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和製管打式ゲベール銃 (銃砲刀剣類登録証付古式銃、三千二〇七十 三重縣) ■ |
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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【7356】 |
英 名
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Japanese Single Shot Percussion Musket |
種 類
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古式銃(登録証付)、単発、登録証付古式銃買取品、東京店在庫品、ガゼット Vol.19 |
国 名
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日本 / オランダ |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,377mm |
口 径
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17mm |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【管打式ゲベール銃 について】
ゲベール銃とは前装式の単発管打式小銃で、銃身内にライフリング (施条) の無い滑腔銃を指す名称です。
「ゲベール (Geweer)」とはオランダ語で小銃を意味し、幕末の日本では洋式前装式小銃の一般名詞になっていました。 ゲベール銃は日本でも倣作が行われ、古いものでは火打ち式 (フリント・ロック=燧石式) の撃発装置が付いた品もありましたが、日本で倣作された品の多くは管打ち式 (パーカッション・ロック) でした。 元々はフランス軍が1670年に採用したフリント・ロック式小銃を改良したモデルをオランダ軍が1777年に採用し、そのタイプの銃を天保二年 (1832年) に長崎の高島秋帆が輸入したのが日本におけるゲベール銃運用の始まりです。 しかしながら、当時ヨーロッパ諸国は概ね同じようなタイプの小銃を制式化していたため、日本に輸入された正確なモデル名までは断定できません。 当時欧米諸国で唯一日本と貿易ができたオランダが輸出したため、オランダ語で小銃を意味するゲベールが呼称として一般化しましたが、当時輸入されたゲベール銃は必ずしもオランダ製小銃であったとは言えません。 2013年放送のNHK大河ドラマ「八重の桜 (第1話)」で、幼少の八重が兄の使うフリント・ロック式小銃を見て何かと聞いたときに、兄が「ゲベール (銃) だ」と答えていました。 あくまでもドラマの中でのやり取りですが「洋式小銃=ゲベール銃」というのが当時の一般的な認識だったのではないでしょうか。 弘化年間 (1844-47年) に雷管式が日本に伝わると、従来のフリント・ロックはパーカッションに改造されましたが、日本で倣作された品の殆どがこのパーカッション式です。 尚、同じパーカッション式でも、ライフリングのない前装滑腔銃をゲベールと呼称し、ライフリングのある前装施条銃は使用弾薬によって当時はミニエー銃、またはエンピール銃 (=エンフィールド銃)、鳥羽銃 (鳥羽=タワー、タワー刻印が入ったエンフィールド銃) と一般的に呼ばれました。 これらの銃は文久年間 (1861-64年) 頃に輸入されましたが、形状が良く似ていたので日本では混同されており、はっきりとエンフィールドとミニエーの違いを区別するようになったのは慶応三年 (1867年) 頃と言われています。 日本製のゲベール銃は日本各地の元々火縄銃を製作していた銃工によって作られたため、一挺一挺に小差があります。 尚、和製ゲベール銃の原型となったのは、1840年頃に作られたオランダ製コロニアル マスケットではないかと言われています。
本品は一般的な和製といわれるゲベール銃や従来の火縄銃に比べて各部が高い工作精度で仕上げられている事から、幕末に海外から輸入した工作機械で製作されたか、海外から輸入した部品を組み立てて製作された可能性も考えられます。 (KK)
【本個体の説明】
本品は銃身の長い通称「3 バンド」と呼ばれる歩兵銃タイプで、19世紀前半における列強の主力小銃と同じ長さのゲベール銃です。 その後欧米諸国では「前装施条銃」が登場し、銃身が短くなっても命中率を保つことが出来るようになった事から、全長が短い「2 バンド」と呼ばれる短小銃が採用され始めましたが、体格に劣る当時の日本人は「3 バンド」より「2 バンド」を数多く輸入しました。 しかしながら、本品のようなゲベール銃はライフリング (施条) の無い「前装滑腔銃」であったため、命中率を確保するためには「3 バンド」の銃身長が必要とされました。
本品の銃身後部の下面には「乙」と読める刻印が入っており、銃口付近の下部には手彫りにより「四」の漢数字が入っています。 また、銃身後部上面には漢数字で「三千二〇七十」と読める刻印が入っていますが、これは明治初頭に国内に存在していた銃砲の一斉検査が行われた際に打刻された管理番号 (壬申刻印に類する刻印) と考えられます。 壬申 (じんしん) とは干支の一つで明治5年 (1872年) を表します。 明治5年 (1872年) 一月に太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時において旧藩は旧家臣に軍用銃を下付けする事が多く、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらが大量に市中に出回り私蔵されていました。 それらの銃砲は管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事を義務付けました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 その際の刻印が「壬申刻印」です。 尚、アッパー・タング後方の銃床上面に「三重縣」と読める刻印が入っている事から、本品も一斉検査が行われた明治初頭の段階で三重県に存在していた事が窺えます。
その他、銃床内部に「上田」と読める墨書きが見られ、トリガー・ガード後方のロア・タングに「ヒガシ ヲクヰ」と読める文字が入っています。 また、銃身とトリガー・ガード前部には半円と点を組み合わせた検査刻印と思われる刻印が確認できます。
本品は銃身や木部の程度が古式銃としては比較的良好で、全体にオリジナル性の高いしっかりとした一挺です。 銃身を含む鉄部分は全体に時代錆が表れた適度な時代感が付いており、銃床に隠れる銃身下面にやや表面錆は見られるものの、大きな朽ち込み等は見受けられません。 また、真鍮製のバレル・バンドやトリガー・ガードについても、適度な時代が付いた良い雰囲気となっています。 木部についても経年相応の打ち傷や線傷は見られますが、大きな欠損は見られず、大部分に艶のある仕上げが残った良好なコンディションが保たれています。 銃床先端部に僅かに欠けが見受けられる他、銃床内部に若干のひびが見られますが、強度的にはしっかりとした状態が保たれています。 傷み易い床尾板についても若干の表面錆や朽ち込みは見られるものの、目立った変形等は見られず、銃床への取り付けもガタつきもなくしっかりとしています。
機関部は一般的なゲベール銃と同様、ハーフ・コックの無いフル・コックのみの構造となっており、フル・コック状態で引き金を引くとハンマーが力強く落ちます。 各バレル・バンドの取り付けについては現状目立ったガタつきは見られません。 尚、前後のスリング・スイベルは現状では固着しています。 パーカッション・ニップルや撃鉄についても現状目立った欠け等は見受けられません。 銃身内は銃口から銃身後部まで抜けて (通って) おり、火穴も抜けています。 オリジナルのさく杖 (ラム・ロッド) が付属致します。(KK)
【その他の情報】
平成22年5月13日岐阜県教育委員会によって交付された銃砲刀剣類登録証が付いた完全可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い骨董品ですので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願い致します。 無可動実銃とは異なり、作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身でされる事をお勧めします。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただき、またお電話で作動状態の説明を聞かれた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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