン社製.36口径リボルバーとしては最も一般的なモデルです。 シリーズIIIは概ねシリアルNo.が14,500から45,200までの個体が該当し、4in.、5in.、6 1/2in.といった銃身長の異なるバリエーションが存在します。
シリーズIIIの特徴としては、
・5連発のシリンダー
・銃身上面に一行で入った「NEWARK」のアドレス刻印
・シリンダーに打刻された1859年のパテント刻印
が挙げられます。
また、シリーズIIIの内、シリアルNo.が15,000から21,000までの最初の約6,000挺には、フレームのリコイル・シールド部分にスプリング・プレート(Spring Plate)と呼ばれる板状の部品が追加された品が見られます。 これは1861年からオハイオ州シンシナティの武器業者で、マンハッタン・リボルバーの販売代理店も経営していたベンジャミン・キットレッジ (Benjamin Kittredge) が考案し、1861年9月もしくは10月頃から実験的に導入されたものでした。 スプリング・プレートは、ハンマーの打撃面とシリンダーのパーカッション・キャップとの間に配置され、パーカッション・キャップ撃発時の発火炎を上方に反らせて機関部内部への侵入を防ぐ他、発火済のパーカッション・キャップの脱落を防ぎ、シリンダーの回転を阻害しないようにする事を目的としていました。 このスプリング・プレートは試験的に取り付けられシリアルNo.が概ね21,000以降の個体では廃止されたと考えられています。 (KK)(MM)
【本個体の説明】
本品はマンハッタン・ネービー・リボルバーの内、シリーズIIIと呼ばれるモデルで、シリアルNo.は16245となっています。 銃身は6 1/2in.のオクタゴン・バレルとなっています。 銃身上面には「MANHATTAN FIRE ARMS CO. NEWARK N.J.」のメーカー刻印が一行で入っています。 各部のシリアルNo.については、フレーム、トリガー・ガード、銃身、グリップ・バック・ストラップ、バレル・ウェッジ、シリンダー、シリンダー軸と確認出来る範囲で全てマッチしています。 本品はマンハッタン・ネービー・リボルバー シリーズIIIの中でも珍しい、スプリング・プレートと呼ばれる部品がリコイル・シールドに取り付けられたモデルです。 ウォールナット製のグリップは中央部に洋銀製と思われるダイヤモンド型のインレイが嵌め込まれています。
グリップ・バック・ストラップの背面には「明治五年 七八九 熊本縣」の刻印が入っています。 これは「壬申」とは入っていないものの「壬申刻印」の一つで、古式銃の一種の戸籍番号に相当します。 明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。
本品には「明治五年 七八九 熊本縣」と入っていますので明治5年(1872年)に熊本縣で調査が行われたのが判ります。
本品の銃身やフレームといった金属部は使用されていた当時と思われる専門職人による全体に丁寧なブルーイングの仕上げ直しが施されています。 やや小傷や擦れ、一部に経年による褪色が見受けられるものの、全体としては目立った欠損などは見受けられず、概ね良好な状態が保たれています。 銃身上面のアドレス刻印やシリンダー表面のスクロール・エングレービングによる帆船の図柄及びパテント刻印についても比較的はっきりと残っています。 真鍮製のトリガー・ガードやグリップ・バック・ストラップはやや磨かれていますが、十分な時代がついており大きな違和感は感じられません。 フロント・サイトは抜き撃ち時の引っ掛かりを防ぐためか、本来の高さに比べてやや低くなっています。 グリップはやや打ち傷や線傷が見られる他、右側下部の角に割れの補修痕が見られますが、全体としては概ねしっかりとした強度が保たれており、本体への取り付けもがたつきもなくしっかりとしています。 作動については完全で、ハンマーのハーフ/フル・コックはしっかりと掛かり、シリンダーも正常に回転します。 フル・コック状態でトリガーを引くと、ハンマーが力強く落ちます。 ローディング・レバーの操作についても問題なく行う事が可能です。 本品はマンハッタン ネービーを含むコルト系リボルバーにしばしば見られる銃身とシリンダーの取り付けのがたつきや、シリンダーの前後の遊びなどについても殆ど見られません。 銃身内は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、ライフリングもはっきりと確認出来ます。 パーカッション・ニップルやハンマーの打撃面についても目立った変形や欠けなどは見られません。
本品はマンハッタン ネービー リボルバー シリーズIIIの中でも特に珍しい、スプリング・プレートが付いた品です。 スプリング・プレートは欠損し易く、本品のように完全な品は非常に希少です。 南北戦争初期に約6,000挺だけが試験的に作られた品が南北戦争を生き抜き、その後約160年間も機能を保ち続けたのは奇跡的とも言えます。 本場米国でも現存している本モデルは少なく、マンハッタン社製の品で最も海外でプレミアが付いている品です。 シリアル No.から1862年頃の製造と思われます。 「南北戦争中に生産され、南北戦争後に幕末動乱期の日本に輸出され恐らく薩摩藩士によって使用され、何かの理由で江戸 (東京) に残り、平成元年に東京で発見された」のではないかと想像させられる逸品です。 (KK)(MM)
【その他の情報】
平成元年3月23日に東京都教育委員会で交付された登録証が付いた、可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
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