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スペンサー M1865 カービン (無可動古式銃、#49818) |
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価格(税込)
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\770,000 |
商品番号
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【7290】 |
英 名
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Spencer M1865 Carbine |
種 類
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古式銃(無可動) 、レバー・アクション、無可動実銃買取品 2020年 秋、東京店在庫品 |
国 名
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アメリカ合衆国 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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979mm(実測) |
口 径
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.50in |
装 弾
数
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7発 |
在 庫
数
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限定1品 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【スペンサー M1865 カービンについて】
スペンサー連発銃(Spencer repeating rifle)はクリストファー・スペンサー(Christopher Miner Spencer、1833年6月20日-1922年1月14日)が開発した後装内火式の7連発レバー・アクション小銃で1860年から1869年の間に生産されました。 トリガー・ガードを兼ねたレバーを下方に引くことによってブリーチ・ブロックが下がりバット・ストック内の管状弾倉 (Tube Magazine) から弾丸を薬室に送り込むと同時に空薬莢を上部から排莢します。 当時スペンサー小銃に対抗できる連発銃はヘンリー ライフルのみでしたが、ヘンリー弾は.44RFという拳銃弾程度の威力しかなく、軍用としてのストッピング・パワーではスペンサーがヘンリーに勝っていました。 しかしながら13連発という装弾数と同じレバー・アクション (操作) ながら、ハンマーも同時に起すことのできるヘンリー ライフルの方に軍配があがりました。 スペンサーはレバー操作とは別にハンマーを親指で起す必要がありました。
スペンサーの最初のモデルはM1860で南北戦争 (1861年-1865年) において主に北軍によって使用されました。 M1860ライフルはカービンに先駆けて1862年のSharpsburgの戦いで始めて支給されました。 有名な1863 年のゲティスバーグの戦い (Battle of Gettysburg) ではカスター将軍 (当時北軍騎兵旅団司令官) の配下のミシガン第5騎兵連隊の2個部隊もカービン (騎兵銃) ではなくライフル (歩兵銃) を使用し南軍を撃退しました。 M1860カービンは22インチ・バレルで、ライフルは30インチでした。
弾薬は.52口径のスペンサー ライフル & カービン用に1860年に開発された.56-56in. Spencerでした。 一般的にはスペンサー専用のイメージがありますバラード カービン (Ballard Carbine) とジョスリン カービン (Joslyn Carbine) も同じ弾薬を使用しました。 この当時の弾薬表示方法が現在とは異なり.56-56in. とは前の数は薬莢後部 (リムの直前部分) 直径値である.56インチ (14,2mm)、後の数は薬莢前部直径値である.56インチ (14,2mm)でした。 弾丸直径は.52インチの.52口径で、薬莢の長さは.875インチ (22.2 mm)でした。 後に.50口径の.56-52in.または .56-50in. (この二つの弾薬は互換性あり) に変更されました。 上記の弾薬表示から.56-52in.と.56-50in.は薬莢前部と後部の径が異なるテーパーのある薬莢を使用しました。 この三種のスペンサー弾は南北戦争の主要小銃であった.58in.施条前装小銃 (rifled musket) とほぼ同じ威力がありましたが、1866年に米軍標準軍用小銃弾となったスプリングフィールド トラップ・ドア ライフル用の.50-70 Government弾 (Springfield M1866用) やその後の.45-70 Government弾 (Springfield M1873用) に比べ威力が少なかったのが、南北戦争後スペンサーライフルが軍用として使用されなかった原因でした。 反対にスペンサーとよく比較されるシャープスが単発ながら口径を変更しつつも米軍用として残ったのは強力な弾薬 (Government弾) を使用できるように改造できたからだと言われています。
南北戦争中だけでも10万挺以上のスペンサー銃が製造され、戦後も生産が続けられましたが合衆国政府からの注文が途絶えた上に戦後の余剰火器が民間に溢れたため1868年にスペンサー社 (Spencer Repeating Rifle Company) は倒産しました。 1889年にはスペンサー社の資産はウィンチェスター社のオリバー・ウィンチェスター (Oliver Fisher Winchester、サムエル・ウィンチェスターの息子) に20万ドルで売却されました。 戦後多くのスペンサー小銃は退役軍人に払い下げられ米国西部で使用され、1920年頃までスペンサー弾は製造が続けられました。 また合衆国政府造兵廠が戦後保管したスペンサー銃の多くは1870年に勃発した普仏戦争 (プロシアーフランス戦争) 時のフランス軍や南米のパラグアイとアルゼンチン・ブラジル・ウルグアイの三国同盟軍との間で行なわれた南米史上最も大きな戦争となった三国同盟戦争 (1864年-1870年) 時にブラジル軍用として輸出され、日本にも南北戦争終結と同時に輸出され、戊申戦争 (1868年-69年) において多数が使用されました。 日本はフランス、ブラジルに次いで大量にスペンサー銃を使用した国となりました。
