 |
|
|
|
 |
【TK2546S/O】火縄銃 国友馬上筒 (銃砲登録証付古式銃、在銘:江州國友源右衛門充胤) (ヤ) |
|
 |
 |
|
 |
|
|
▲クリックで拡大画像をご覧いただけます。 Copyright© Chicago Regimentals Co. , Ltd. All Rights Reserved. |
価格(税込)
|
SOLD OUT |
商品番号
|
【3603】 |
英 名
|
Japanese Matchlock Long Cavalry Pistol, KUNITOMO Style |
種 類
|
古式銃(登録証付)、単発、登録証付古式銃買取品、ガゼット Vol.18、東京店在庫品、Curio Magazine、Curio Magazine 広告掲載品 |
国 名
|
日本 |
時 代
|
第一次大戦前(〜1914) |
全 長
|
700mm |
口 径
|
16mm |
装 弾
数
|
単発 |
在 庫
数
|
SOLD OUT |
画像について
|
画像は現物です。 |
コメント
|
【火縄銃 国友馬上筒 (在銘:江州國友源右衛門充胤)について】
国友鍛冶の名工である「國友源右衛門充胤 (全国鉄砲鍛冶銘鑑記載銃工)」の在銘馬上筒です。 充胤は江戸時代の天才発明家、国友一貫斎藤兵衛の実弟である八代目国友源右衛門の子で、九代目国友源右衛門です。 明治十九年没ですので、本作は幕末に作られた品と考えられます。 全長が70cm近くもある大振の馬上筒で、形状は中筒 (士筒) をそのままスケール・ダウンしたような馬上筒としては非常に凝った作りになっており、サイズを明記せずに画像だけを見たら口径の大きな士筒に見えます。
曇っていますが島津家の注文と思われる「丸に十の字」の家紋が銃口の後ろに銀象嵌で入っているのが確認出来ます。 また銃身中央部には「常夏」と読める漢字二文字の立派な銀象嵌文字が入っています。 銀象嵌ははっきりと見えますが崩し字の為「常」は間違いありませんが二文字目の「夏」が100%とは断定はできません。 今後の研究課題になると思います。 「常夏」とは「撫子(なでしこ)」の古名で、源氏物語五十四帖の巻名の一つ、第二十六帖の巻名です。 花の名前が銀象嵌で入った銃を携える馬上の武士を想像しても楽しいのではないでしょうか。
先目当は「袖形」、元目当は千切透しになっています。 銃身の鉄質も良く、厳選された材料に高度な技術を用いた造り込みになっています。 銃身は優美な丸型で、上部だけが平らになった丸一角となっており、銃口には丸柑子が設けられています。 内カラクリは地板の表に鋲が全く出ていない一見シンプルに見えますが、見えない所も凝った作りになっています。 真鍮製の雨覆いには一体となった煙返しが付いています。 銃身は台 (銃床) に対して前部一か所の目釘により固定される構造となっています。 台についても高級な樫を用いるなど贅沢な材料を使った品で、内部には「吉田三郎右エ門直道」の台師銘が入っています。 銃床下部には士筒によく見られる真鍮製のナマコ金が備えられています。 鉄部、木部、真鍮部のどれをとっても非常に良く出来た品です。 (MM)(KK)
【本個体の説明】
本品は全体に目立った欠損も見られず、火縄銃としては非常に良好な状態が保たれています。 筒 (銃身) は若干の経年による褪色を除いて目立った朽ち込み等も見られず、銃床への取り付けについてもガタつきもなくしっかりとしています。 銃身の象嵌については、「常夏」の銀象嵌文字ははっきりと確認出来る他、島津家の注文と思われる「丸に十の字」の家紋についても一部象嵌が落ちている箇所が見られるものの、大部分が残っています。 また、銃床により隠れる銃身下面についても目立った朽ち込み等は見受けられず、「江州 國友源右衛門 充胤」の銘がはっきりと確認出来ます。 台 (銃床) についても全体に艶のある仕上げが残っており、打ち傷等も最小限で現状これ以上は望めないコンディションが保たれています。 台内部の墨書きによる「吉田三郎右エ門直道」の台師銘についてもはっきりと確認できます。 カラクリの地板金や胴金、雨覆い、火蓋、ナマコ金といった真鍮部についても適度な時代感が付いた良い雰囲気となっています。 銃身と銃床の目釘穴の位置は合っており、真鍮製の目釘により固定されます。
銃身の後部上方には「壬申一四四 武庫司」と壬申刻印が入っています。 「壬申刻印」とは古式銃の一種の戸籍番号になります。 明治4年に明治陸軍は主力小銃の統一化を図る為、旧藩に残る銃砲の種類、挺数の把握が急務となりました。 翌明治5年 (1872年、壬申) 1月から、太政官布告第28号第五則の「銃砲取締規則」によって、私蔵されていた銃砲の「我が国初の管理統制」が始まりました。 廃藩時に旧藩は旧家臣に軍用銃を下付した事例が多く見られ、旧士族の家には一挺の軍用銃があったとも言われています。 それらの銃はその後市中に大量に出回り私蔵されていました。 銃砲取締規則ではこれらの私蔵されていた銃砲について、管轄庁 (東京と大阪は武庫司) に持参して改刻印式によって番号、官印を受ける (これが明治5年度であれば壬申刻印と番号) 事が義務付けられました。 同時に管轄庁は同人名と番号を管轄鎮台に届け出て、鎮台より武庫司にそれらが提出される仕組みになっていました。 この調査は明治20年代頃まで銃砲調査が行われましたが、明治5年 (1872年=壬申) の調査が最も大々的に行われ、今日この種類の刻印の内90-95%が壬申の年に行われた事から古式銃に打たれた漢字の刻印をまとめて「壬申刻印」と呼ばれています。
カラクリは調整済みで完璧に作動し、火挟を起こした状態で引金を引くと火挟がスムーズに落ちます。 火蓋の開閉についても問題なく行う事が可能です。 銃身内は銃口より火皿付近まで貫通しており、尾栓も外す事が可能です。 保証は出来ませんが実射可能な状態と言えるでしょう。 木製のかるか (さく杖) が付属しています。
弊社で扱った多数の火縄銃の中でも最高と言える状態の逸品です。 (MM)(KK)
【その他の情報】
昭和40年3月10日に山口県教育委員会で交付された銃砲刀剣類登録証が付いて可動する実物の古式銃です。 無可動実銃ではありません。
古式銃は約150年以上前の古い機械物の骨董品であり、高価な品でございますので、出来ましたら現物をご確認の上、ご購入いただけますようお願いいたします。 無可動実銃とは異なり作動する機械物ですので、作動や仕上げの確認をご自身で行われる事をお勧めいたします。 通信販売でのご購入を検討される方は、下記リンクの詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。 詳しくは本HPのメニュー・バーにある「Ordering Terms (ご注文について)」の「04. 商品の返品について」をご覧ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
|
|
|
 |
|
|
 |
|
 |
|
 |
|  |