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ユーゴスラビア M24/47 短小銃 (#K2495) |
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価格(税込)
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\352,000 |
商品番号
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【2922】 |
英 名
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Yugoslav M24/47 Short Rifle |
種 類
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ボルト・アクション、東京店在庫品、無可動実銃買取品 2025年 夏 |
国 名
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ユーゴスラビア |
時 代
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第二次大戦後(1945〜) |
全 長
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1,100mm |
口 径
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7,92mm×57 |
装 弾
数
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5発 |
在 庫
数
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限定1品 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【ユーゴスラビア M24/47 短小銃について】
第一次世界大戦後に成立したセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国 (後のユーゴスラビア王国) では、旧セルビア王国から引き継いだモーゼルM1899 歩兵銃やモーゼル M1910 歩兵銃、連合国から供与された各種小銃、鹵獲小銃など多種多様な小銃を使用していました。 これらの装備を統一するため、1924年にユーゴスラビア国防省はベルギー FN社からFN モーゼル M1924 短小銃のライセンス生産権を取得し、1927年にはセルビアのクラグイェヴァツに兵器製造工場を設立しました。 ユーゴスラビア M1924 短小銃は1928年に生産が開始され、第二次世界大戦勃発後の枢軸軍によるバルカン侵攻までに約78万丁が生産されました。 第二次世界大戦中もバルカン半島の各パルチザン勢力で使用されたほか、ドイツ軍に鹵獲・接収されたM1924 短小銃はGew.291/1(j)の名称で使用されました。
M24/47 短小銃はユーゴスラビア M1924 短小銃へ小改修を行ったモデルです。 第二次世界大戦終結後に回収されたM1924 短小銃はクラグイェヴァツの第44工場で正規の再整備が行われました。 この際にツァスタバ M48 小銃の銃身に換装され、M1924 短小銃には無かったフロント・サイト・フードが装備されているのが特徴的です。 その他、薬室上のユーゴスラビア王国時代の国章の削除およびユーゴスラビア社会主義連邦共和国章の追加、機関部左側面には第44工場を表す「ПРЕДУЗЕЋЕ 44」の刻印および「M24/47」のモデル名刻印が追加されています。 (TK)
【本個体の説明】
本品の薬室左側面には「M24/47」のモデル名刻印が見られ、薬室上面にはユーゴスラビア社会主義連邦共和国の国章が入っています。 また、機関部左側面にはセルビア語のキリル書法で「ПРЕДУЗЕЋЕ44」 (PREDUZECE 44) の刻印が入っています。 「PREDUZECE 44」とは第44工場を意味し、現在のツァスタバ・アームズの前身となった工場です。
機関部のシリアルNo.はK2495で、確認できるその他の箇所のシリアルNo.はボルトがJ2495、ストック及び弾倉底板が2495、リアサイト・リーフが95、ボルト・スリーブが60、セーフティーが05となっています。
本品の銃身や機関部といった金属部については、若干の打ち傷や経年による褪色の他、一部に表面錆痕や仕上げが落ちて金属の地肌が表れている箇所が見受けられるものの、大きな欠損は見受けられず、全体的にブルー仕上げが残った状態が保たれています。 白磨きのボルトに関しては朽ち込み錆痕が見られるものの、状態は落ち着いており違和感はありません。 木製銃床についても若干の小傷や打ち傷が見られ、一部にごく小さな欠けが見られるものの、いずれも時代がついているため、大きく目立つものだはありません。 木部には大きな割れや欠けは見られず、ハンド・ガードの取り付けにもガタつきは見られません。 バット・プレートについては、やや表面仕上げの色味にムラが見られますが、こちらも大きな変形や腐食などは見受けられません。 リア・サイトの調整については問題なく行う事が可能です。 弾倉底板の着脱も可能ですが、弾倉内のフォロワー及びスプリングは入っていません。 尚、さく杖が付属します。
トリガーテンションの有る、ボルトが閉じた状態で固定された旧加工品です。 (TK)
【その他の情報】
無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合がございます。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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