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スペンサー M1865 カービン (銃砲刀剣類登録証付古式銃、#31973) |
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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【3959】 |
英 名
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Spencer M1865 Carbine |
種 類
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古式銃(登録証付)、レバー・アクション、登録証付古式銃買取品、ガゼット Vol. 13、東京店在庫品 |
国 名
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アメリカ合衆国 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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942mm |
口 径
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13,1mm |
装 弾
数
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7発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【スペンサー M1865 カービン について】
スペンサー連発銃 (Spencer Repeating Rifle) は、クリストファー・スペンサー (Christopher Miner Spencer、1833年6月20日-1922年1月14日) が開発した後装内火式の7連発レバー・アクション小銃で、1860年から1869年の間に生産されました。 クリストファー・スペンサーは元々はコルト社の社員でしたが、そこで銃器の設計技術を学び、26歳の若さでスペンサー連発機構のパテントを取得しています。 スペンサー小銃はトリガー・ガードを兼ねたレバーを下方に引く事によってブリーチ・ブロックが下降し、バット・ストック内の管状弾倉 (Tube Magazine) から弾丸を薬室に送り込むと同時に空薬莢を上部から排莢します。 当時スペンサー小銃に対抗できる連発銃はヘンリー ライフルのみでしたが、ヘンリー弾は.44RFという拳銃弾程度の威力しかなく、軍用としてのストッピング・パワーではスペンサーがヘンリーに勝っていました。 しかしながら13連発という装弾数と同じレバー・アクション (操作) ながら、ハンマーも同時に起す事のできるヘンリー ライフルの方に軍配があがりました。 スペンサー小銃はレバー操作とは別に、ハンマーを親指で起こす必要がありました。
スペンサー小銃の最初のモデルはM1860で、南北戦争 (1861年-1865年) において主に北軍によって使用されました。 スペンサーM1860ライフルはカービンに先駆けて1862年のSharpsburgの戦いで始めて支給されました。 有名な1863 年のゲティスバーグの戦い (Battle of Gettysburg) では、カスター将軍 (当時北軍騎兵旅団司令官) の配下のミシガン第5騎兵連隊の2個部隊もカービン (騎兵銃) ではなくライフル (歩兵銃) を使用し南軍を撃退しました。 尚、スペンサーM1860カービンの銃身長は22インチで、ライフルは30インチでした。
スペンサー小銃用の弾薬は、.52口径のスペンサー ライフル及びカービン用として1860年に開発された.56-56in. Spencer弾でした。 一般的にはスペンサー小銃専用のイメージがありますが、バラード カービン (Ballard Carbine) やジョスリン カービン (Joslyn Carbine) も同じ弾薬を使用しました。 この当時の弾薬表示方法は現在とは異なり、「.56-56in.」の場合、前の数字が薬莢後部 (リムの直前部分) 直径である.56インチ (14,2mm)を示しており、後の数字は薬莢前部の直径である.56インチ (14,2mm) を示していました。 弾丸直径は.52インチの.52口径で、薬莢の長さは.875インチ (22,2mm)でした。 その後、使用弾薬は.50口径の.56-52in.または互換性のある.56-50in.に変更されました。 尚、.56-52in.と.56-50in.は、薬莢前部と後部の径が異なるテーパーのある薬莢を使用しました。 これら3種のスペンサー弾は、南北戦争の主要小銃であった.58in.施条前装小銃 (Rifled Musket) とほぼ同じ威力がありましたが、1866年に米軍標準軍用小銃弾となったスプリングフィールド トラップ・ドア ライフル用の.50-70 Government弾 (Springfield M1866用) や、その後の.45-70 Government弾 (Springfield M1873用) に比べて威力が少なかった事が、南北戦争後にはスペンサー小銃が軍用として使用されなくなった原因の一つと考えられています。 反対にスペンサー小銃と比較される事の多いシャープス小銃が単発ながら口径を変更しつつも米軍用として使用され続けたのは、強力なGovernment弾を使用できるように改造できたためと言われています。
