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エンフィールド P1856 2バンド ライフル (銃砲刀剣類登録証付古式銃、1868年製) |
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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【3928】 |
英 名
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Enfield P1856 Percussion 2 Band Rifle |
種 類
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古式銃(登録証付)、登録証付古式銃買取品、ガゼット Vol. 15 |
国 名
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イギリス |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,240mm |
口 径
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.455 (15mm) |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【エンフィールド P1856 2バンド ライフルについて】
原型はエンフィールド Pattern 1853 ライフルでイギリスのエンフィールド造兵廠で開発されたライフリングのある前装式の小銃(施条銃、Rifled Musket)です。 フランスで開発され実用化したミニエー弾のパテント1851年に英軍需省が得て、改良を施したエンフィールド弾を使用します。 ミニエー弾は1836年にロンドンの有名なガンスミスであったウィリアム・グリーナー(William Greener)が開発したドングリ型鉛製の弾頭(プリチェット弾)が原型で底部に窪みがあり木片で埋められていました。 ミニエーはこの弾頭の周囲に凸型の溝をつけ、底部の木片をコルクに変えました。 ミニエー弾は発射時の圧力で押し込まれたコルクが鉛弾の底部を外側に膨張させ、16世紀にはすでに開発されていたライフリングに組み合わされて弾頭周囲の溝の凸部がライフリングに食い込んで密着し圧力の漏れを無くし、ライフリングによる回転を弾頭に与える事に成功しました。 それにより有効射程は滑腔式が50から100ヤードほどしかなかったのに対し300ヤード(約270m)、最大射程は1000ヤード(約914m、実際にエンフィールド 3バンド 歩兵銃のリアサイトの目盛りは1,000ヤードまで切ってありました)にも延びました。 弾頭と装薬(黒色火薬)は紙製薬筒に包まれ表面に蜜蝋と動物性油脂の混合物でコーティングされていました。 この弾薬は命中性能が向上しただけではなく、高速で回転した弾頭が体内で変形し致命的な銃創となりました。 また汚れた動物性油脂にまみれた弾頭が感染症を引き起こし負傷兵にさらなるダメージを与えました。
日本でも幕末に大量のエンフィールド銃が輸入され、滑腔式であったゲベール銃に対して圧倒的な威力を発揮しました。 エンフィールドが訛ってエンピロール銃とも呼ばれた他、サイド・プレートにTOWERの刻印が入っている事から通称タワー・ライフルとも呼ばれました。 また日本では漢字で鳥羽 (トバ=タワー) ライフルと呼ばれる事もありました。
Tower軍用刻印はロンドン塔にあった英国政府の銃砲検査機関で軍用として耐えうる品質検査された証です (a military arm of Ordnance Dept quality made for the War Department)。 同じエンフィールド小銃でもTOWERの刻印の代わりに民間メーカー刻印だけが入っている品もあります。 通常は王冠刻印のみのBirminghamで製造された品の多くが米国に送られ南北戦争に於いて両軍で使用されました。 英国国営造兵廠製か国営造兵廠コントラクト製の品には王冠の下に「V.R」の刻印が入っています。 当時の英国はBirminghamとLondonに集中しており、この王冠はBirmingam銃器製造協会会員のメーカーで製造された品です。 反対にLondonにあったメーカーで作られた品には通常この王冠はなく、メーカー名が入っていました。
エンフィールド Pattern 1853ライフルから更なる改良が施され、Pattern 1856、Pattern 1858、Pattern 1859、Pattern 1860、Pattern 1861といったモデルが採用されました。 エンフィールド小銃は大きく分けて銃身長が短い2バンドと長い3バンド、そしてカービン・モデルを始め多くのバリエーションが製造されました。
Pattern 1856は.577口径のエンフィールド小銃としては初の短小銃 (2バンド) モデルで、33インチ (84cm) の銃身が装備されていましたが、登場時期が遅かったため当時英国が参加していたクリミア戦争に投入される事はありませんでした。 Pattern 1856短小銃は戦列歩兵連隊や小銃旅団、第60連隊、ケープ植民地軍、王立カナダ小銃連隊といった部隊のあらゆる下士官に支給されました。 Pattern 1856小銃のライフリングや弾薬はPattern 1853小銃の物と同様でしたが、銃身がより肉薄となっており、重いヤタガン銃剣を装着すると銃身が曲がってしまう恐れがあった他、連続射撃後に銃身周囲に陽炎が発生するといった欠点が有りました。 Pattern 1856 Type IIとも呼ばれるPattern 1858はPattern 1856の改良型で、銃身自体はP1856と同じ物が使用されていましたが、ストックがより長い物へと変更された他、P1856では銃身に設けられていた着剣ラグがフロント・バンドへと移される等の強化が行われています。 英国海軍は1858年にPattern 1856小銃と同様のモデルを採用しましたが、この海軍モデルでは銃身がPattern 1856小銃に比べて肉厚となった他、ライフリング条数が3条から5条となり、ライフリング・ピッチも1:48インチとより転度の大きなものに変更されており、命中精度が向上していました。 その後、英国陸軍でもこの海軍モデルと同様のモデルを1860年に採用しました。 この陸軍モデルは海軍モデルと異なり、トリガー・ガードやバット・プレート、ノーズ・キャップ等が真鍮製ではなくケースハードン仕上げの鉄製となっていました。 また、海軍モデルではリア・スリング・スイベルがトリガー・ガード前方に設けられていたのに対し、陸軍モデルではトリガー・ガードの後方となっている点も異なります。 尚、1858年以降に製造された全てのエンフィールド小銃及び短小銃では、銃身内のライフリングの深さが薬室から銃口に向かって浅くなる方式 (Progressive Depth Rifling) へと変更されました。 (MM、Updated)(KK)
