 |
|
|
|
 |
コルト M1860 アーミー リボルバー (ショルダー・ストック&木箱付、銃砲刀剣類登録証付古式銃、#12440)* |
|
 |
 |
|
 |
|
|
▲クリックで拡大画像をご覧いただけます。 Copyright© Chicago Regimentals Co. , Ltd. All Rights Reserved. |
価格(税込)
|
SOLD OUT |
商品番号
|
【6092】 |
英 名
|
Cased Colt M1860 Army Revolver with Shoulder Stock |
種 類
|
古式銃(登録証付)、登録証付古式銃買取品 |
国 名
|
アメリカ合衆国 / 日本 |
時 代
|
第一次大戦前(〜1914) |
全 長
|
372mm (ストック付きの全長686mm) |
口 径
|
11mm |
装 弾
数
|
6発 |
在 庫
数
|
SOLD OUT |
画像について
|
画像は現物です。 |
コメント
|
【コルト M1860アーミー・リボルバー について】
コルト M1860アーミー・リボルバーは、サミュエル・コルト社 (Samuel Colt、現在のColt Firearms社) で1860年から1873年まで製造された軍用リボルバーです。
コルト社は1851年に発売した.36口径のコルト M1851 ネービー・リボルバーを基に、.44口径にボア・アップしたモデルをM1860アーミー・リボルバーとして1860年に発売しました。 南北戦争 (1861年-1865年) ではM1851 ネービーと共に主要拳銃として使用されました。 M1860アーミーは全て.44 口径の6連発のモデルです。 Paper Cartridgeと呼ばれる紙に包んだ弾薬を使用しました。 M1860 アーミーのフレームはM1851 ネービーと同サイズですが、シリンダー前部2/3を.44口径に対応するために肉厚にし、ボア・アップしてあります。 そのためにフレームとシリンダーが干渉するのを避ける目的でフレームの一部 (シリンダー下部と接する部分) が一段低くなっています。 M1851 ネービーがオクタゴン・バレルであったのに対して、M1860 アーミーはラウンド・バレルで流線的なデザインになっており、同じフレームを使用してはいますが全く異なるイメージがあります。 しかしながらその基本構造は両モデルとも共通しています。 銃身長7.5インチであった極初期型を除き、M1860 アーミーの銃身長は8インチのみです。 先に発売された.36口径のM1851 ネービーよりも強力な口径から、軍用としてはM1851 ネービーを凌いでいました。 最も大きな販売先はアメリカ政府で20万挺の内、12万7千挺以上 (記録に残っているものだけでも127,156挺) が政府に納入されており、軍用専用と言われている所以です。 米本国のコルト社工場のみで生産されました。
コルト社のパーカッション・リボルバーの特徴として銃身部分とフレーム部分がシリンダーを挟むように、前後に分解出来る構造になっています。 バレル・ウェッジと呼ばれる「楔」のような小さな部品を右から左に押し出す事によって、銃身部分とフレーム部分が容易に分離します。 シリンダーには1843年のカンペチェ海戦 (Naval Battle of Campeche) でテキサス海軍がメキシコ海軍を破る場面がエングレービングされています。 蛇足になりますが「M1860 Army Revolver」のモデル名は20世紀になってからコレクターが便宜上付けた名称で、発売当初のコルト社カタログでは「Colt Holster Pistol, Enlarged Caliber」となっています。 尚、「M1851 Navy Revolver」は「Colt Revolving Belt Pistol of Naval Caliber」です。(MM)
【本個体の説明】
本品は非常に珍しいショルダー・ストック付きの軍用モデルで、シリアルNo.が12440である事から、米国で南北戦争が勃発した1861年 (文久元年) に製造された、M1860の中でも初期の生産品である事が分かります。 製造年から本品が南北戦争 (1861年-1865年) で使用された可能性は十分に考えられます。 本品のシリアルNo.はシリンダー、フレーム、銃身、トリガー・ガード、グリップ・フレーム、バレル・ウェッジ、シリンダー軸と見える部分で全てマッチしています。
