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三十年式歩兵銃 (#100685)*  
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価格(税込)
 SOLD OUT
商品番号
 【4987】
英  名
 Type 30 Infantry Rifle
種  類
 ボルト・アクション、東京店在庫品、無可動実銃買取品 2022年 春
国  名
 日本
時  代
 第一次大戦前(〜1914)、第一次大戦〜第二次大戦
全  長
 1.275mm
口  径
 6.5mm×50
装 弾 数
 5発
在 庫 数
 SOLD OUT
画像について
 画像は現物です。
コメント
 【三十年式歩兵銃について】
日本陸軍が明治三十年(1897年)に制式とした歩兵銃で約60万挺生産され、日露戦争において主力小銃として使用されました。 有坂成章大佐(後に中将)が明治二十九年に3ヶ月程度の短期間で三十年式歩兵銃の設計試作を行ったと言われています。
それ以前には村田式の連発銃(二十二年式村田連発銃)が採用されてはいましたが、チューブ・マガジンにより再装填が手早くできず、また同マガジン・システムによる平頭弾のため命中精度にも難点がありました。 構造的にも初期の連発銃で、すでに時代に遅れつつありました。 このため村田経芳の後を受けた有坂大佐(当時)による設計でスウェーデン軍のM1894小銃を参考にモーゼル・タイプの一体型ボルト使用するコックオン・クロージング方式を採用しました。 コックオン・クロージング方式はボルト・ハンドルを起こした際にはコッキングが行われず、ボルトを前進させる際にファイアリング・ピンのスプリングが押し縮まりコッキングが完了するようになっています。 また三十年式歩兵銃の特徴であるフック(三日月型)式の安全装置がファイアリング・ピン後部と連動しており、射撃時(火=Fire)はフック式の安全装置が左横に倒れており、安全時(安=Safe)はフックが垂直に起きてファイアリング・ピンを固定し引金を引いても撃発出来なくなっています。 安全装置の切り替え位置が明確なために誤操作が防げた半面、フック式であるために他のものに引っ掛かる問題点があったと言われています。 酷寒の満州での戦闘の経験から防寒手袋をはめた状態で小型のフックを回転させる操作に難があったのが、後に三八式小銃型(大型でチェッカーリングが入った円形部品)に改良される一因とされています。
  三十年式歩兵銃と同時に円頭型(蛋形)弾頭を持つ口径6.5mmの三十年式実包(6,5mmx50 セミリムド)が口径8mmx52の村田弾に変わり新しく開発されました。 当時口径6.5mmは小銃弾としては威力が小さく、ロシア騎兵の突撃には対抗できないと考えられていました。 しかしながら無煙火薬による小口径化、弾丸を軽量化する分初速を高くすることにより弾丸の低伸性を実現するなど、ロシア軍の小銃の性能を凌駕していました。 同時代の口径6.5mm弾はイタリアのカルカノ弾(6.5mm×52)、スウェーデンのスウェーディッシュ・モーゼル弾(6.5mm×55)、オーストリアのマンリッヒャー弾(6.5mm×54)などがありますが、実包を5発横並びに配置したモーゼル式クリップはスウェーデン軍のものだけで、この点も近代的と言えるでしょう。
銃弾はもとより近代的なボルト・アクション ライフルで、モーゼル系機関部を採用した日本で初めての銃となりました。 当時としては先進的で、後に採用され終戦まで使用された名銃「三八式小銃」はこの三十年式の改良型です。 一方、その先進さから、銃身の素材が国内では要求する鋼を調達できず、輸入に頼ることになったという問題点もありました。
このような経緯から三十年式を筆頭に、この機構を踏襲した三八式、九九式小銃を含めて日本軍の小銃は外国でアリサカ・ライフルと呼ばれました。(MM)