スペンサー小銃が南北戦争後に米国で軍用銃として運用されなかった大きな要因としては、前述のようにスペンサー弾が軍用として威力が弱かった事が挙げられますが、他にも当時の標準的な前装銃と比べ10倍近い発射速度が「兵による弾薬の無駄使い」とされ、弾薬の補給の問題が軍首脳部において問題視されたのが原因とも言われています。 南北戦争開戦時にはすでにスペンサー小銃は開発されていましたが、新型弾を大量に消費し新参であるスペンサー社製の小銃を採用する事は、当時の合衆国陸軍首脳部には抵抗がありました。 ヘンリー ライフルやウィンチェスター社のM1866 (イエローボーイ) が軍用として採用されなかったのも弾薬の威力を含め同じような政治的理由とも言われています。 1863年当時30歳であったクリストファー・スペンサーは、エイブラハム・リンカーン大統領に直談判を行い、大統領を始め陸軍省長官たちの前で試射会をしてリンカーン大統領からの直々の採用命令を得るという荒業を行いました。 リンカーン大統領が1865年に暗殺された後、南北戦争後の制式軍用銃の採用には多くの軍関係者とコネクションを持つスプリングフィールド国営造兵廠製のトラップ・ドア小銃が採用されたのは自然の成り行きだったでしょう。
スペンサー小銃は南北戦争中だけでも10万挺以上が製造され、戦後も生産が続けられましたが、合衆国政府からの注文が途絶えた上に戦後の余剰火器が民間に溢れたため、1868年にスペンサー社 (Spencer Repeating Rifle Company) は倒産に至りました。 1889年にはスペンサー社の資産はウィンチェスター社のオリバー・ウィンチェスター (Oliver Fisher Winchester、サミュエル・ウィンチェスターの息子) に20万ドルで売却されました。 戦後多くのスペンサー小銃は退役軍人に払い下げられて米国西部で使用され、1920年頃までスペンサー弾は製造が続けられました。 尚、南北戦争中にはスペンサー社以外にもバーンサイド社が3条のライフリングを備えたスペンサー M1863 (スペンサー社製は6条ライフリング) をライセンス生産しており、1869年にスペンサー社の資産を引き継いだウィンチェスター社でも生産が行われたと言われています。 合衆国政府造兵廠が戦後保管したスペンサー小銃の多くは、1870年に勃発した普仏戦争 (プロイセン=フランス戦争) 時のフランス軍や、南米のパラグアイとアルゼンチン・ブラジル・ウルグアイの三国同盟軍との間で行なわれた南米史上最も大きな戦争となった三国同盟戦争 (1864年-1870年) 時にブラジル軍用として輸出されました。
スペンサー小銃は日本にも南北戦争終結と同時に輸出され、フランス、ブラジルに次いで大量にスペンサー小銃を使用した国となりました。 日本には幕末に佐賀藩によって約8,000挺が輸入されて戊辰戦争 (慶応4年/明治元年 (1868年)〜明治2年 (1869年)) 等で使用されました。 2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」では、主人公の新島八重 (新島襄の妻) がスペンサー小銃を使用して会津若松城 (鶴ヶ城) 籠城戦で奮戦する場面が多くあります。 実際は会津藩にはスペンサー小銃はその一挺しかなく、攻撃をした新政府軍に多くのスペンサーが支給されていました。 当時日本国内でもスペンサー小銃は最新兵器で、「元込め7連発」と呼ばれて恐れられました。
南北戦争 (1861年-1865年) で主に北軍によって使用されたスペンサー M1860 モデルは22インチ・バレルに.56-56in.口径でしたが、M1865は2インチ銃身が短い20インチ・バレルの.50in.口径となりました。 このM1865 モデルは南北戦争終結年 (1865年) に生産が始まり、南北戦争には実質的には間に合いませんでしたが、多くの南北戦争の文献にはM1865が南北戦争で使用されたように記載されています。 南北戦争後は、その多くがアメリカ合衆国騎兵隊に支給されました。 スプリングフィールド M1873 カービンが制式となるまで、スペンサー カービンは当時の最新型騎兵銃として騎兵隊の主要火器となっていました。 本体側面に騎兵隊が鞍に吊るす為のリング (サドル・リング) が付いている事から、「Saddle Ring Carbine」と呼ばれています。
多くの西部劇に登場するスペンサー カービンですが、クリント・イーストウッドが監督・主演した1992年公開の映画「許されざる者」ではスタール M1858 リボルバーとスペンサー・カービンを使ったガン・アクションがメインで、イーストウッドのガン・マニアぶりが前面に出ています。 (MM)(KK)
【本個体の説明】
本品は幕末に国内に輸入された米国製オリジナルのスペンサー M1865 カービンです。
本品のレシーバー前部上面には朽ち込みによりやや薄く見難くなっていますが、「SPENCER REPEATING RIFLE (一行目) PAT D. MARCH 6. 1860 (二行目) MANUF D AT PROV .R.I. BY BURNSIDE RIFLE Co (三行目)」の刻印の他、「MODEL 1865」の刻印も確認出来ます。 また、機関部後端上面には31973のシリアルNo.が入っています。
本品は全体に適度に使い込まれた良い雰囲気となっており、金属部には全体に経年による褪色が見られ、機関部や銃身には時代錆や朽ち込みが表れていますが、約150年前に製造された事を考慮すれば比較的しっかりとした状態が保たれています。 木部はオリジナルのウォールナット製で、バット・ストックとハンドガード共に機関部と比較してコンディションは非常に良好で、色合いもマッチしています。 傷み易いバット・プレートについては、やや打ち傷や若干の朽ち込み痕が見られますが、現状大きな変形等は見られず、銃床内に入るチューブ型弾倉の着脱も問題なく行う事が可能です。
機関部の作動については完全で、ハンマーはハーフ/フル・コックともにしっかりと掛かり、トリガーを引くとハンマーが力強く落ちます。 また、アンダー・レバーの操作についてもスムーズで、気持ちの良いアクションを味わう事が出来ます。 銃口から薬室まで銃身内は完全に抜けて (通って) います。 銃身内は若干の表面錆や一部朽ち込みが見られるものの、ライフリングも比較的良好に残っています。 (KK)
【その他の情報】
大阪府教育委員会により昭和49年8月13日に交付、平成26年12月8日に再交付された銃砲刀剣類登録証が付いた完全可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
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