本品はM1860の中でもフレーム側面のスクリューが4本(4 Screws modelと呼ばれる、フレーム左右にショルダー・ストックを固定する短いネジが1本ずつ追加されており、実際のネジの合計は+2本の5本です)でフレーム(Recoil shield両側面下部分)に専用のショルダー・ストック取り付け用の切り欠きが設けられた軍用向けモデルです。 本品の木製グリップ左側下部には米軍用を示すCartoucheと呼ばれる検査刻印が確認できます。 このようなストックが装着可能な軍用モデルは、シリアルNo.が概ね50,000までに製造された品で、その大半が合衆国政府に納入されました。 尚、フレームのスクリューが3本のみ(ショルダー・ストックを固定する短いネジ無し)のシビリアン (民間向け) モデルにはストック取り付け用の切り欠きは設けられていません。 しかしながらシビリアン。モデルは軍用向けモデルよりも金属部の仕上げが丁寧に行われていました。 また、本品の銃身上面には「-ADDRESS COL SAML COLT NEW-YORK U.S AMERICA-」の刻印がハッキリと入っています。 コルト社は当初、リボルバーの銃身上面に本社所在地であったNew Yorkのアドレス刻印を打刻していましたが、その後1860年〜1861年頃にかけて、南部に多かったコルト社の顧客に配慮して、当時奴隷解放運動の中心地と見做されていたNew Yorkから同社工場の所在地であるコネチカット州のHartfordへとアドレス刻印が変更されました。 しかしながら、その後1861年の南北戦争勃発に伴い、南部の顧客の大半がアメリカ連合国側に付いた為、再び銃身のアドレス刻印がNew Yorkへと戻されたと言われています。 本品は1861年製造の個体ですので、銃身刻印が再びNew York刻印へと戻された南北戦争勃発直後に製造された個体である事が分かります。
本品の銃身やフレームといった金属部は全体に白磨き仕上げになっています(画像ではブルー仕上げのように見えますが現物はシルバーに近い色合いです)。 本来はブルー仕上げだった物が経年の使用によって退色した際に磨き直されたと思われます。 これは表面錆を落す為に磨かれた訳ではないので、刻印等が研磨によって失われておらず、不自然な光沢もない古式銃らしい落ち着いた色合いになっています。 シリンダー表面のカンペチェ海戦(Naval Battle of Campeche) *(注1)の場面のエングレービングの多くは消えてしまっていますが、全体的なシルエットはしっかりと残っておりコルトのパテント刻印とシリアル No.、そして「PA'D SEPT. 10TH 1850」の刻印はハッキリと残っています。 またシリンダー前部を巻くように「ENGAGED 16 MAY, 1843」のカンペチェ海戦を記念した「1843年5月16日の戦闘」の言葉の刻印も「1843」の「84」は消えていますが、「ENGAGED 16 MAY」の部分は判読可能です。
各部のシリアルNo.についてもハッキリと残っています。 オリジナルの木製グリップは、若干の小傷は見受けられるものの目立った割れや痩せ等は見受けられず、オリジナルの仕上げも残った良好な状態が保たれています。
本品にはオリジナルのM1860アーミー用ショルダー・ストックが付属致します。 ショルダー・ストックの装着はスムーズに行う事が可能で、取り付け時のガタつきなども殆ど見られません。ショルダー・ストックのシリアルNo.は9559で、ストック基部やバット・プレート取り付け部付近の木部にやや痩せが見受けられるものの、大きな破損等は見受けられずしっかりとした状態が保たれています。 ストック基部やバット・プレートの真鍮製部品は、適度な時代感が付いた良い雰囲気となっています。 ストック基部とバット・プレート部のシリアルNo.はマッチしています。 ストック左側面に手彫りでNRの刻印が入っています。 ストックと銃本体は元々のセットではありませんがオリジナルのストックが付属した品は国内では唯一の品ではないでしょうか? グリップとストックの色味も合っており、当初からのセットのような感じです。(銃本体の真鍮部品とストックの真鍮部品を比べると、ストックの方が時代が付いていますが違和感はありません。)
本品の木製グリップ右側面には「明治四年未歳二月 大阪鎮臺」の刻印と帝国陸軍の象徴とも言える「旭日章」の意匠化されたが紋章が施されています。 鎮台*(注2)は明治4年 (1871年) から明治21年 (1888年) まで設置されていた大日本帝国陸軍の部隊単位で、その後師団へと改組されました。 本品はこのグリップの刻印から、明治期の日本陸軍創設期に装備品として編入された事が窺え、初期の帝国陸軍装備としても貴重な資料と言えます。 幕末に輸入された銃の証明として「壬申(明治5年)刻印*(注3)」があげられますが、本品はそれより一年前の明治4年の年号が入った明治陸軍制式銃としての証明もなされています
