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アルゼンチン レミントン ローリング・ブロック M1879 ライフル (#無)  
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価格(税込)
 \385,000
商品番号
 【3170】
英  名
 Argentine 1879 Remington Rolling Block Rifle
種  類
 単発、一品物、東京店在庫品、無可動実銃買取品 2022年 夏
国  名
 アルゼンチン / アメリカ合衆国
時  代
 第一次大戦前(〜1914)
全  長
 1,305mm
口  径
 .43 Spanish
装 弾 数
 単発
在 庫 数
 限定1品
画像について
 画像は現物です。
コメント
 【アルゼンチン レミントン ローリング・ブロック M1879 ライフルについて】
レミントン ローリング・ブロック (ニュー・モデル) 小銃は、1867年から1896年までアメリカのレミントン社 (E. Remington & Sons社、現在のRemington Arms Company) で、そしてその後も20世紀初頭まで海外でライセンス生産された、当時最も成功した後装式単発小銃です。
南北戦争中の1863年にレオナルド・ガイガー (Leonard Geiger) が特許を取得したシステムを基に、レミントン社のジョゼフ・ライダー (Joseph Rider) が再設計を行い、スプリット・ブリーチ カービン (Split Breech Carbine)、またはオールド モデル カービン (Old Model Carbine) と呼ばれるローリング・ブロックの原型を1864年に完成させました。 1964年3月から12月に合衆国政府から合計5,000挺の.46口径リム・ファイア弾を使用する「Small Frame Model」の注文があり、最終的に1865年 4月までに全てが納品されました。 更に1864年10月にはより強力な.56-.50 スペンサー (リム・ファイア) 弾を使用する15,000挺の「Large Frame Model」の注文が入りました。 しかしながら南北戦争は終結を迎えており、.50口径弾を使用するモデルの納品は最初の1,000挺が終戦後の1865年9月に、残りの14,000挺が1866年3月に合衆国政府に納品されました。 これらのオールド・モデル カービンは、実際にはレミントン社で製造されたものではなく、サベージ・リピーティング・アームズ社によって行われました。 1870年には合衆国政府の要請で納品した全てのオールド・モデル カービンはレミントン社によって買い戻され、兵器不足に悩むフランスに売却されました。 そのため、米国ではオールド・モデル カービンは実戦には使用されず、人々に知られる事もなく終わりました。 一方、レミントン社で新たに設計され1867年から生産が始まったニュー・モデルは反対に爆発的な人気を得ました。 ニュー・モデルでは外観には大きな相違はありませんが、右側面にレバー付いた大型のブリーチ・ブロックに変更し、ハンマーとブリーチ・ブロックのピンを大型化させて耐久性を大幅に向上させた事が大きな理由となっています。
ローリング・ブロックの作動方法は機関部後部にあるハンマーを起こし、ブリーチ・ブロックのロックを解除します。 そして右側にレバー (取っ手) が付いたブリーチ・ブロックを後方に約45°回転させ、薬室を開き装填します。 その後、レバーを親指で前方に押す事によってブリーチ・ブロックを前方に回転させて薬室を完全に閉鎖します。 発射後は再びハンマーを起こし、ブリーチ・ブロックを開くと、連動したエキストラクターによって空薬莢が後方に引き出されます。 ここまでの工程を射撃時と同様に右手をグリップしたままの状態で親指一本のみで操作を行う事が可能です。 空薬莢は完全には排出されないため、指で取り出す必要がありますが、熟練した射手は一連の作動を親指一本で行いました。 特筆すべき点として、発射時の後方にかかる圧力がブリーチ・ブロックにかかるにも拘らず、ブリーチ・ブロック中央の撃針を打撃したハンマーによって外部からブリーチ・ブロックが押さえられる他、機関部内でも完全にハンマー基部とブリーチ・ブロック基部がロックして、ブリーチ・ブロックの破損とガス漏れを防ぎ、閉鎖状態が完全に保たれます。 当然このような構造になるとブリーチ・ブロックとハンマー基部の両方に大きな負担がかかりますが、直径が12mmもある太いピンによって固定されているため強度が保たれています。
当初は大口径の黒色火薬ブラック・パウダー用で設計されましたが、1880年以降にポピュラーになった高威力の無煙火薬でも十分な強度があったため、シングル・ショットでありながらも永く使用されました。 約半世紀の間に世界各国の軍隊と民間で使用されたため、多くの口径の品が存在します。 単発式ですが独特なローリング・ブロック・システムの耐久性は高く、構造上ゴミや砂塵の進入が少なく万が一入っても作動する事に加え、部品数が少なくシンプルな構造は軍用銃としての多くの長所を持っていました。 このニュー・モデルは明治初期に兵器貿易会社「大倉組商会」によって日本にも輸入されました。 同時期に日本国内でも鉄砲鍛冶によって少数が模製されました。
南北戦争後の小火器メーカーの多くは縮小した米国内市場で生き残る為に軍に対して終戦後でありながらも壮絶な売り込み競争が繰り広げられていました。 結果として、一部の大手小火器メーカーを残し多くの中小銃器メーカーはこの時期に倒産しています。 大手であったレミントン社も熱心に米陸海軍に売り込みをしたのにも拘らず、大きな需要となる米陸軍主力小銃は前装式を安価に後方装式に改造できるスプリングフィールド造兵廠のトラップ・ドア ライフルに奪われました。 1867年のフランスで開催されたパリ万博においてヨーロッパ諸国の注目を浴びましたが、依然として米国ではスプリングフィールド造兵廠の力が強く主力兵器にはなりませんでした。 そのため、レミントン社は海外に積極的に市場を求め、ロイヤリティ (特許使用使用料) を得るために海外の多くの銃器メーカーや造兵廠にライセンス生産権を与えました。
最初に主力小銃として採用されたのは北欧のスウェーデンとノルウェー両軍が導入したM1867 歩兵銃でした。 米軍ではM1867 海軍銃とM1867海軍キャデット用小銃が少数採用されましたが、現存数している完全品が殆ど無いほど少ないものでした。 1870年に海軍がM1870 海軍銃を、翌1871年に陸軍がM1871 歩兵銃の合計10,000挺を採用しましたが、製造はレミントン社ではなくスプリングフィールド造兵廠で行いました。 レミントン社では輸出用に大量のローリング・ブロックを生産しましたが、供給が需要に追いつかず、例えばスウェーデンにおいては総生産数の80%がスウェーデンの国営造兵廠と民間企業一社によって生産されました。
レミントン ローリング・ブロック 小銃をコレクションする魅力の一つとして、レミントン社製の品については製造時期によってハンマー後方のアッパー・タングにあるパテント刻印から製造時期が特定できたり、輸出モデルには各国の特徴ある刻印のバリエーションを集める楽しみがあります。 南米諸国は当時ライセンス生産を行える技術がなかったため、全てレミントン社製の品が輸出されました。 レミントン ローリング・ブロック 小銃には、フルサイズのライフルとカービンの他に、キャデット・ライフルと呼ばれるスケール・ダウンしたモデルも少数ながら作られました。レミントン ローリング・ブロック 小銃のライセンス生産品としてはスウェーデン製が最も多くの割合を占めましたが、ベルギー製も少なからず存在しました。
レミントン ローリング・ブロック 小銃の実包は、当初リム・ファイアでしたが、すぐに旧式ではあるもののセンター・ファイアに変更されたため、海外ではアンティーク・ガンのカテゴリーに入っても、日本の基準では古式銃になりません。 ニュー・モデルは無可動実銃としてしかコレクション出来ない品です。
アルゼンチン レミントン ローリング・ブロック M1879 ライフルは、レミントン社がアルゼンチン政府からの発注を受けて生産した小銃です。 (MM)(KK)

