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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【6222】 |
英 名
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Murata Type 18 Rifle |
種 類
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単発、ボルト・アクション、無可動実銃買取品 2019年 春 |
国 名
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日本 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,270mm |
口 径
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11mm×60R |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【十八年式村田銃 について】
村田経芳 (1838-1921) が設計し、明治13年 (1880年) に帝国陸軍制式となった十三年式村田銃に始まる一連のボルト・アクション・ライフルのシリーズが村田銃です。 最初のモデルである十三年式村田銃は口径11mmの単発式小銃で、村田経芳には銃器設計を学ぶ為に渡欧した経験が有った事から、十三年式村田銃の設計にもフランスのグラスM1874やオランダのボーモンM1871小銃からの影響が見られます。 十三年式村田銃の採用と同時に、東京砲兵工廠小石川小銃製造所では当時陸軍で使用されていたシャスポー銃に対して、村田銃の仕様に即した改修も行われました。 明治十八年 (1885年) に入ると、十三年式村田銃に小改良を加えられ、これは十八年式村田銃と呼ばれました。 使用弾薬や装弾数に変化はありませんでしたが、ボルトを後退させた際にボルトが機関部から完全に抜けてしまわないようボルト右側面にネジ留めされていたラグに代わり、十八年式では本体左側面からマイナス・ネジ状のクロス・ボルト式の抜け止めを挿入する方式へと変更されました。 また、銃口部左側面に着剣時の補強の為のガイドが設けられているのも外観上の特徴となっています。 銃剣についても銃本体の改修に合わせて鍔の内部にガイドと干渉しないよう切り欠きが設けられました。 十三年式村田銃は1885年までに少なくとも58,675挺が製造され、その後シリアルNo.を引き継ぐ形で十八年式村田銃の生産に移行したと言われています。 十八年式村田銃の製造は、1889年3月に銃身下部にチューブ式弾倉を設けて連発式とした口径8mmの二十二年式村田銃が採用されるまで続けられました。
【本個体の説明】
本品の機関部左側面にはやや薄くなっているものの「大日本帝國村田銃 東京砲兵工廠小銃製造所」の刻印が入っている他、機関部後部右側面には「明治十八年」の刻印も確認できます。 薬室上面には菊花紋章は入っていませんが、村田少将の花押 (一種のサインのようなもの) がはっきりと確認できます。 銃身及び機関部のシリアルNo.は84461となっています。
本品の銃身や機関部といった金属部は、若干の表面錆は見受けられるものの、目立った破損や欠損、朽ち込み等は見受けられず、大部分にブルー仕上げが残った比較的良好な状態が保たれています。 ボルトについては経年による時代錆が大部分に見受けられますが、こちらも目立った朽ち込み等は見られず、しっかりとした状態が保たれています。 尚、ボルト・ハンドルのシリアルNo.は132830となっています。 木製銃床については全体にやや暗い色合いとなっており、打ち傷や線傷、擦れ等は見受けられますが、大きな破損や欠損は見受けられず比較的しっかりとした状態が保たれています。 銃床左側面に漢字で「一五九」の刻印が見られる他、右側面にも黄色い塗料で同じ数字が書かれています。 銃床左側面にやや目立つ打ち傷が見られる他、銃把部左側面に長さ9cm程のヘアライン・クラックが見受けられるものの、現状では強度的に影響のないレベルのものです。 傷み易いバット・プレートについてはやや打ち傷や表面錆が見られるものの、目立った朽ち込みや変形等は見られず、銃床への取り付けについてもガタつきもなくしっかりとしています。 バット・プレートの取り付け部周辺の木部に若干の痩せが見受けられますが、殆ど気にならないレベルのものです。 照尺の起倒や調整操作については問題なく行う事が可能です。
ボルトが閉じた状態で固定された旧加工品です。 東京店在庫品 (KK)
【その他の情報】
無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合がございます。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認頂いた上でご注文下さい。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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