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和製管打式 ゲベール銃 (銃砲刀剣類登録証付古式銃、壬申九千二百十三番) |
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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【4325】 |
英 名
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Japanese made Percussion Rifle |
種 類
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古式銃(登録証付)、単発、登録証付古式銃買取品 |
国 名
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日本 / オランダ |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,390mm |
口 径
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17mm |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【和製管打式ゲベール銃について】
和製ゲベール小銃とは、幕末に日本で倣作された前装滑腔銃のことです。 古いものでは火打ち式 (フリント・ロック=燧石式) の撃発装置が付いた品もありましたが、日本で倣作された品の多くは本品と同じ管打ち式(パーカッション・ロック)です。 ゲベールとはオランダ語で小銃を意味し、幕末では洋式前装式小銃の固有名詞になっていました。 フランス軍が1670年に採用したフリント・ロック式小銃を改良した小銃を1777年にオランダ軍も採用し、そのタイプの銃を天保二年 (1832年) に長崎の高島秋帆が輸入したのが始まりです。 そのタイプと言うのは当時ヨーロッパ諸国は概ね同じようなタイプの小銃を制式化しており、M○○○○を輸入したとモデル名までは断定できません。 当時欧米諸国で唯一日本と貿易ができたオランダが輸出したので、その際の言葉 (オランダ語) のゲベール (小銃) が一般化しました。 よって当時輸入されたゲベール銃は必ずしもオランダ製小銃であったとは言えません。
NHK大河ドラマ「八重の桜 (一巻)」で幼少の八重が兄の使うフリント・ロック式小銃を見て何かと聞いたときに、兄が「ゲベール (銃)だ」と答えたように使われていました。 あくまでもドラマの中でのやり取りですが洋式小銃=ゲベール銃というのが一般的だったのではないでしょうか。
弘化年間 (1844-47年) に雷管式が日本に伝わると従来のフリント・ロックはパーカッションに改造されました。 また日本で倣作された品の殆どがこのパーカッション式です。 本銃のその内の一挺です。 同じパーカッション式でも、ライフリングのない前装滑腔銃をゲベールと呼び、ライフリングのある前装施条銃は使用弾薬によって当時はミニエー銃、またはエンピール銃 (=エンフィールド銃)、鳥羽銃 (鳥羽=タワー、タワー刻印が入ったエンフィールド銃) と呼ばれました。 これらの銃は文久年間 (1861-64年) 頃に輸入されましたが、形状が良く似ていたので日本では混同されており、はっきりとエンフィールドとミニエーの違いを区別するようになったのは慶応三年 (1867年) 頃と言われています。
日本製のゲベール銃は日本各地の(火縄銃を作っていた)銃工によって作られたので一挺一挺に小差があります。 しかしながら原型となったのが1840年頃に作られたオランダ製コロニアル マスケットではないかと言われています。
【本個体の説明】
本品は銃身の長い歩兵銃タイプで通称「3 バンド」と呼ばれ、19世紀前半における列強の主力小銃と同じ長さの品です。 その後「前装施条銃」となり銃身が短くなっても命中率が上がったので少し短い「2 バンド」と呼ばれる短小銃を欧米諸国で採用され始めました。 体格に劣る当時の日本人は「3 バンド」より「2 バンド」を多く輸入しました。 しかしながら、幕末期に日本国内で製造された小銃は「前装滑腔銃」でしたので、命中率を確保するためには「3 バンド」の銃身長が必要でした。
本品は木部の程度が非常に良く、金属部分も完全なオリジナル性の高いしっかりとした一挺です。 銃身を含む鉄部分は黒錆に覆われていますが、これは当時の日本における防錆方法であった錆付けによるもので、欧米のようにブルー仕上げがなかった日本では普通でした。 古式銃全体から見ても十分許容範囲内の時代錆です。 また、真鍮製のバンド類、トリガー・ガード、バット・プレートも黒色の時代色が付いており全体の雰囲気と合っています。 時代錆以外は金属部分の状態は良好です。 機関部はハーフ・コックの無いフル・コックだけと日本製ゲベール銃の構造の特徴になっており、フル・コック状態で引き金を引くと僅かに甘いものの完全に作動します。 前後のスイベルは現状では固着しています。 センター・バンドにややガタつきが目立つ他、リア・バンドにも若干のガタつきが見られます。 パーカッション・ニップルについては現状では目立った欠けや変形等は見受けられず、しっかりとした状態が保たれています。 銃身内は銃口から銃身後部まで通っていますが、火穴は抜けていません。 木製銃床はやや打ち傷が見受けられますが、大きな破損や欠損等は見受けられず、製造された時代を考慮すれば非常に良好な状態が保たれています。 銃床左側面に水濡れによると思われる染み (色褪せ) が見受けられます。 傷み易いバット・プレートについても若干の打ち傷は見受けられるものの、大きな変形等は見られず、銃床への取り付けについてもガタつきもなくしっかりとしています。
バットストック左側面に「壬申九千二百十三番」と鮮明に壬申刻印が入っていますが、登録県名が入っていないため明治5年の時点でどの県にあったが不明です。
壬申 (じんしん) とは干支の一つで明治5年 (1872年) を表します。 明治5年 (1872年) 一月に太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時において旧藩は旧家臣に軍用銃を下付けする事が多く、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらが大量に市中に出回り私蔵されていました。 それらの銃砲は管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事を義務付けました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 その際の刻印が「壬申刻印」です。
さく杖 (ラム・ロッド) は付属していません。 表面錆はありますが非常に程度の良い状態で、幕末期の日本製小銃の史料としてはお勧めの一挺です。 東京店在庫品 (KK)
【その他の情報】
平成16年1月8日に愛知県教育委員会によって交付された銃砲刀剣類登録証が付いた完全可動する実物の古式銃で、名義変更だけの手続きで合法的に所持ができる軍用小銃です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は160年ほど前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入頂けますようお願い致します。
通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認頂いた上でご注文下さい。 詳しくは本HPのメニュ・バーにある「Ordering Terms(ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
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