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ルフォーショー・タイプ 10連発 ダブル・アクション リボルバー(登録証付、Kirschbaum製、壬申五六一 磐前縣) |
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価格(税込)
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\1,760,000 |
商品番号
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【3666】 |
英 名
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Lefaucheux Type 10 shot Revolver made by Kirschbaum |
種 類
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古式銃(登録証付)、ガゼット Vol. 13、東京店在庫品、Curio Magazine 記事候補、✕ |
国 名
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ドイツ / フランス |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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303mm |
口 径
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11.5mm |
装 弾
数
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10発 |
在 庫
数
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限定1品 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【ルフォーショー・タイプ 10連発 ダブル・アクション リボルバー (Kirschbaum製) について】
ルフォーショー(ル・フォーショウ=Lefaucheux) リボルバーはフランスのガンスミスであったカジミール ルフォーショー(Casimir Lefaucheux, 1802-1852) によって発明されたピン・ファイア式(カニ目打ち式)の金属製薬莢を使用するリボルバーです。 フランス、ベルギーで1850-70年代に多種多数製造されました。 ドイツでも極少数が製造されました。1858年にはフランス軍初の金属製薬莢を使用するリボルバーとして軍用に採用されました。 本品は非常に珍しいドイツ製で、刃物の生産地で現在も有名なSolingen(ゾリンゲン)にあったC.R. キルシュバウム(Kirschbaum)社製の品です。 C.R. キルシュバウム社の製品は本品と同じ10連発を含め大きく分けて二種類の製品が幕末に輸入された事が確認されています。 ドイツ製のルフォーショー リボルバーは現時点ではC.R. キルシュバウム社の製品のみしか国内で確認されていませんので、同社が幕末に海外(日本向けを含む)に積極的に販売網を築いたのか?、または武器輸出業者(ドイツ系では横浜が開港した1859年7月にクニフラー商会が設立、している。明治に入り、クニフラーの跡を継いだカール・イリスがイリス商会を設しています。イリス社は現在ハンブルク本社を置くC. ILLIES & CO. HANDELSGESELLSCHAFT MBH社として東洋を中心にビジネスを行っており、当時の書類も保管されているようです)がドイツ製としては同社製品のみを日本向けに取り扱ったのか? 非常に興味深く研究すべき点がある品です。
ルフォーショー リボルバーは5連発から20連発までの非常に多くのバリエーションがあります。 銃身も3cmほどのラウンド・バレルから15cm以上のオクタゴン・バレルまで色々な銃身長がありました。 用途も色々で、大型の無骨な軍用モデルもあれば、全体に彫刻の入った小型の護身用までバリエーションが豊富です。 ピン・ファイア式の生産はパテントの関係でしょうか、ヨーロッパではスタンダードな種類でしたが、アメリカでは余り生産されませんでした。 当時ルフォーショーはピン・ファイア拳銃の代名詞で、リム・ファイア式が普及されるまで、フランス、ベルギーからヨーロッパを始め、アメリカ、日本など世界各国に輸出されました。 特に幕末期には多くの種類のルフォーショー拳銃が日本国内に入っています。
本品は銃身長128mmの大型サイズの10連発モデルでドイツ製とあってどちらかと言えば線が細いフランス製やベルギー製に比べて、がっちりとしています。これまで国内で発見されたC.R. キルシュバウム(Kirschbaum)社製品は1挺を除き全て本品と同じ10連発モデルで例外の6連発モデルも本品と同じく大型拳銃では珍しいトリガー・ガードが元々無く、折り畳み式トリガーを備えた品になっています。
ルフォーショー リボルバーはバリエーションが多く、アメリカ製リボルバーよりお手頃な価格帯ですので、それだけを集めるには面白い分野です。 ピン・ファイアは日本ではカニ目打ち式と呼ばれる最も初期の金属薬莢を使用する発火方式の銃で、パーカッション(菅打ち式)に比べて装薬や弾頭、そして雷管が脱落する心配もない長所がありました。 シリンダーはセンター・ファイアのように完全に前から後ろまで貫通した後装式です。 しかし現代実包が使用出来ない旧式の金属薬莢を使用する為、最も現代銃に近い構造をしているのにも拘らず、国内で古式銃として合法的に所持できます。
【本個体の説明】
本銃はルフォーショーの中では大型の部類に入ります。 11mmの10連発モデルでダブル・アクションのみの軍用としても使われたと思われる品です。 本体の鉄の部分は当時の仕上げが極一部に残ったオリジナルの状態です。 シリンダーとフレームにはかなり薄いですが緻密な唐草模様の毛彫が入っています。 11mm口径の10連発は前方から見ると非常に迫力のあるフォルムに対してコンパクトなグリップはアンバランスで興味深い品です。 シリンダー前方には「王冠にKR」の刻印と判読不明のプルーフ・マークが入っています。 本品はトリガー・ガードが当初からなく、トリガーは折り畳めるようになっています。 右側面の装弾孔にはピースメーカーような蓋(Loading Gate)が付いており、その当時ポピュラーだった管打式拳銃より遥かに早く装弾が可能でした。 表面仕上げの全体的に経年の表面的な時代錆が付いていますが、不自然さが全くない歴史を感じさせる古式銃独特の味わいになっています。 銃そのものは非常にしっかりとした、ガタの全くないキッチリとした造りです。 エジェクション・ロッドが銃身右下に装着されており、空薬莢を装弾孔から容易に排出出来るようになっています。 全体的な程度は古式銃としては良い状態です。 ダブル・アクション作動は完全良好でシリンダーが歯切れ良く回転しますが、古い品ですので不要な操作はお勧めできません。 オリジナルのステイン仕上げ木製グリップも完全です。 スクリュー銃身内はライフリングが深く刻まれており最後まで(全て)抜けています。 本体フレーム右側面下側に6806のシリアル No.が入っています。
銃身後部右上に「壬申五六一 磐前縣」の刻印が入っています。
「壬申刻印」とは古式銃の一種の戸籍番号になります。 明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から、古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。
本品の壬申刻印と共に入っている磐前縣 (いわさきけん) とは、明治4年(1871年)11月29日から明治9年(1876年)8月21日 -にかけて現在の福島県浜通りを範囲としていた県です。
11mm口径ダミー薬莢対応品(11mm口径のダミー薬莢がシリンダーに装填出来るのを確認しておりますが、10発フル装填して問題なく作動するかの確認はまだ行っておりません。 なおダミー薬莢は本商品には付属しておりません。)
【その他の情報】
平成2年12月20日に東京都教育委員会によって交付された銃砲刀剣類登録証が付いた完全可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。
本銃は約150年ほど前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入頂けますようお願い致します。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記の詳細画像(Detailed Photos)を十分ご確認頂いた上でご注文下さい。
詳細画像はこちら
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