【本個体の説明】
本品の機関部後方のアッパー・タングには、「E. REMINGTON & SONS, ILION, N.Y., U.S.A. (1行目)」「PAT MAY 3D 1864, MAY 7TH, JUNE 11TH, NOV.12TH DEC 24TH 1872 (2行目)」「DEC 31ST 1872, SEPT 9TH 1873. JAN 12th MARCH 16TH (3行目)」の刻印が入っています。 また銃身後部上方 (薬室の上) には「MODELO ARGENTINO 1879 E. N.」の刻印がはっきりと入っています。
本品の銃身や機関部といった金属部は全体に適度な時代が付いた良い雰囲気となっており、やや小傷や経年による褪色、一部に時代錆や僅かな表面錆が見られるものの、大きな欠損等は見受けられず、製造された時代を考慮すれば十分許容範囲となっています。 機関部左側のネジの1本に頭部の欠けが見られます。 木製のハンド・ガード及びバット・ストックについては、どちらも同じ明るい色合いの美しい状態が保たれています。 アッパー・タング及びロア・タング周辺の木部や、フロント・バンドとセンター・バンドの間の銃床下部に一部僅かな欠けが見受けられるものの、全体としては大きな破損や欠損等は見受けられません。 バット・ストック基部右側面に長さ焼く3cmのひびが見受けられますが、現状強度的には影響のないレベルのものです。 バット・プレート下部と銃床後端に若干の隙間が見受けられるものの、バット・プレートの取り付けはがたつきもなくしっかりとしています。 バット・プレートはやや時代錆や表面錆痕は見受けられますが、現状目立った変形や朽ち込み等は見受けられません。 前後のスリング・スイベルについても現状固着等は見受けられません。 ハンマー及びブリーチ・ブロックは無可動加工により固定されています。 尚、さく杖は付属致しません。
国内に同モデルは殆ど輸入されていないと思われます。 トリガーテンションの有る旧加工品です。 (MM)(KK)

【その他の情報】

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