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ジョスリン M1864 カービン (無可動古式銃、#13781)  
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価格(税込)
 \770,000
商品番号
 【5288】
英  名
 US Joslyn Model 1864 Carbine
種  類
 古式銃(無可動) 、単発、一品物、無可動実銃買取品 2017年 春 、ガゼット Vol. 15、長野倉庫在庫品
国  名
 アメリカ合衆国
時  代
 第一次大戦前(〜1914)
全  長
 985mm
口  径
 13mm
装 弾 数
 単発
在 庫 数
 非公開
画像について
 画像は現物です。
コメント
 【ジョスリン M1864 カービン について】
ジョスリン カービンの設計は南北戦争時の最も有名かつ個性的な銃器デザイナーの一人であったベンジャミン・フランクリン・ジョスリン(Benjamin Franklin Joslyn)によって行われました。 ジョスリンは後装式システムでUS パテントNo.33,435を1861年10月8日に、 US パテントNo.35,668を1862年6月24日に、 US パテントNo.39,407を1863年8月4日に、 US パテントNo.42,000を1864年3月4日に取得しました。 最初の三つのパテントは独特のスウィンギング・ブリーチ・ブロック (Swinging Breech Block)の特質について、4つ目は基礎設計の改良についてのパテントです。 彼は自身の銃器の質を追求するあまり、連邦政府を始め下請業者との衝突が多く納品が遅れ様々な問題が生じ、その事でも有名でした。 彼と連邦政府との闘いは南北戦争終結後も続きました。 銃の質を追求した為、ジョスリン カービンのクオリティは他の同時期のカービンに比べても高いものでした。 また戦後も米国政府による契約打ち切りに対して訴訟を起こして、ジョスリン個人は問題を多く抱える(起こす)銃器デザイナーのイメージがありました。 ジョスリンの設計した一連の後装式銃はM1855、M1861、M1862、M1864、M1865のモデルがあり各々歩兵銃と騎兵銃がありコネティカット州のストーニングトン(Stonington)にあったJoslyn Firearms Company社で生産されました(M1865のみ後装式システムだけがJyoslyn社製で銃本体はSpringfield Armory工廠製)。 歩兵銃の基本サイズは銃身長が30インチ、全長が45インチで、騎兵銃は銃身長が22インチ、全長が38インチでした。
1855年にジョスリンは可燃性の紙薬莢を使用する後装式騎兵銃の設計を完成させました。 基本設計は金属薬莢を使用したM1861からM1865まで同じで右側面に突起の付いた"cap"と呼ばれる特殊なブリーチ・ブロックが左軸を基に左側に回転させて薬室を開く構造になっています。 M1855だけは紙薬莢で撃発機構は当時一般的であったハンマーがニップルに付けられた雷管を叩く方式になっていました。 ブリーチの開放方法も丸い指掛けが上部に付いたブリーチ・レバーをリア・サイトの後ろにある軸を基に前方に回転させてブリーチを大きく開く構造になっています。 M1855はジョスリンの後装式銃の中では比較的には一般的な構造となっていました。 M1855はトライアルでの良好な結果、1857年に合衆国陸軍より50挺の.54口径歩兵銃の注文を受けましたが、陸軍はジョスリン歩兵銃への興味はすぐに失せてしました。 しかしながら1958年に海軍が500挺のソード型銃剣(Sword-type Bayonet)を着剣できる仕様の.58口径歩兵銃を注文しました。 生産ラインの問題で1861年にやっと150-200挺が海軍に納入されました。 1861年にジョスリンはリム・ファイア(縁打式)の.52口径の.56-56in. Spencer弾を使用する全く新しい後装式システムを持つM1861を設計しました。 M1861以降は金属薬莢を使用するため上記の"cap"と呼ばれるブリーチ・ブロックが付いています。 他には類を見ない特殊な形状になっており、ハンマーもサイド・ロックではありますが"cap"の後部中央を叩く方式になっています。 ジョスリンM1861、M1862、M1864の各モデルは使用弾が異なるだけではなく"cap"部分の改良が見られます。 また歩兵銃でも銃剣は装着できないデザインになっています。 M1861は連邦兵器省(Federal Ordnance Department)から60挺の騎兵銃の注文を受け翌年1862年に納品されました。 その殆どがオハイオ州の部隊に配備されました。 1862年には新しい若干威力のある.54口径の.56-52in. Spencer弾を使用するM1862が加わりました。 M1862は一括で20,000挺もの注文を受け1863年より納品が始めましたが、南北戦争の終結と共に半数の約10,000挺だけが陸軍に納められただけで終了しました。 1864年には.54口径のフランクフォード工廠(Frankford Arsenal)で生産されたJoslyn弾(50-60-450 Joslyn)も共用できるM1864が加わりました。 M1864は"cap"の右側面の突起がロック機能を備えたスプリング・テンションがある別部品になり、それを引いて”Cap”のロックを解除します。 ファイアリング・ピンの周囲を囲む暴発防止筒(枠)が取り付けられて不用意に撃針後部を叩く可能性も無くなり安全面での性能も向上しました。 M1862は真鍮製のバレル・バンドとバット・スットクが標準装備でしたが、M1864では両方とも真鍮から鉄製に変更されました。 本品は南北戦争時に最も完成されたM1864モデルで、特徴的なブリーチ・ブロック後部に“B.F. JOSLYN’S PATENT / OCTOBER 8TH 1861 / JUNE 1862”.の刻印が入っています。 バット・プレートの上部に”U.S.”の刻印が入っています。 1865年にM1864 騎兵銃を基とした二種類の新型騎兵銃をトライアルに提出しました。 ジョスリン個人と連邦政府間の問題があるにも拘わらず5,000挺の注文が入り、1865年合衆国政府は後装式システム”Cap”部分だけをジョスリン社から購入しスプリングフィールド造兵廠にあった前装式のマスケット銃である” Springfield Model 1863 rifle musket”に取り付けたモデルをM1865としてスプリングフィールド造兵廠で1865年1月から6月の間に約3,000挺(3,700挺説もあり)が南北戦争終結までに生産されました。 これは合衆国政府国営造兵廠(Springfield Armory)に於ける最初の後装式小銃の生産でした。 終戦後、米国政府はジョスリン銃の性能が軍の要求したスペックに足りないとの理由で残り全ての契約を打ち切ったと主張したので戦後長年にも渡り訴訟問題が継続されました。 ジョスリン カービンは南北戦争中に4th Indiana; 1st New York Dragoons; 19th New York; 2nd, 3rd, 4th, 6th Ohio; 13th Tennessee; 3rd West Virginia, 1st Wisconsinなどの騎兵隊に配備されました。
1871年6,600挺の騎兵銃と共に1,600挺の歩兵銃はSpringfield Armoryでセンター・ファイアの.50-70ガバーメント弾(.50-70 Government)を使用できるように改造されて普仏戦争で使用する為にフランスに売却されました。 普仏戦争後、勝利したプロイセン王国によってその多くは接収されベルギーに再度売却され、最終的にはショットガンに改造されてアフリカに出荷されました。  最初に使用された弾薬はスペンサー ライフル/ カービン用に1860年に開発された.52口径の.56-56in. Spencer弾でした。 一般的には.56-56in. Spencer弾はスペンサー専用のイメージがありますバラード カービン(Ballard Carbine)とこのジョスリン カービンも同じ弾薬を使用しました。 この当時の弾薬表示方法が現在とは異なり.56-56in. とは前の数は薬莢後部(リムの直前部分)直径値である.56インチ(14.2 mm)、後の数は薬莢前部直径値である.56インチ(14.2 mm)でした。 弾丸直径は若干ですが少差があり.54インチから.555インチ(13.7–14.1 mm)で簡単に.54口径と呼ばれています。 薬莢の長さは.875インチ(22.2 mm)でした。 このスペンサー弾は南北戦争の主要小銃であった.58インチ施条前装小銃 (Rifled Musket) とほぼ同じ威力がありました。(MM)

