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トランター ダブル・アクション・リボルバー 4th モデル (御書附、銃砲刀剣類登録証付古式銃、#20995T)  
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価格(税込)
 SOLD OUT
商品番号
 【7081】
英  名
 Tranter Double Action Revolver, 4th Model
種  類
 古式銃(登録証付)、登録証付古式銃買取品
国  名
 イギリス
時  代
 第一次大戦前(〜1914)
全  長
 301mm
口  径
 11mm
装 弾 数
 5発
在 庫 数
 SOLD OUT
画像について
 画像は現物です。
コメント
 【トランター ダブル・アクション・リボルバー 4th モデル について】
英国のウィリアム・トランター (Wiliam Tranter) は、1853年1月28日に「ヘジテート・アクション」とも呼ばれる特徴的な作動をするダブル・トリガー・リボルバーに関する英国パテント第212号を取得し、これを製品化しました。 このダブル・トリガー・リボルバーは製造開始時期により1st モデル (1853〜1854年)、2nd モデル (1853〜1856年)、3rdモデル (1860年〜) と呼ばれ、細部の仕様が異なります。 その後トランターでは1860年頃からボーモントのダブル・アクション機構を取り入れたオーソドックスな形状のリボルバーも製造が開始され、こちらはシングル・トリガー・モデルと呼ばれてダブル・トリガー・モデルとは区別されています。 ボーモントのパテントは、真の意味でのダブル・アクション機構で、現代リボルバーと同様にダブル・アクション及びシングル・アクションの操作が可能となりました。
本品はこのシングル・トリガー・モデルと呼ばれるタイプで、ダブル・トリガー・リボルバーであった1st〜3rdモデルに対して4thモデルと呼ばれます。 1st〜3rdまでのダブル・トリガー・モデルとは異なり、ハンマーにスパー (指掛け) が設けられてハンマーを手動で起こしてのコッキング操作が可能となっており、トリガー・ガード外側のトリガーは省略されています。 また、従来モデルでは設定されていなかったハンマーのハーフ・コック位置も設けられ、装填操作が容易になりました。 また、フレーム右側面にL字型のセーフティが追加され、ハンマーをシリンダーのパーカッション・ニップルの間に下ろした状態で不用意に回転しないようロックする事が可能となっていました。 尚、一部の4th モデルでは後期のアダムス・リボルバーに見られるようなスライド式のセーフティが設けられた品も見られます。 銃身やその他の特徴については従来の1st〜3rd モデルと基本的には同様です。 トランター 4th モデルは作りが良く頑丈であった事から高い評価を受け、米国の私立探偵アラン・ピンカートン (Alan Pinkerton, 1819-1884) が本銃をペアで携行していた他、ピンカートン探偵社のメンバーにも支給したと言われています。 本銃は構造的には頑丈で、軍用に適した.44口径や.50口径モデルでも問題なく使用出来ました。 本銃には口径38/54ボア (.50/.44口径) で6インチ銃身のホルスター・モデルの他、80ボア (.38口径) 6インチ銃身のベルト・モデル、120ボア (.31口径) 4 1/2インチ銃身のポケット・モデルが製造されました。 (KK)

【本個体の説明】
本品はトランター ダブル・アクション・リボルバー 4thモデルの内、軍用として使用された口径38ボア(.50口径)で銃身長6インチのホルスター・モデルです。 フレーム左側面下部には小さく「TRANTER PATENT」の刻印が入っている他、フレーム右側面下部にはシリアルNo.が「20995.T.」と入っています。 シリアル No.の後の「T」はTranter社製を表します。 同じTranter Patentの銃でもTranter社で製造された品です。 本銃は基本構造は典型的な4thモデルですが、フレーム右側面前部のシリンダー軸固定バネの形状が一般的な品とは異なる珍しいバリエーションとなっています。

本品のシリンダーには「壬申 三六 神山縣」の刻印が入っています。 神山縣とは1871年 (明治4年) に伊予国南部を管轄するために設置された県で、現在の愛媛県南予地方にあたります。 「壬申刻印」は古式銃の一種の戸籍番号とも呼ばれるもので、明治5年(1872年)に明治新政府の命令で国内にあった銃砲調査が行われました。 「壬申刻印」はその際の登録番号ですが、その際の原本はまだ見つかっていません。 明治4年に6鎮台に分けられた明治陸軍は主力小銃の統一化をはかるため、旧藩の銃砲の種類、挺数の把握が急務となり明治5年 (1872年=壬申) に始まり、明治20年頃まで行われました。 明治5年 (1872年=壬申) の検査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が「壬申刻印」です。