【日本の産業革命と東京砲兵工廠】
東京砲兵工廠は1870年(明治3年)東京にあった旧幕府営の関口製造所と滝野川反射炉を同じく東京の小石川にあった旧水戸藩邸跡に移設し、翌年から火工所として小銃実包の製造を始めたのが始まりです。 翌1872年には銃工所(小銃改造・修理)、大砲修理所の操業が開始されました。 余談ですが1897年には、東京砲兵工廠の鉄工(鉄を加工する旋盤工・仕上工・鍛工など)が組織した鉄工組合が、日本最初の労働組合として結成されました。 産業革命を通じて生み出された階級対立が皮肉にも国益最優先の官営陸軍兵器工廠で早くも社会問題となったこともいかに東京砲兵工廠が進歩的であったかが伺われます。
1916年(大正5年)の関東大震災で甚大な被害を受けた小石川の東京砲兵工廠は、陸軍造兵廠の一つで同じ年に開設された大阪砲兵工廠の管轄下である小倉兵器製造所への移転が1927年(昭和2年)に決定され、東京砲兵工廠小倉兵器製造所となって1931年(昭和6年)から小倉へ移転が実施されました。 その後小倉兵器製造所は小倉工廠となり1935年(昭和10年)東京砲兵工廠は小倉工廠へ移転を完了し、約66年間の歴史の幕を閉じました。 しかしながら終戦まで東京第二造兵廠の管轄下であったので、小倉工廠で生産された小銃にも東京造兵工廠の四つ葉の刻印が打たれています。 東京砲兵工廠で最も多く生産されたのが三十年式歩兵であることから、東京砲兵工廠と三十年式歩兵銃は切り離して考えることの出来ないものです。また三十年式歩兵銃が生産されていた頃の日本の産業革命は脆弱でとても欧米先進国にに追いつけるものではありませんでした。
日本の産業革命は、繊維工業と鉱山業のみが発展し農業は大規模農場へ発展するものがまったくなく、多くの農民が土地を失いました。 土地を失った農民たちは地主から土地を借り小規模生産を続け、その娘たちの多くは繊維工場へ、そして小作農も炭鉱や金属鉱山へ流れて重労働に従事しました。 これらの分野の労働は比較的単純なため、低賃金労働者が豊富な後進国日本は国際競争で有利な位置にありました。 しかし重工業のように多額の設備投資と熟練度の高い工員が必要な分野は、日本で産業革命が始まった当初には職工が3000人以上の大工場は、官営の陸海軍工廠と八幡製鉄所しかありませんでした。 日本の民間機械工業においてはせいぜい機械を修理を修理する程度であった事を考えると官営の造兵工廠、特に小銃製作所は江戸時代から続く鉄砲職人から工員を募集することによって、熟練工の確保が行われました。 一見日本の伝統技術と日本の近代化は無関係のように思われますが、彼らの技術がまだ手作業に頼っていた「三十年式歩兵銃」の量産と精度の維持が可能となりました。
20世紀に入ると日露戦争の勝利と相まって民間重工業も発展を開始していきました。 海運諸会社と結び付いた三菱、川崎などの国益をバックにした造船所が発展しました。 住友鋳鋼場、神戸製鋼所、川崎造船所鋳鋼工場、日本鋼管などの主要民間製鋼メーカーが発足したのた。 その日露戦争に勝利をもたらした純国産の兵器が三十年式歩兵銃であったことから、日本の産業革命の始まりから完成まで、この一丁の小銃によるものであったとも考えられます。 (注)日露戦争で決定的な勝利をもたらした連合艦隊の多くの艦船は外国製で、旗艦の「三笠」は英国製でした。 もちろん日露の勝利は優秀な指導者(指揮官)を始め士気の高い兵士、その他によることも大ですが最終的に勝敗を決めた陸戦において、その兵士の手に握られていたのはこの三十年式歩兵銃であったことは間違いありません。(MM)

【本個体の説明】
本品は東京造兵廠製で「三十年式」の刻印と菊花御紋章もはっきりと残っています。 しかし太平洋戦争中に学校教練用として払い下げられた際に御紋章の中央に小さく東京造兵廠の三ツ輪の刻印が打たれています。 菊花紋の中心に三ツ輪刻印が綺麗に打たれているのでそれほど違和感はありません。 シリアル100685は55万丁造られた三十年式の中では初期に製造された物となります。
レシーバー部は100年以上経った品にもかかわらず、オリジナルのブルー仕上げが良く残った美しい状態です。 銃身はレシーバー部に比べブルーが落ち、やや時代がついた状態(特にフロントとセンター・バンド)となっています。 他の金属部分全体的にブルーも多少残っており、全体的な程度は100年以上の時代を考えるととても良い状態です。 特に機関部のブルー仕上げが美しく白(銀)磨きのボルトとボルト・ハンドルの綺麗な事から全体的な程度が良く見えます。 唯一難点としては木製ストックは一度仕上げ落としがされており、バット・ストックがバット・プレート(床尾板)のサイズより僅かに痩せており、全体的に角が丸みを帯びてしまっています。 全体的に見ると美しくプロの手によって再仕上げされたと思われ、痩せや角の取れはそれほど違和感はありません。 大きな傷や割れも殆どない明るくしっかりとした木部です。 ハンド・ガードも同じような明るい色合いでマッチしていますが一箇所当たり傷があります。 ストック下部にも一箇所当たり傷があります。 バット・ストックの上下をつないだ部分(これはほぼ全ての旧軍小銃に見られます)にも隙間は殆どありません(左側面は若干あります)。
先端が真鍮製のさく杖が付属してます。 トリガー・テンションがあります。 弾倉のスプリングとフォロワーがあります。 ボルトが閉じた状態で固定された旧加工品です。 東京店在庫品

【その他の情報】

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