【本個体の説明】
全体的な仕上げはオリジナルと同様の銃身以外は白磨き仕上げになっており、多少曇ってはいますが、後世の磨き直しもされておらずオリジナルの状態を残しています。 銃身だけはブルー仕上げでこれもオリジナルと同じ仕上げになっており、ブルー仕上げがほぼ完全に残っている全体的にかなり程度の良い品です。 アメリカン・ウォルナット製のストックはごく僅かな当たり傷を除けば仕上げも当時のままのオリジナルで全体的に見ても極美品です。 南北戦争後半の1863年頃に製造された品と考えれば約165年前の古式銃となり、それが信じられないような素晴らしい状態です。 トリガー・テンションは無くハンマーとの連動していません。 しかしハンマーにはスプリング・テンションはありませんが前後に動きます。 また独特のスウィンギング・ブリーチ・ブロックを固定するラッチも完全で、ラッチを引いてカバーを開閉する事は可能です。 二段フリップ式のリアサイト完全で作動の問題もありませんが、他の金属部に比べ表面がブラウン・パティーナと呼ばれる時代色が付いています。 ブリーチ・ブロック後部に“B.F. JOSLYN’S PATENT / OCTOBER 8TH 1861 / JUNE 1862”のパテント刻印がハッキリと100%文字が判読できるように入っています。 またその上面にはシリアル No. 13782がハッキリと入っています。 同じシリアル No.がブリーチ・ブロック後部に位置する本体から延びたタング部分にも入っています。 サイド・ロックには“JOSLYN FIRARMS Co. / STONINGTON, CONN. 1864 “の製造会社名と製造年がハッキリと入っています。 バット・プレートの上部に米軍用を示す”U.S.”の刻印がハッキリと入っています。 銃身のブルー仕上げと他の金属部の白磨き仕上げ、そして美しい木製のストックが絶妙なコントラストを出しています。 欠点が殆ど無い為、個体説明が美しいの一言で終える事も可能な状態です。 南北戦争時の騎兵銃を語る上で欠かせない貴重な一挺です。(MM)

【その他の情報】

無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合がございます。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。

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