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アルバニア P84 短機関銃 (#89-0559) |
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▲クリックで拡大画像をご覧いただけます。 Copyright© Chicago Regimentals Co. , Ltd. All Rights Reserved. |
価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【5648】 |
英 名
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Albaian P84 Sub Machinegun |
種 類
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短機関銃、無可動実銃新入荷品 2018年4月 |
国 名
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アルバニア |
時 代
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第二次大戦後(1945〜) |
全 長
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650mm(405mm) 実測 |
口 径
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9mm×19 |
装 弾
数
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40連 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【アルバニア P84 短機関銃について】
P84 短機関銃は非常に珍しいアルバニア国産の短機関銃で国営造兵廠があったCekin Gramshで生産されました。1946年に成立したアルバニア人民共和国は、独自の共産主義体制を続けた事により、ソ連の影響下にありながらも、技術的援助を得られない状況にありました。1961年の中ソ対立をきっかけにアルバニアは中国へ接近。経済援助を受ける中、56式騎兵銃や56式自動小銃を始め、数々の兵器が中国より輸入され、アルバニア軍の近代化が推し進められました。その中国とも1976年には断絶、アルバニア社会主義人民共和国と改称し、世界的な孤立を深める事になります。本銃はそういった情勢下で、唯一アルバニアが設計し国産化した兵器です。
構造は約4cm径の鉄パイプがバレル・ジャケットからレシーバーまで一体になっており、プレスで成形された長方形のグリップがレシーバー後部下方から斜めに付いています。 グリース・ガンと同様のワイヤー型の引出し式バット・ストックにはやや凝った形状のバット・プレートが付いており、縮めた状態ではすっぽりとグリップの後部に覆い被さるようになっています。 トリガーは異色の薄い鉄板を切り取った変形三角形で、トリガー・ガードは元々ありません。 一見簡単に暴発しそうですが、片手はグリップを握り、もう片方はマガジン・ハウジングごとマガジンを握るようになっており、その際に親指をマガジン・ハウジング後方のリングに入れて手前に引くとセーフィが解除されます。 イタリア軍で全短機関銃共用のマガジンがそのまま流用出来るのは流石に第二次世界大戦後に大量のベレッタ短機関銃がアルバニアに残っていた事を物語っています。数少ない他の画像ではベレッタでは見られないバナナ型のマガジンになっており、それが制式なのかどうかは不明です。 ベレッタ用のマガジンは完全に(マガジン・ハウジング後方にある)マガジン・キャッチによってロックされます。サイレンサーの取り付けが可能と他の資料には記載されていますが、そのような構造にはなっていません。ステンガンよりもシンプルで小型の短機関銃です。
アルバニア軍が最も多く装備したのはソ連製のPPS43 短機関銃でした。 その後継短機関銃としてP84 短機関銃が生産され、極少数がアルバニアの特殊部隊とBFS(破壊活動部隊?)によって使用されました。 現在はトルコ製(MKEK)のMP5 短機関銃に代わっています。 イタリアの極左テロ組織「赤い旅団(Le Brigate Rosse)」で使用されて欧米にその存在が初めて知られました。
アルバニア軍は第二次大戦直後は国産兵器は全く無く捕獲兵器、遺留兵器、援助兵器で武装していました。 その後政治的理由でソビエト装備から離れ、中国兵器だけに頼る中でP84 短機関銃だけは唯一アルバニア国産/開発兵器としてアルバニアの軍事史の一片に名を残しました。 それではなぜヨーロッパの小国が中国装備になったかをアルバニア近代史について軽く触れてみます。
第二次世界大戦終了までアルバニアにはイタリアの傀儡政権が置かれていました。 そのため国内には大量のイタリア軍兵器がありました。 アルバニア隣国のバルカン半島南部は米英から援助を受けたチトー率いるパルチザンが枢軸国に対してゲリラ戦を繰り広げており、アルバニアでも共産党パルチザンが主にドイツ軍に対してゲリラ活動を行っておりチトー・パルチザンと同じ兵器で戦いました。 第二次世界大戦が終結すると共産党が1946年に「アルバニア人民共和国」を建国し、アルバニア軍も設立しました。 この時点では旧宗主国イタリア、占領国ドイツ、援助国米英、そして東から進撃してきたソビエトなどの多種多用の兵器で武装しました。 建国直後は同じ共産主義国で隣国のユーゴスラビアと良好な関係を保ち兵器産業があるユーゴスラビアから兵器統一の指導を求めていた最中にユーゴスラビアとの関係が悪化していきました。 アルバニア人民共和国建国の父ホッジャはマルクス=レーニン主義者(スターリン信仰者)で、ユーゴスラビアがソ連とは異なる独自の社会主義国家建設を目指すようになり1948年には国交を断絶しました。 これまでソビエト装備を主軸とした途中の1956年にソビエト第4代最高指導者フルシチョフがスターリン批判を行い、それまでとは異なる国家運営を行い始めたので、ソビエトとの関係も悪化しました。
スターリン主義国である中国もフルシチョフのスターリン批判に伴い反ソビエトとなり、アルバニアは思想を共にする同志である点から、毛沢東はアルバニアに対して様々な援助を行うようになりました。 1960年代半ばにソ連がハンガリーとチェコスロバキアに軍事介入を行い、アルバニアはワルシャワ条約機構から脱退しました。 ソ連を仮想敵国として国民皆兵政策を取り兵器を中国から輸入した他、中国の56式騎兵銃(中国製SKS)や56式自動小銃の国産化にも成功しました。 56式騎兵銃の国産化に至っては1962年からライセンス生産権を与えられ1978年までに15,000挺から20,000挺を生産しました。 これらは本家の中国やソビエトよりも上質な銃であったことから1980年代に独自の短機関銃を製造したことは不思議ではありませんでした。
【本ロットの説明】
本ロットの品には、マガジン・ハウジング上方の機関部左側面やエンドキャップ左側面、ボルト・ハンドル上面等にシリアルNo.が打刻されている他は、モデル名刻印等は入っていません。
本ロットは全体にやや使用感は見受けられる、小傷や擦れ等が散見されるものの、大部分にオリジナルの表面仕上げが残っており、元々低い工作精度で製造されている事を考慮すれば比較的良好な状態が保たれています。
ストックの伸縮やマガジンの着脱については問題なく行う事が可能です。
ボルトが開いた状態で固定された新加工品です。 東京大阪両店在庫品 (KK)
今回は3挺のみの入荷です (内2挺販売済、最後の1挺です)。
【その他の情報】
無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合があります。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像を十分ご確認頂いた上でご注文下さい。
本ページの画像の個体は東京店在庫品(#89-0559)です。
東京店在庫品の#89-0559の詳細画像(Detailed Photos)はこちら
大阪店在庫品の#89-0711(販売済)の詳細画像(Detailed Photos)はこちら
P84 短機関銃についてのブログはこちら。 |
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