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侍(士)筒 (銃砲刀剣類登録証付古式銃、一関住久春作) |
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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【4393】 |
英 名
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Japanese Matchlock Rifle |
種 類
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古式銃(登録証付)、登録証付古式銃買取品 |
国 名
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日本 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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842mm |
口 径
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25mm |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【侍(士)筒について】
本品は大筒とも呼ばれる30匁(約27mm)近い大口径の品です。 25mmと大きな口径で抱きかかえるようにして射撃しました。 火縄銃の口径は円球形の弾の重さ(匁=もんめ)で表します。 軍用の中筒は6匁筒(15.8mm)〜10匁筒(18.7mm)前後でそれ以上は大筒と呼ばれる事もあります。 大筒の定義は定かではありませんが、抱えて射撃の不可能な50匁筒(33mm)以上の品を通常は大筒と呼ぶようです。 本品のように全長が短く口径の大きい品を短中筒または侍(士)筒(さむらいづつ)と呼ばれました。 中筒以上の火縄銃は対人用ではなく陣中や城塞に撃ち込んで敵に脅威を与える目的に使われていたものと言われています。 本品は在銘品で「一関住久春作 明治元年吉月日」と銘と年記が入っています。 幕末に雷管式小銃が欧米から輸入されるようになってから、国内では鉄砲鍛冶は火縄銃と同じ形状で管打ち式に撃発装置を改めて作りました。 しかしながら幕藩時代に火縄銃に慣れた人は明治期になっても火縄銃を使用し続けました。 その為、極少数ですが明治初頭の年記が入った火縄銃もあります。 本品もその一つで珍しい「明治元年」の年記が入っています。 「一関」は現在は岩手県一関市を領地とした田村家一関藩が治めており明治4年の廃藩置県まで存続しました。 一関藩は戊辰戦争時(明治元年)では奥羽列藩同盟に加盟して明治政府軍と戦いましたが仙台藩と共に降伏しました。 その後、一関藩は3千石の減石にはなりましたが田村家が治め続けました。 戊辰戦争後は多額の御用金を課されたり敗戦の屈辱を味わった旧奥羽列藩同盟諸藩の鉄砲鍛冶は意識して維新後も「一関」などの所在地を切銘しました。戊辰戦争前に作られたと思われる大型軍用銃で戊辰戦争でも使用された可能性も拒めない歴史的に興味深い品です。 一関市博物館所蔵品の有形文化財である三十匁大筒に非常に似た形状をしています。 しかし侍(士)筒は全体的にシンプルで無骨な作りになっており地方による差は細筒のように多くはありせんでした。
【本個体の説明】
本品は口径25mm、銃身長497mm、重量約5,6kgの大きな八角銃身の後部上面に家紋が金象嵌で入っています。 また銃身の上面とその左右面(合計3面)に竹の図柄が象嵌で入っています。 銃床下部の引き金の前に「弐〇八」、左側面に「弐五」、引き金の後ろに「碇(いかり)」の焼印が入っています。 更に銃床下部中央にで「奥州〇〇万石(〇〇内は漢数字に見えますが判読不明)」「仙臺縣」と入っています。 この銃床下部中央の焼印文字の読みは確かではありません。
一関は現在の岩手県の一部で登録証も岩手県であることから明治三年から平成年まで岩手県内にあった歴史的な背景が判る品です。 気になる傷のない程度の良い珍しい品ですがお値打ち価格に設定してあります。 かるか(さく杖)は付属していません。 引き金を引けば火挟みが確実に落ち作動の問題はありません。 銃身及び銃床の目釘穴の位置一箇所は一致しており、もう一箇所の目釘穴は飾りです。 尾栓は完全に固着しており外れません。 東京店在庫品
【その他の情報】
登録証が付いて可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。 平成3年8月20日に岩手県教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証付きです。
160年ほど前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、現物をご確認の上、ご購入頂けますようお願い致します。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像(Detailed Photos)を十分ご確認頂いた上でご注文下さい。 詳しくは本HPのメニュ・バーにある「Ordering Terms(ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
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