本品は旧宇和島藩主であった伊達宗紀の所有していた由来の確かな品で、大正十一年五月に愛媛教育協会により開催された学制頒布50年記念の理科展覧会に出品された記録が残っている品です。 当時のオリジナルの絵葉書セット「理科展覧会絵葉書 (7枚セット)」と愛媛教育協会が旧所有者宛に送った書状一式が付属しています。
壬申刻印が「神山縣 (現在の愛媛県南予地方)」と「愛媛教育協会からの書状一式」と時代と場所が一致した貴重な資料です。

本品は全体に適度な時代感が付いており、金属部は一部やや時代錆や表面錆が表れているものの、現状大きな朽ち込みや欠損等は見受けられず、フレームや銃身にはオリジナルのブルー仕上げも一部確認出来、各部の彫刻も良好に残っています。 トリガー・ガードについては全体に時代錆が表れていますが、こちらも深い朽ち込み等は見られません。 木製グリップについては目立った割れ等は見られず、打ち傷等も少なくチェッカリングも全体に良好に残っています。 作動については完全で、ハーフ・コック及びフル・コック位置でハンマーのロックがしっかりと掛かり、トリガーとハンマー、シリンダーの連動についても問題ありません。 パーカッション・ニップルについても目立った欠けや変形等は見受けられません。 銃身内は銃口から銃身後部まで完全に抜けており、ライフリングも深くはっきりと残っています。 日本国内で発見された個体としては最高の部類に入る程度です。 実用当時には手入れが行き届き、その後由緒ある家で大切に保管されていた逸品です。

本品にはオリジナルの英国製木箱、フラスコ(JAMES DIXON & SONS製)、ニップル・レンチ、ドライバー、クリーニング・ロッド、オイラー、パーカッション・キャップ缶 (キャップ入)、潤滑油缶、鉛製弾頭6個が付属致します。 木箱は表面にやや打ち傷や線傷が見られる他、角の部分に表面的な欠けが見られるものの目立った破損等は見られず、しっかりとした状態が保たれています。 木箱内部の張布についても若干の傷みが見られるものの、製造時期を考えれば概ね良好な状態が保たれています。 尚、木箱の鍵は付属致しません。
更に日本に伝来してから大正期に作られた桐箱 (箱書入り) が付属致します。 箱書きには「旧宇和島藩主、伊達宗紀候愛用短銃、尾崎家」、箱の蓋裏には「大正十一年一月需之、専売取締視閲トシテ出張ノ際宇和嶌市旧家ニ於テ譲受ク」と墨書きされています。現代語では「大正十一年一月需之、専売取締視閲トシテ出張ノ際宇和嶌市旧家ニ於テ譲受ク」

箱書きの他に愛媛教育協会内「理科展覧会」から元所有者の「松山市内 煙草専売支局長 尾崎好馬殿」宛のお礼の封書(大正11年5月4日松山消印)も含まれています。
内容は「拝啓 新緑之候愈御多祥奉賀候陳者過般来愛媛教育協會主催學制頒布五十年記念理科展覧會開催ノ節ハ貴重ナル御品御出陳被下御蔭ヲ以テ當會ニ多大ノ光彩ヲ相添ヘ豫期以上ノ盛況ヲ以テ去五月二日閉會致シ候段全ク深厚ナル御同情ノ結果ト深ク御禮申上候右御挨拶申上度如斯御座候 敬具 大正十一年五月四日 理科展覧會長 川上親俊 尾崎好馬殿 追テ御出陳相成候御品小倉氏ヲ以テ御返戻申候條御査収被下度候 御出品 奮宇和島藩主 伊達宗紀候愛用短銃 壹箱」となっています。

銃の由来がハッキリとした書状と箱書き付きの歴史的にも貴重な品で、弊社でもこれほどの来歴の裏付けがある品は入手困難です。 特に「旧宇和島藩主伊達宗紀の所有品」である事が歴史的価値を上げています。

