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和製管打式小銃 (銃砲刀剣類登録証付古式銃、淡州石川繁太郎正喬作) |
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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【3742】 |
英 名
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Japanese made Percussion Rifle |
種 類
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古式銃(登録証付) |
国 名
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日本 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,275mm |
口 径
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16mm |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【管打式小銃 (淡州石川繁太郎正喬作)について】
幕末の火縄銃鍛冶であった淡州石川繁太郎正喬作が製作した管打ち式の小銃です。 見事な龍の彫り物が入った装飾性の高い品です。 淡州は現在の淡路島で幕末は淡路国と呼ばれていました。 二十五万七千余石を領した徳島藩藩主蜂須賀家は阿波国(徳島県)と淡路国(兵庫県淡路島)の二国を納めていました。
石川繁太郎正喬は火縄銃鍛冶でしたが、時代が管打ち式に移ってからは意欲的に洋式の撃発機構を取り入れたり、独自の工夫を凝らした管打ち式銃を残しています。 本品はその中でも特に意欲を持って製作した和洋折半の力作です。 銃床の後部一面には見事な龍の彫り物が、そして左手を添える部分(ハンドガード部分)にはチェッカーリングの代わりに籠目模様の滑り止めが施されています。 銃身は管打ち式ですので火門ではなくニップルを装着するように作られていますが、尾栓も含め完全に火縄銃と同じ製作方法で作られています。 銃身に銘の部分に「鍛二重巻張」と入っており「鍛えた地鉄を、銃身となる部分に二重に巻いて張って作ったもの」という銃身の作り方を明記してあります。 銃身の作り方で簡単なものから半巻張・一重巻張・二重巻張・三重巻張などの種類があり、「三重巻張」には及びませんが「鍛二重巻張」はかなり手の込んだ作りと言えます。
本品は昭和47年の徳島県の登録証が付いており、その時(昭和47年)に徳島県で発見された可能性が高い品です。 幕末当時徳島藩領であった淡路島で石川繁太郎正喬が作銃し、完成後四国の同じ徳島藩領であった阿波国に渡って、そのまま百年の時が過ぎ徳島県内で発見されたと考えれば興味深いものとなります。 ちなみに製作された淡路島に残ったままでしたら、登録証は兵庫県になっていたかもしれません。 銃工の所在地と登録証発行都道府県の関係には銃の歴史の一旦を紐解く手掛かりがあって興味深いです。 淡路島が徳島県ではなく兵庫県になったのは庚午事変*の影響と言われています。
*庚午事変は、明治3年(1870年)に当時の徳島藩淡路洲本城下で洲本在住の蜂須賀家臣の武士が、筆頭家老稲田邦植の別邸や学問所などを襲った事件。(Wikipediaより)
結果的に淡路島の帰属をめぐる重要な事件となり、この事件がなければ淡路島は現在も兵庫県ではなく徳島県であった可能性が高いでしょう。 本銃を当時所持していた人物は本作の出来を考えるとかなり高位の人物であったに違いありません。 その人物が本品を手元においてどのように「庚午事変」を捉えていたのでしょうか? 石川一門は阿波国(徳島県)の銃工一派で、繁太郎の名を継いだ銃工は正喬の他に正高、正為、正道、正秀、正之、道正、守幸がいます。 その中で正喬、正高、正為が淡路国(兵庫県淡路島)でも作銃をしており、淡州住と銘を切っています。 石川一門の他に阿波国では笠井、近藤等の鉄砲鍛冶門流が活躍し、銘鑑上ではその工数は四国最多とも言われました。 これは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の麾下にあった武将正勝・家政父子が火縄銃鍛冶を手厚く保護した結果と言えるでしょう。
【本個体の説明】