本品の作動については完全で、ハンマーを起こすとシリンダーが問題なく回転し、ハーフ・コック、フル・コックともに完全に掛かります。 銃身内のライフリングも非常に良好に残っている他、シリンダーのパーカッション・ニップルについても大きな変形や欠け等は見受けられず、良好な状態が保たれています。 また、銃身とフレームの取り付けもガタつきは殆ど見られずしっかりとしています。 銃本体の程度の良さに加えてオリジナルのショルダー・ストック付きと言う稀少性は弊社が扱った古式銃の中でも群を抜いています。 大阪店在庫品 (KK)(MM)
【その他の情報】
本品には純正ではありませんが、蓋の内側に英国銃砲メーカーであるDurs Egg社のパテント・ステッカーが貼られた時代の付いた木箱が付属致します。 木箱内部は伸縮性のある布張りが施されており、銃本体が収まる窪みが設けられています。 この内張は後世の出来です。 木箱には鍵が付属しており、閉じた状態でロックを掛ける事が可能です。 また、英国Sheffieldの「James Dixon & Sons」社の刻印が入ったオリジナル銅製バッグ・シェープ・フラスコ(English Colt Navy Revolver用 ドラム付きスパウトの口が9,5mmですので.36口径{Navy口径}と思われます。 ドラムの表示が8/5, 2/1, 8/3で調整可能です。 全長約14,5cm、本品だけでも10万円の価値があります)、時代は下がりますが程よい使用感のある真鍮製.36口径用コルト・タイプ・モールダー、英国製のオリジナル・パーカッション・キャップ・ケース(ブリキ缶)が付属致します。 ショルダー・ストックはこの木箱の中には収納出来ません。
平成元年11月17日に千葉県教育委員会によって交付された銃砲刀剣類登録証が付いた完全可動する実物の古式銃です。 銃口から薬室まで通っている事を確認済みです。
古式銃は約150年以上前の古い骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入頂けますようお願い致します。 無可動実銃とは違い作動する機械ものですので、作動や仕上げの確認をご自身でされることをお勧め致します。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像(Detail-Photos)を十分ご確認頂き、またお電話で作動状態の説明を聞かれた上でご注文下さい。 詳しくは本HPのメニュ・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
*(注1) カンパチェ海戦は1843年にメキシコから1838年に独立したテキサス海軍と同じく当時独立国(1841年メキシコより独立)であったユカタン共和国に対して、戦力的に優勢であったメキシコ海軍を破るアメリカ海軍史上輝かしい海戦でした。 1843年にメキシコ海軍はユカタン共和国の都市カンペチェに海上封鎖を行い、メキシコ海軍は当時最新型であった英国製の8inch砲を装備する蒸気軍艦「グアダルーペ(Guadalupe)」と他1隻を派遣しました。 それに対してテキサス共和国の旧式艦艇2隻が海上封鎖突破を行って「カンペチェの海戦」が勃発します。 両海軍共に沈没艦はなかったものの、海上封鎖を突破したことからテキサス海軍の勝利とされています。
*(注2) 鎮台は、1871年(明治4年)から1888年(明治21年)まで置かれた日本陸軍の常備軍としては最大の部隊編成単位でした。 兵制としては御親兵の後を継ぐもので、鎮台の設置とその後の徴兵制実施をもって日本の近代陸軍の始まりとなりました。 1871年(明治4)に東京・大阪・鎮西(小倉)・東北(石巻)に四鎮台が設置され、1873年に東京・仙台・名古屋・大阪・広島・熊本の六鎮台となりました。 1888年に師団と改称されました。
*(注3)「壬申刻印」は1872年(明治5年)に日本国内に本銃があった事を裏付ける銃砲調査の際の一種の登録番号です。
「干支」とは日本では「えと」と呼んで、子(ね=ねずみ)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う=うさぎ)・辰(たつ)・巳(み=へび)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い=いのしし)の十二支(12種類)のみを指すますが、「干支」は十干と十二支(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)の10種類の組み合わせを指す語です。 そのため十干(10)と十二支(12)の最小公倍数は60なので、干支は60回で一周します。 例えば近代では壬申の年は1872年(明治5年)、1932年(昭和7年)、1992年(平成4年)になります。
詳細画像はこちら
|
|
|
 |
|
|
 |
|
 |
|
 |
|  |