【本個体の説明】
本品はエンフィールド小銃の中でも全長の短い2バンド・タイプのPattern 1856短小銃です。 サイド・プレートには「TOWER 1868」の刻印に加えて、Birmingham銃器製造協会会員のメーカーで製造された事を示す王冠の刻印が入っています。 銃身左側面後方に打たれている刻印は銃口側からゲージ刻印 (25は.577口径を表します)、製造所検査刻印 (View Mark)、ゲージ・テスト刻印 (25は.577口径を表します)、最終検査刻印 (Definitive Proof Mark)で、典型的なBirmingam銃器製造協会会員のメーカー製の刻印です。
本品のサイドロックは英国製ですが、銃身はベルギー製で、銃身の裏面にはリエージュのプルーフ・ハウス刻印 (楕円形の中にE.L.G=Liege Epreuveの文字と星のマーク) が打刻されている他、銃身の製造メーカーを示すと考えられるL&Cの刻印が見られます。 ベルギー リエージュの銃器メーカーは、19世紀半ば頃まで100年以上、バーミンガムとロンドンの銃器メーカー向けに部品の製造・供給を行っていました。 1853年のクリミア戦争勃発時、英国政府は国内の銃器生産能力を補完するため、ベルギー リエージュの銃器産業に目を付けました。 英国戦争部はベルギーに対して1854年に20,000挺のエンフィールド小銃の製造契約を行った他、1856年にクリミア戦争が終結した後の1859年にも5,000挺のエンフィールド小銃の追加契約を行っています。 尚、ベルギーの銃器メーカーは英国以外にも南北戦争中の米国向けにエンフィールド小銃を製造していました。 当時英国の銃器メーカーがベルギーにその生産の一部を委託していた事は明らかで、英軍向けに納品されたエンフィールド小銃の一部にはベルギー製の物やベルギー製の部品を使用して組み上げられた個体も含まれていました。 本品では銃身の本体への固定がミリ規格のネジとなっており、ベルギーで製造された銃身及び銃身固定金具を使用して組み立てられたものと考えられます。 銃身がベルギー製の為、銃身内のライフリング条数については5条となっています。
銃床の左側面には「改明治第五百十一番」と隣に見難くなっていますが「消壬申五百□度会県□」と刻印が打たれてあり、その当時(1872年以前)から本銃は日本国内にあった事を証明しています。 「壬申刻印」は古式銃の一種の戸籍番号とも呼ばれるもので、明治5年(1872年)に明治新政府の命令で国内にあった銃砲調査が行われました。 「壬申刻印」はその際の登録番号ですが、その際の原本はまだ見つかっていません。 明治4年に6鎮台に分けられた明治陸軍は主力小銃の統一化をはかるため、旧藩の銃砲の種類、挺数の把握が急務となり明治5年(1872年=壬申)に始まり、明治20年頃まで行われました。 明治5年(1872年=壬申)の検査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が「壬申刻印」です。 度会縣(わたらいけん) は、1871年 (明治4年)から1876年 (明治9年)まで廃藩置県の際に伊勢・志摩・紀伊国の一部を改めて設置された県で、のちに三重県に編入されました。 壬申の刻印(1872年)と度会縣の存在した時期(1871年から1876年)が一致しています。 銃砲刀剣類登録証が平成9年(1997年)の三重県発行になっていますので、1872年から1997年までの125年間ものあいだ、同じ三重県内に残っていた事が裏付けられる歴史考証的にも価値のある貴重な品です。
また銃床右右側面には一部判読が難しくなっていますが「SEMPER □□□□□ 1868」と獅子の刻印が打刻されています。
本品の金属部は全体的にプロによる美しく仕上げ直し(ケースハードン=油焼き仕上げ)が行われておりますが、時代感も付けてある丁寧な仕上げられており古式銃としての違和感は見られません。 金属表面は一部に朽ち込み痕が散見されるものの、目立った破損や欠損等は見受けられず、比較的良好な状態が保たれています。 傷みやすいバット・プレートについても若干の朽ち込み痕は見受けられるものの、目立った変形等は見受けられず、しっかりとした状態が保たれています。 バット・プレートは取り付け部に僅かに隙間が見受けられるものの、取り付け自体はしっかりとしています。 木部についてもやや打ち傷や擦れは見受けられるものの、目立つ傷やひび等は無く、多くの部分に艶が残っており、しっかりとした状態が保たれています。 銃床左側面のリア・バンド後部及びバット・ストック左側面に楕円形の埋め木による補修痕が見受けられるものの、強度的には問題の無いレベルです。 リア・サイトの調整操作については問題なく行う事が可能です。 ハンマーはフル/ハーフ・コック共にしっかりと掛かり、トリガーを引く事でハンマーが問題無く作動致します。 ニップル・プロテクター及び真鍮製取り付けチェーンの他、着脱可能なオリジナルのさく杖が付属します。 銃口から薬室まで銃身内は完全に通っています。 東京店在庫品 (Я)(KK)(MM)
【その他の情報】
登録証が付いて可動する実物の古式銃です。無可動実銃ではありません。平成9年2月18日に三重県教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証付きです。
古式銃は150年ほど前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入頂けますようお願い致します。
通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像(Detail-Photos)を十分ご確認頂いた上でご注文下さい。 詳しくは本HPのメニュ・バーにある「Ordering Terms(ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
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