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【TKS/D】ドントル銃 (鉄製銃身、山梨十九年甲二九、銃砲刀剣類登録証付古式銃) |
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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【7588】 |
英 名
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Japanese Percussion Single Shot Pistol w/ Iron Barrel |
種 類
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古式銃(登録証付)、単発、登録証付古式銃買取品、東京店在庫品、ガゼット Vol.19 |
国 名
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日本 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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281mm |
口 径
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10mm |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【ドントル銃 (鉄製銃身) について】
幕末に雷管式小銃が欧米から輸入されるようになってから、国内でもゲベール銃などの模作が盛んに行われました。 和製の小銃はオリジナルと大きな違いはありませんが、短銃は日本独自の形状になりました。 本品は短銃と呼ぶより火縄銃からの流れを汲む短筒と呼ぶ方が相応しいような独特の形状をした品です。 携帯する時は帯に差した十手のような使い勝手ではなかったでしょうか。 本体の左側面に帯に差す際の突起が銃身と平行に付いています。 西洋でもこのような突起 (ベルト・フック) が付いた品は存在しますが、和製のドントル銃ほど、必ず備えられるものではありませんでした。 また、銃口下部にはさく杖 (ラム・ロッド) を固定する為のスイング式の金具 (ラム・ロッド・スイベル) を備え、銃身下部にさく杖の取り付けが可能となっている品も多く見られます。 このような短銃は当時「ドントル銃」と呼ばれました。
尚、1842年 (天保13年) 頃に蘭学者 吉雄常三によって著された火薬技術等に関する文献である「粉砲考」によると、当時西洋で開発された発火薬の一種を日本において「ドンドルプードル」と呼称していたという記述が見られます。 これはオランダ語で「雷 (Donder) の粉 (Poeder)」を意味する「ドンダー ポーダー (Donder Poeder)」が日本において訛ったものであると考えられます。 ドンダー ポーダーは熱や衝撃を加えると激しく爆轟する発火薬で、当時重要の雷管に用いられた雷汞 (雷酸水銀(II)) と同種の化学物質であると思われます。 「ドントル銃」の呼称は、この発火薬を雷管に使用する管打ち式の銃器について、ドンドルプードルの「ドンドル」部分のみが残り、更にこれが訛って生み出された呼称である可能性が高いと考えられます。
「ドントル」という呼称は当時は管打ち式の短銃だけに限ったものではありませんでしたが、現在では小型の和製管打ち式短筒の総称としてドントル銃と呼ばれています。 ドントル銃は基本的に護身用として使用されました。 (KK)
【本個体の説明】
ドントル銃には銃身と本体が真鍮により製作された品が多く見られますが、本品は真鍮製に比べて珍しい鉄製銃身及び機関部を備えた品です。 銃身下部にはさく杖の取り付けが可能となっており、銃身前方下部及び用心金前方に設けられた金具によってさく杖を保持する構造となっています。 銃身は後方に向かって緩やかにテーパーがかかったオクタゴン・バレルとなっており、銃口部には火縄銃のものに類似した八角柑子が設けられています。
本品の銃身上面には「山梨十九年甲二九」の壬申刻印に相当する刻印が確認出来ます。 「壬申刻印」とは古式銃の一種の戸籍番号に相当します。 明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。 「山梨十九年甲二九」の十九年とは明治19年を指していると思われ、本品がその時期に山梨県に対して届け出が行われたと考えられます。
本品の銃身を含む鉄部は黒錆に覆われていますが、これは当時の日本における防錆方法であった錆付けによるもので、欧米のようにブルー仕上げがなかった日本では一般的なものでした。 銃身には一部表面錆痕や若干の朽ち込み痕が散見されるものの、現状大きな欠損等は見られません。 木製のグリップについても、若干の打ち傷が散見される他は目立った割れや欠け等は見られず、こちらも製造された時代を考慮すれば比較的良好な状態が保たれています。 作動については完全で、撃鉄を起こした際のハーフ/フル・コックともにしっかりと掛かり、引金を引くと撃鉄が力強く落ちます。 パーカッション・ニップル部分についても、現状目立った変形や欠け等は見受けられません。 銃身内は銃口から銃身後部まで完全に抜けて (通って) おり、火穴も抜けています。 銃身下部に取付可能な鉄製のさく杖が付属致します。 (KK)
【その他の情報】
昭和41年7月19日に山梨県教育委員会によって交付された銃砲刀剣類登録証が付いた完全可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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