スペンサー弾が軍用として威力が弱かったのが戦後軍用銃として採用されなかった大きな要因ですが、他に当時の標準的な前装銃と比べ10倍近い発射速度が「兵による弾薬の無駄使い」や弾薬の補給の問題が軍首脳部において問題視されたのが原因とも言われています。 南北戦争開戦時にはすでにスペンサー銃は開発されていましたが、新型弾を大量に消費し新参であるスペンサー社の小銃を採用する事は、当時の合衆国陸軍首脳部には抵抗がありました。 ヘンリー ライフルやウィンチェスター社のイエローボーイが軍用として採用されなかったのも弾薬の威力を含め同じような政治的理由とも言われています。 1863年当時30歳であったクリストファー・スペンサーがエイブラハム・リンカーン大統領に直談判を行い、大統領を始め陸軍省長官たちの前で試射会をしてリンカーン大統領からの直々の採用命令を得るという荒業を行いました。 リンカーン大統領亡き後 (1865年暗殺) の南北戦争後の制式軍用銃の採用には多くの軍関係者とコネクションを持つスプリングフィールド国営造兵廠製のトラップ・ドア小銃が採用されたのは自然の成り行きだったでしょう。 スペンサー銃は南北戦争中にバーンサイト社が3条ライフリング (スペンサー社製は6条ライフリング) のM1863モデルをライセンス生産しており、1869年にスペンサー社の資産を引き継いだウィンチェスター社でも生産が行われたと言われています。 クリストファー・スペンサーは元々はコルト社の社員でそこで銃器の設計技術を学び、26歳の若さでスペンサー連発機構のパテントを取得しています。
南北戦争(1861年-1865年)で主に北軍によって使用されたスペンサー M1860 モデルは22インチ・バレルに.56-56in.口径でしたが、M1865は2インチ銃身が短い20インチ・バレルの.50in.口径となりました。 このM1865 モデルは南北戦争終結年 (1865年) に生産が始まり、南北戦争には実質的には間に合いませんでしたが、多くの南北戦争の文献にはM1865が南北戦争で使用されたように記載されています。 南北戦争後は、その多くがアメリカ合衆国騎兵隊に支給されました。 スプリングフィールド M1873 カービンが正式となるまで、スペンサー カービンは当時の最新型騎兵銃として騎兵隊の主要火器となっていました。 本体側面に騎兵隊が鞍に吊るす為のリング (サドル・リング) が付いており、そのためSaddle Ring Carbineと呼ばれています。
日本には幕末に佐賀藩によって約8,000挺が輸入されて戊辰戦争 (慶応4年/明治元年[1868年]〜明治2年[1869年]) 等で使用されました。 大河ドラマ【八重の桜】では主人公の「新島八重 (新島襄の妻)」がスペンサー連発銃を使用して会津若松城 (鶴ヶ城) 籠城戦で奮戦する場面が多くあります。 実際は会津藩にはスペンサーはその一挺しかなく、攻撃をした新政府軍に多くのスペンサーが支給されていました。 当時日本国内でもスペンサーは最新兵器で「元込め7連発」と呼ばれて恐れられました。
多くの西部劇に登場するスペンサー カービンですが、クリント・イーストウッドが監督・主演した1992年公開の映画「許されざる者」ではスタール M1858 リボルバーとスペンサー・カービンを使ったガン・アクションがメインでイーストウッドのガン・マニアぶりが前面に出ています。
【本個体の説明】
本品は適度な使用感と経年から迫力のある品となっています。
機関部後部上面にはシリアルNo.49818が打刻されている他、機関部上部にメーカーの刻印が打刻されていたものと思われますが、ほぼ視認することが出来なくなっています。
約145年前に製造され、金属部は経年による褪色や、若干の表面錆痕等が見受けられるものの、時代を考えると程度の良い品です。 また、機関部やアンダー・レバーなどに薄っすらとした朽ち込み錆のあとも見られますが、現状では落ち着いており、錆が進行している様子はありません。
木部はオリジナルのウォールナット製で、やや打ち傷や線傷は見受けられますが全体的に仕上げの艶を残してます。 ストックの付け根上部に8.8cmの割れとそれに沿うように1.5cmほどの埋木が見られます。 現状ぐらつきはなく割れが進行している様子はありませんが注意が必要です。 ハンド・ガードはがたつきなくしっかり固定されており、フロント・バンドは若干遊びがありますが勝手に脱落してしまう事はありません。 傷み易いバット・プレート部についてはやや打ち傷や擦れに加え、全体的に地金っぽくなっている印象ですが大きな朽ち込みや変形等は見受けられず、しっかりとした状態が保たれています。 リア・サイトの起倒・調整については問題なく可能です。 ブリーチ・ブロックは溶接固定されており、アンダー・レバーはブリーチ・ブロックに当たるまでの少しだけ可動します。 ハンマーはテンションが残っていますが、他の部品との連動はありません。トリガー・テンションはありません。 登録可能な旧式の縁打式ですが無可動銃として輸入された品ですので登録対象外となっています。 銃床内に入る七連発チューブ型弾倉は完全で、容易に脱着が可能です。
無可動ですがスペンサー銃の独特の構造が判る資料価値の高い品です。 無可動であるが故に非常にお値打ち価格になっています。(YS)
【その他の情報】
無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合がございます。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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