旧宇和島藩主伊達宗紀について(Wikipediaより)
伊達 宗紀(だて むねただ)は、江戸時代後期の大名。伊予国宇和島藩7代藩主。通称は主馬。号は春山。官位は従四位下・遠江守、左近衛権少将。百歳長寿の大名として知られる。隠居後の余生を過ごすために天赦園(名勝指定)を築庭。
6代藩主・伊達村寿の長男として誕生。 寛政4年(1792年)9月16日生まれとされるが、これより前に生まれていたとも言われている。元服時には仙台藩主の伊達斉宗より偏諱を賜って宗紀と名乗る(宗紀以降は伊達氏の通字である「宗」の字を代々名前に用いるようになる)。 文政7年(1824年)9月12日、父の隠居により跡を継ぐ。この頃、宇和島藩では財政悪化により、藩政改革の必要に迫られていた。そこで宗紀は大坂商人からの借金を無利息200年賦返還にしたり、脅迫して一部の借金を放棄させたりした。またハゼ蝋の専売化、質素倹約を推奨し、塩やスルメなど特産品の保護、検地などを行なった。さらに藩士の小池九蔵、若松総兵衛を佐藤信淵に入門させて、農業の技術改良などを学ばせて、また融通会所を設立させ物価の統制を図った。これらにより藩財政改革に成功し、養嗣子の宗城に家督を譲るまでに6万両の金が蓄えられた。 長年男子に恵まれず、文政9年(1826年)冬には幕府から島津重豪の五男の虎之助(後に南部信順として八戸藩を継ぐ)との養子縁組を持ちかけられている。宗紀は懐妊中の側室の存在などを挙げてこれを断っている。文政10年(1827年)4月、仮養子の選定にあたって、老中水野忠成に自らの後継者問題を相談している。具体的には、幕府から将軍徳川家斉の子女との養子縁組をもちかけられる可能性の有無や、それを断ることができるのかといったことである(家斉は男子だけで26人をもうけ、親藩だけでなく外様大名にも養子を送り込んでいた)。 文政12年(1829年)4月11日、5代藩主・村候の男系曾孫で、旗本山口家から家臣伊達家に養子に入れていた伊達宗城を養嗣子として迎えた。なお、天保8年(1837年)、養子宗城と自身の三男・宗徳の養子縁組を行う。いわゆる順養子である。 天保15年(1844年)7月16日、家督を養嗣子の宗城に譲って江戸の藩邸に隠居した。嘉永6年(1853年)のペリー提督率いるアメリカ東インド艦隊来航の際には、幕府に開国を献策した。文久2年(1862年)、宇和島での隠居所として潜淵館を建築し、その邸内に慶応2年(1866年)に完成した回遊式庭園を祖先の伊達政宗の漢詩、酔余口号の一節から天赦園と名づける。明治22年(1889年)11月25日、98歳という長寿をもって死去した。法号は霊雲院殿前宇和島城主春山宗紀大居士。墓所は愛媛県宇和島市野川の大隆寺。

宇和島藩8代藩主の伊達宗城(だて むねなり)が伊達宗紀の為に本銃を英国から手に入れた可能性が高い品です。
伊達宗城は慶応2年 (1866年)、イギリス公使ハリー・パークスがプリンセス・ロイヤルで宇和島を訪れた際、お忍びで同艦を訪問、パークス一行上陸時は、閲兵式に続き純和風の宴で接待し、宇和島を離れる際には藩の旗印と英国国旗を交換、さらに同年後日、アーネスト・サトウ宇和島訪問の際には、日本の将来について、天皇を中心とした連邦国家にすべしという意見交換をするなど、外国人とも積極的に交流している。

令和2年に尾崎家のご子孫の御宅から発見された生(うぶ)な品です。 「旧宇和島藩主伊達宗紀の所有品」である事は別としてもトランター製のダブル・アクション・リボルバーは、ボーモント・アダムス系のダブル・アクション・リボルバーと比較して国内に入っている挺数は少なく、特に4th Modelは希少価値のある品です。 大阪店在庫品 (KK)(MM)

【その他の情報】
令和2年2月14日に福島県教育委員会によって交付された銃砲刀剣類登録証が付いた完全可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。

古式銃は約150年以上前の古い骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入頂けますようお願い致します。 無可動実銃とは違い作動する機械ものですので、作動や仕上げの確認をご自身でされる事をお勧めします。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただき、またお電話で作動状態の説明を聞かれた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms(ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。

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