本品は一言で言えば、「和製管打ち式銃の珠玉」と呼べる逸品です。 銃身は火縄銃と同じ前装式滑腔銃身ですが、通常の阿波筒が口径11mm程度に統一されていたのに対して、洋式管打ち式の標準的な16mm口径になっています。 大きな口径の割には引き締まった細い筒で地鉄の良さが伺われます。 柑子は深い丸柑子で前方に環(筋立)が二条、その後方にも太い銀象嵌の二重環(筋立)が入っています。 先目当ては装飾的な杉型(目当ての後ろに枝が延びた形)、元目当は非常に凝った片富士溝型となっています。 銃身は表一角形式で、上部は両側がピシッと筋立てされて一段盛り上がったようになっており、筋が気持ちが良いほどを鋤いて誠に優美です。 火縄銃と同じように尾栓が付いておりますが銃身と固着しており外れません。 ニップルは外れます。 バットストック部分には見事な「昇り龍」の彫物が施されています。 「昇り龍」は天に向かって上昇している龍で、転じて勇猛果敢で勢い付いている様子を表し古くから武将に愛された図柄です。このようなエングレービィングは洋式の高級ハンティング・ライフルに狩猟風景などが彫刻されているのをみることが出来ます。 それを和風に三本爪(韓国は四本、中国は五本)の日本の「昇り龍」をモチーフにしたものでしょう。 またハンドガード部分には欧米のチェッカーリングの代わりに非常に手の込んだ籠目模様の彫物が施されています。 またその彫物の前(ハンドガード下部)の一部をスケルトン・タイプにしてあります。 銃床には腕貫穴(バレル・ウェッジ)が前部と中間部に二ヶ所あり、それで銃身と銃床が固定されています。 腕貫穴の周りには真鍮製の飾り金具が付いています。 銃床金物は真鍮製のシンプルではありますがしっかりとした品です。 一部(ハンドガード下部の二ヵ所に切れ込みを入れて「さく杖が通る管」を露出させて真鍮飾金具になっています。 その二ヵ所の内、前の部分に毛彫牡丹模様が入った真鍮金具を使って装飾性を高めています。 後の部分には洋式のスリングを通す環(スリング・スイベル)が付いています。 バットストックの下にも後ろのスリング・スイベルが付いています。 フルサイズの歩兵銃と同じ大きさながら、凡ゆる箇所に繊細な装飾を施した気品を感じる作りです。 鉄製カルカ(さく杖)の前部(銃床から突き出た部分)約5cmは真鍮製で凝った作りになっており、残り部分は鉄製です。 ニップルを見ても火薬による傷みや空撃ちによる傷もない、あまり発射歴が無い品と思われます。 銃口からニップル穴までも完全に貫通しています。 同等の品は弊社でも今後入手不可能と思われるほどの逸品です。 その凝りようから身分の高い御方の持物であったと伺い知れます。 在銘品で「淡州石川繁太郎正喬作」「二重巻張」と刻まれています。 「二重巻張」とは「真金」と呼ばれる鉄棒に「葛(かずら)」という鍛えたリボン状(一種のダマスカス)の鉄板を巻き締めて筒を成形し、それに更に二重の「葛(かずら)」を逆に巻き施したもので、火縄銃の仕立てとしては非常に入念なものです。 欧米のパーカッション・ロックを模した機関部とハンマーには毛彫の牡丹の模様が入っています。 機関部の内部構造は当時最も多く輸入されていたエンフィールド小銃のものを参考にした一般的な構造になっています。 内部はSear(シア)、Sear Spring(シア・スプリング)、Main Spring(メイン・スプリング)、Bridle(ブライドル)、Tumbler(タンブラー)とそれらを留めるネジで構成されています。 それらの作りは欧米製の規格品かと思われるほどの精度で仕上がっています。 腕の良い銃工の作でも、この部分を見ると手作り感がありますが、本品はそれを感じられない素晴らしい出来です。 洋式銃の模作ではなく、それ以上の作品を作ろうとした努力が目に見えない機関部の裏側にも垣間見られます。 ハンマーを起こしフルコック状態で引金を引くとスムーズにハンマーが落ち問題なく作動します。。 ハーフコックはシアの形状を見ると当初からありません。 全体的な程度は経年の時代感は僅かにあるものの、気になる傷や補修がない150年前の品としては最高の状態です。 木部にも傷は殆どありません。 銃口から火門まで通っている事を確認済みです。高い装飾性に加え全長が130cm近くある立派な見映えがする和製洋式銃として最高レベルの逸品です。 大阪店在庫品
【その他の情報】
登録証が付いて可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。 昭和48年4月25日に徳島県教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証付きです。
本古式銃は150年ほど前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入頂けますようお願い致します。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像(Detail-Photos)を十分ご確認頂いた上でご注文下さい。
詳細画像はこちら |
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