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【TKS/D】ホール・ノース M1843 騎兵銃 (無可動古式銃、#無)* |
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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【5289】 |
英 名
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US Hall-North M1843 Carbine |
種 類
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古式銃(無可動) 、単発、一品物、動画有り、無可動実銃買取品 2017年 春 、ガゼット Vol. 15、資料、大阪店在庫品 |
国 名
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アメリカ合衆国 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,015mm |
口 径
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.58in. |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【ホール・ノース M1843 騎兵銃 について】
ホール・ノース M1843 騎兵銃は.52口径の後装式管打式騎兵銃で、"Side Lever Hall" とも呼ばれています。 原型となったのは特殊な後装式 (前装式と後装式の組み合わせ) のホール M1819小銃で、1781年メイン州ポートランド生まれのJohn Hancock Hallによって設計されました。 1811年5月21日に "Hall's Single-shot, Breech-loading Rifle" として特許を取得しました。
ホール M1819小銃はフリント・ロック (火打石式) による撃発機構でしたが、1833年にパーカッション (管打式) に改良されました。 これは合衆国陸軍が最初に採用した管打式軍用小銃でした。 1843年に "M1843 (1843年型)" または "Improved 1840 (1840年型改良モデル)" と呼ばれるヘンリー・ノース (Henry North) のSide-mounted Breech Leverを使用した21インチ銃身の騎兵銃が11,000挺生産されました。 Harper's Ferry 社のホール小銃の生産ラインは1844年に生産を打ち切りましたが、1843年から1853年の間Connecticut 州のMiddletownにあったSimeon North社で 105,000挺の M1843騎兵銃が生産されました。 騎兵銃は21インチのラウンド・バレルで二つのバンドによってウォルナット製のストックに固定されています。 また、本体の左側面には長さ8インチの "Sling bar" にサドル・リングが取り付けられています。
1861年にUnion Defense League社 (J.P. Morgan氏、Simon Stevens氏、そしてA.M. Eastman氏の共同事業) がその当時すでに旧式となったスムース・ボア (旋条が無い滑腔銃身) のホール騎兵銃を米国政府兵器庫の在庫から$3.50で仕入れ、すぐにまたセントルイスのJohn Fremont中将に一挺$22.00で販売すると言う形で米国政府に納入されました。 条件付きではありますが非常に謎の多い不透明な契約が交わされました。 その条件とは旋条が無いスムース・ボア銃身にライフリングを施し、恐らく当時の "Government Standard" 口径である.58口径にリチャンバーする事だったようです。 しかしながら銃身にライフリングは入れられたものの、口径は同じでチャンバーのみが.590口径にされました。 この事が後に "ホール騎兵銃事件 Hall Carbine Affair)" を引き起こす事になりました。
ホール小銃の後装式のシステムは日本では「遊底こう起式」と呼ばれています。「遊底こう起式」は海外でも珍しく、日本にはホール小銃とリンドナー小銃が幕末に輸入された記録があります。 特にホール小銃は世界初の後装式軍用銃として、日本ではペリーが徳川幕府に献上したライフルとして有名です。 所荘吉氏著「増補 図解古銃事典」のP.144にも本銃と全く同じモデルが掲載されています。 尚、1852年4月に陸軍造兵廠から提供された40挺のホール小銃及び弾薬4,000発を始めとする各種武器がペリー日本来航時の4隻の黒船の1隻であるミシシッピ号に積み込まれた事が当時の記録から分かります。 また、徳川幕府にはホール小銃以外にもコルト製のパーカッション・リボルバーを始めとする管打ち式拳銃が献上された記録が有るため、ホール小銃についてもフリント・ロックのタイプではなく管打ち式のホール・ノース M1843 パーカッション カービンであった可能性が高いと考えられます。 (MM)(KK)
動画はこちら
【本個体の説明】
本品のレシーバーの上部には「U.S /S. NORTH /MIDLTN /CONN. /1851」のFive-line Addressと呼ばれる刻印がはっきりと入っています。 また、リア・サイト後方の機関部上面には「STEEL」の刻印も見られます。
機関部後部の銃床両側面にはCartoucheと呼ばれる検査官刻印もはっきりと確認出来ます。 その内の右側が米国兵器廠(US Ordnance Department)大尉(当時)のWilliam Anderson Thorntonのイニシャルである「WAT」のCartoucheが打ってります。 W. A. Thornton大尉は1851年にNew York Ordnance Depotに戻っていますのでその時期に軍に納品されたものと考えられます。 そして左側にも米国兵器廠のサブ・インスペクター (Sub-Inspector) の Joseph Hannisのイニシャルである「JH」のCartoucheが打ってあります。 これはダブル・カートシュと言って米国でもその銃の時代を特定するのに有力な手がかりにになります。
本品の銃身や機関部、トリガー・ガードといった金属部分については白磨き仕上げとなっており、銃身表面や機関部の一部等にはやや時代錆が表れている箇所は見受けられるものの、目立った朽ち込み等は見受けられず、全体に良好な状態が保たれています。 傷みやすいバット・プレートについても若干の打ち傷や表面錆は見受けられるものの、目立った変形等は見られず、しっかりとした状態が保たれています。 木製銃床についても状態は良好で、若干の打ち傷は見受けられるものの、目立った破損等は見受けられず、艶の有る仕上げも良好に残っています。 "Button-head" タイプと呼ばれるオリジナルのさく杖が付属致します。
本銃の特徴である遊底こう起式のブリーチ・ブロックは、オリジナル通り機関部右側面のレバーを操作する事により上方に跳ね上げる事が可能です。 この部分は分解しても独立した機能(スリットと溶接の無可動加工済)を有しており、無可動になった現在でもそれが確認できる特殊な構造になっています。 ハンマーはメイン・スプリングによるテンションはありませんが、前後に動きます。 トリガーのテンションはございます。
総じて製造年代を考慮すると非常に良好な状態が保たれています。 本品は南北戦争時の騎兵銃を集める上でとても重要で、しかも日本と関わりのある銃として欠かせない弊社お勧め一挺です。(KK)(MM)
カルトゥーシュ
カルトゥーシュ(仏語)とは主に長方形の囲いの中にマーク(刻印)を入れたもので古代エジプトでファラオ王が使用したのが有名です。 日本の花押(かおう)と同じように文字などを図案化し他者と明確に区別するためのもので、囲いの中にその文字などを入れたもの全体を
カルトゥーシュと呼ぶようになりました。 花押は手書きですが近代のカルトゥーシュは特に木部に打たれた刻印をさします。 アメリカでは米軍用小銃のストック(グリップに近い左側面)に打たれている米陸軍兵器廠の検査刻印の事で通常は検査官の装飾化された三文字のイニシャルを用います。 時代によって検査年代も囲いの中に入ります。 この米軍のカルトゥーシュが入っている銃は米軍用であると断言出来るものです。
【その他の情報】
無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合があります。通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像を十分ご確認頂いた上でご注文下さい。
詳細画像はこちら |
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