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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【6229】 |
英 名
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Type 38 Infantry Rifle, Early Production |
種 類
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ボルト・アクション、無可動実銃買取品 2019年 春 |
国 名
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日本 |
時 代
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第一次大戦〜第二次大戦 |
全 長
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1,276mm(実測) |
口 径
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6,5mm×50 |
装 弾
数
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5発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【三八式歩兵銃 について】
三八式歩兵銃は日露戦争後の明治38年 (西暦1905年、皇紀2565年) に日本陸軍が制式採用した小銃です。
製造は東京砲兵工廠で行われ、三十五年式海軍銃と三十年式をベースにして、主任設計には南部麒次郎大尉 (後に南部式自動拳銃と十四年式拳銃を開発) が担当しました。 機構的には殆ど完成されていた三十年式小銃でしたが、中国大陸での厳しい自然環境の中でいくつかの欠点が見つかり、三十五年式海軍銃の特徴 (遊底覆など) も取り入れて、明治38年に改良型が制式となりました。 以来日本軍の主力小銃となり日本の小銃の代名詞ともなり、九九式小銃と共に終戦まで使用されました。 6,5mm弾は威力的に力不足でしたが、機能的には信頼性が高く前線兵士の間でも好評だったようです。 日本海軍の陸戦隊も使用していましたが、海軍部内では単に三八式小銃と称していました。 海外ではType-38 Arisaka Rifleと呼ばれています (実際は有坂成章陸軍大佐が開発に関与したのは三十年式歩兵銃まで)。 満州をはじめ中国大陸の戦線で使用してみると、大陸特有の細かい砂塵が機関部内に入り込み作動不良を起こし、対応として遊底覆いを追加する事になりました。
戦前にはイギリス、フィンランド、メキシコ等、数ヵ国にわたり輸出されました。 また中国で武装解除された部隊が使用した相当数の旧日本軍小火器は、戦後中国軍によって使用されました。
三八式歩兵銃は1941年(昭和16年)までに約340万挺が生産されました。 また、バリエーションとして三八式騎銃、九七式狙撃銃、三八式改狙撃銃も生産されました。
【本個体の説明】
本品は三八式歩兵銃の初期型で、東京砲兵工廠小石川小銃製造所製です。 本品は機関部側面のシリアル#1096214の後に東京砲兵工廠を示す造兵廠の四つ輪刻印が確認できます。 本品の薬室上面には菊花紋章残っていますが、浅く削られている印象で輪郭だけがしっかりと確認出来ます。 尚、本品には遊底覆が取り付けられているため、薬室上部の刻印は菊花紋章のみが確認できます。 薬室左側面には円の中に三角形のマークが入った優良刻印が打刻されています。
本品の照星は両側面にガードが付かない初期型で、床尾板も初期のフラット型 (一枚板)、安全子 (セーフティ) はノブの突起が小さい型で、リア・サイトは初期のVノッチ型となっています。 フロント・バンドの着剣ラグ下部及びボルト・リリースを開いた部分に「185」のシリアルNo.が入っています。
本品は全体的に使用感がみられ、経年と相まって大変迫力のある品です。 金属部はオリジナルの仕上げが残っていますが全体的に表面錆が見られます。とは言え、表面はスムースで朽ち込みと言った劣化が進行している印象はありません。
木部は全体に多数の打ち傷や荒れがみられ、少々痩せている印象をうけます。 ただし現状ではしっとりとした感触で手入れがなされているように思います。 銃床の上下の継ぎ目についても、ほんのわずかに隙間が見られる印象ですが、ガタつきなどもなくしっかりとしています。 バット・プレートの取り付け部周辺にやや木部の痩せは見られますが、バット・プレートの取り付け自体はしっかりとしています。 照尺の起倒や調整操作については若干ロックのかかりが甘くなっていますが問題なく行う事が可能です。 遊底覆に大きな変形等は見られません。 弾倉バネ及び弾受け (マガジン・フォロワー) は入っています。 さく杖は付属しておりません。
トリガー・テンションがあり、見える部分以外のボルトを除去した加工品です。 東京店在庫品 (YS)
【その他の情報】
無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合がございます。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認頂いた上でご注文下さい。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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